三 その覚悟があるのなら
あのあと。
すっかり日も沈んで暗くなったその道で暫く探してみて。
翌朝だってその帰りだって辺りをうろついてみたんだけど。
あれきり椿に会うことはなかった。
誰かに話すには、あまりに現実離れしすぎた話。
日が経つにつれ、あの時の光景も歌も朧気になっていくけど。
それでもまだ、もしかして、って思ってる自分がいる。
なんでそう思いたいのか、なんて。
そんなの、俺の方が知りたい。
それでも二週間も過ぎたら、もうわざわざ探すようなことはしなくなったけど。
ふと空を見上げたり。
何か聴こえないかと思ったり。
いつまでも未練がましいよな。
『縁あればまた』なんて椿は言ってたけど。
ホントに。
何待ってんだろう。
その日もそう思いながら歩いてた。
りん、と鈴の音が聴こえた。
辺りを見回すけど何もない。
こないだの場所とは全然違うとこだけど、迷わず人の少ない方へと向かう。
根拠なんかない。でも、多分よりもっと確信に近い何かを感じてた。
この先に、きっと――。
角を曲がるなり黒いものが視界に入る。
今度は声を上げたりしない。
黒い髪、黒い目、黒い着物。
髪は肩まで伸びて、小学校低学年くらいに見えるけど。
そこにいたのは、間違いなく椿だった。
「響」
声は変わらない。
そういや前も子どもの声じゃなかったよな、なんて今頃思いながら。
まっすぐ俺を見上げる椿には、やっぱり子どものあどけなさはなく。
大人びた微笑みを向けられる。
「聞けば戻れぬ。その覚悟があるのなら」
伸ばされたのは小さな手。
「この手を取るといい」
考える必要なんて全然ない。
俺は俺の心に従って。
迷わずその手を取った。
椿の唇が、ニンマリと弧を描く。
「ありがとう。では行くぞ」
「行くってど……うわっっ」
ぐいっと引っ張られたと思ったら。
ちょっと待て、俺はまだこんな覚悟は決めてねぇっっ!
ふわりと浮かんだ椿に引っ張られ、俺の身体はあっという間に地面から離れてた。
ああああもう、どうなってんだよっ!!
ふわふわなんてメルヘンチックなもんじゃない。顔に当たる風は自転車に乗ってるくらいだけど、絶対そんなスピードには思えない。こわごわ下を見たら、すごい速さで景色が吹っ飛んでる。
思わず椿の手を強く握ってしまって。振り返った椿にいい笑顔で笑われた。
「怖いか?」
怖いに決まってんだろっ!!! 憎たらしい顔しやがって!
って、もちろん言い返せるはずもなくて。
恥ずかしいやら腹立たしいやら。
ふてくされてると、椿の肩の辺りがほんのり光った。
髪の間に小さな光……どう見てもこないだの人形が柱の陰から覗くみたいに顔を出してる。
……俺のこと見てるよな、絶対。
じっと見てると、それはそろりと髪から出てきた。
ひとり? しかいないから確信ないけど、あのちっこいの、かな。
「ああ、こやつはお前が気に入ったらしくてな。戻ろうとしないんだ」
前を向いたまま、椿がそう言ってくる。
「よければ触れてやってくれ」
「もう触っていいのか?」
「ああ。お前はもう私の手を取ったからな」
相変わらず意味わかんねぇけど。
もう触ってもいいらしい。
空いてる手をその人形の前に出してやると、そいつはおずおずと光る両腕を伸ばして俺の指に置いた。
触られてる感覚はないけど。両手で俺の指を挟み込んで、見上げるみたいにこっちを見てる。
……な、なんかかわいい……。
その人形は椿の肩から俺の肩に移動してきた。真横で眩しいかと思ったけど、そんなでもなくて助かった。
お陰でちょっと落ち着いて、少し周りを見れるようになった。っていっても、足元はびゅんびゅん屋根やら飛んでってるだけ、周りも白い霧みたいなのが流れてるだけ。
走馬燈、なんて言葉が浮かんで。慌てて頭を振る。
そういや詳しく聞かなかったけど。
一体何から戻れなくなるんだ……?
それはないよな、と。最悪の事態の可能性には気付いてない振りをして。じゃあなんだと考えてるうちに、明らかにスピードが落ちた。
「降りるぞ」
椿の声に改めてその手を握りしめる。
いや、だって怖いだろ、普通に!
上がった時の唐突さはなく、比較的ゆっくりと降りてるのは……俺のため、かもしれないな。
……そういや下からどう見えてんだ? 誰か見てたら大変だろ、これ。
こわごわ覗き込むけど、見える範囲に人のいる様子はなくて。小さな川と遠くの方に屋根が見えるくらいだった。
「人除けはしている。安心しろ」
俺の手を引っ張って降りながらの、椿の笑い声。
……心配してやってんだから。笑うんじゃねぇよ。
地面があるってこんなに安心するもんだったんだ。
足が着いた瞬間、心からそう思う。
降りたのは見たことのない場所だった。上から見えてた小さな川に、古ぼけた橋が架かってる。
話はあとで。そう言ってまた歌い出す椿。俺の肩の上、ちっこい人形も歌い始めた。
前と同じようにそこかしこから光の球が集まってくるのを、ただぼんやり眺めながら。
椿に言われた言葉の意味を考えてた。
戻れないやら覚悟やら。今考えたらなんのことだか、だけど。あの時はそんなことどうでもよかった。
また椿に会えたことが嬉しかった。
子ども相手にこんなこと思うのは、椿の言う相性がいいからなのかもしれないけど。
ホント、どうかしてるよな。




