おめでとうを言えない夜
少年法の壁 後日談
第17話「おめでとうを言えない夜」
長野県飯山市。
オリンピック決勝の夜、地元ではパブリックビューイングが行われていた。
会場は熱気に包まれていた。
理人と光の同級生。
中学、高校で共に過ごしたクラスメイト。
秋生ジムの仲間。
近所の人たち。
学校の先生。
商店街の人たち。
会場の大きなスクリーンには、光の決勝が映っていた。
最終ラウンド。
光が最後まで足を止めない。
相手の猛攻を受け止め、外し、返す。
ゴングが鳴る。
判定。
勝者、日本、秋生光。
その瞬間。
会場が爆発した。
「光ー!」
「金メダル!」
「やったあああ!」
拍手と歓声が渦を巻いた。
秋生の両親は、立ち上がることもできず、椅子に座ったまま泣いていた。
母は両手で顔を覆い、父は唇を噛みしめながら何度も頷いていた。
「光……よくやった……」
画面の中の光は、泣きながら相手に頭を下げていた。
その姿に、会場の涙はさらに広がった。
そして、理人の決勝。
会場の空気はさらに張り詰めた。
男子ミドル級。
最終ラウンド。
理人は血をにじませながら、それでも下がらなかった。
打たれても立つ。
苦しくても返す。
最後までリング中央で戦う。
ゴング。
判定。
勝者、日本、伊達理人。
一瞬の静寂。
そして、飯山の夜が揺れた。
「理人ー!」
「おめでとう!」
「金だ! 金メダルだ!」
中学時代のクラスメイトが泣きながら叫んだ。
「理人、おめでとう!」
高校の同級生たちも肩を組んでいた。
「光も理人も、すごすぎる!」
伊達の両親は、ただ泣いていた。
父は何度も目元を拭い、母は胸の前で手を握りしめていた。
あの夏、横須賀を離れた日のこと。
新幹線の中で黙っていた理人。
「もう、あの学校行かなくていいの?」と聞いた美羽。
その言葉を思い出すだけで、涙が止まらなかった。
秋生の両親と伊達の両親は、互いに顔を見合わせた。
言葉はいらなかった。
子どもたちは、ここまで来た。
傷ついたまま終わらなかった。
折れたまま倒れなかった。
飯山で出会い直し、支え合い、世界の頂点に立った。
会場では、誰もが拍手していた。
誰もが泣いていた。
誰もが笑っていた。
その頃、横須賀。
神谷莉央も、その試合を見ていた。
中村獅童も。
中島こころも。
それぞれ別々の場所で、同じ映像を見ていた。
光が勝った瞬間。
理人が勝った瞬間。
莉央の胸にも、確かに何かがこみ上げた。
すごい。
よかった。
本当に、よかった。
そう思った。
思ったのに。
口には出せなかった。
おめでとう。
その一言が、喉で止まった。
自分が言える立場ではない。
今なら分かる。
なぜ、理人と光があれほど強いのか。
なぜ、美羽があれほど真っ直ぐ前へ進めたのか。
彼らは、自分の傷から逃げなかった。
苦しみを誰かにぶつけて終わりにしなかった。
悔しさを、人を踏みつけるために使わなかった。
自分と向き合い続けた。
積み重ね続けた。
だから強かった。
一方、自分はどうだったのか。
家庭の不安。
怒り。
寂しさ。
それを理人にぶつけた。
美羽にぶつけた。
誰かを傷つけて、自分が強くなったような気になっていた。
でも本当は、弱かった。
弱いから、他人を下に置いた。
弱いから、自分を見なかった。
弱いから、逃げ続けた。
莉央はテレビの前で、膝の上の手を握った。
悔しいよりも。
情けなかった。
理人の首に金メダルがかかる。
光の首にも金メダルがかかる。
二人は国旗を見上げていた。
その姿は眩しかった。
眩しくて、苦しかった。
けれど、もう目を逸らしてはいけないと思った。
獅童も、自室でテレビを見つめていた。
補欠にすら入れなかった高校時代。
人のせいにした日々。
仲間とうまくいかなくなった理由。
全部、自分の中にあった。
こころも、静かに泣いていた。
美羽の言葉を思い出していた。
神様か、誰かが、ちょっとご褒美を与えてくれたのかなと思います。
あの時は苦しかった。
でも今は分かる。
ご褒美なんかではない。
あれは、積み重ねた人間にしか届かない場所だった。
飯山では、歓声が止まらない。
横須賀では、三人がそれぞれ沈黙していた。
同じ金メダルの夜。
ある場所では祝福の涙が流れ。
ある場所では、後悔の涙が流れていた。
第17話「おめでとうと言えない夜」。
理人と光は世界の頂点に立った。
そして莉央たちは、ようやく自分たちの弱さの正体を見つめ始めていた。
祝福したい。
でも、胸を張って祝福できない。
その苦しさこそが、彼らが過去から逃げ続けてきた代償だった。




