十
相手の男が自分のことを知っているらしい口ぶりなのに、大介はさらに憤りを募らせた。奈緒がどんな顔をして自分の至らなさをこの男に話して聴かせているのかを考えると、相手への怒りは衰えるどころか彼に口汚い言葉を次々と生み出させた。
大介の突然の憤慨に対し電話の相手は冷静さを失わず、どうにかして大介を落ち着かせようと柔らかい口調で彼を宥め賺すような事ばかりを口にした。それが大介には馬鹿にされているようで、益々言葉を汚くして相手の男を脅し続ける。
「あなたの言い分はちゃんと聞いています。それが誤解であるということは、もう直接会って話すしか方法がないようですね。今のあなたではぼくの言葉は聞き入れてもらえないみたいですし」
そういう相手の言葉を大介は自分への挑発であると曲解し、
「おお、でてこい。ケリつけてやるからな。逃げんなよ、てめぇ」
「そんな風に言わないでもちゃんと来ますから、ご心配なく」
相手の男もさすがに大介の失礼極まりない罵りに腹を立てたらしく、とってつけたような挑発的な言葉を付した。大介は相手の思惑通りに声を荒げ、怯える奈緒には目もくれず、電話口に向けさらなる大声で怒鳴り出す始末。
会話が途切れると大介は咳き込み、その音にさえ怒りの感情を擦り付けた。あまりの大介の豹変ぶりに奈緒は怯えきって言葉もない状態で、自分の中の恐怖に耐えることで精一杯だった。唯々怖くって何をどうしていいのか分らず、唯一できることが押し黙ることだったからそれをするだけだった。それで恐怖が和らぐわけではないのに、それしかできることが無かったからひたすらに黙り続け、さらに身を縮こまらせようと体を丸め込んだ。
「嫌駄目だ。お前はここには来るな。ここは俺の部屋だ」と大介は家から近くの公園の場所を伝えた。自分のことを奈緒から聞き知っている男がここにまで来たら、彼は自分の全てを見られてしまうことと、相手のことを自分は全く知らないことを引き比べ、圧倒的に自分の方が不利であることに恐怖していた。奈緒が肝心なことを自分には話さず、自分の知らない男に二人の関係を喋っていることが信じられなかった。この出来事は二人だけの秘密であり、そこに他者の入る余地など微塵もないと疑わなかった大介にとって、奈緒の行動は裏切りでしかなかった。自分は彼女のことを親しい友人にさえ“女性”と言っているし、二人の付き合いのディテールは誰にも話してはいない。秘密の漏洩を考え慎重になった結果とった行動だったが、奈緒は自身の秘密に対し無防備だと彼は怒りの矛先を奈緒へ移していった。
「なんで、簡単に他人に話すんだよ。俺には何一つ相談しないくせに、お前は俺を利用しているだけなのか、どうなんだよ」
そう言われても奈緒には彼の気に入るような返答が出来るほど頭の回転は良くなかった。怯えきった彼女には何もしないという選択肢しか見えておらず、下から大介を悲しそうに見上げるだけだった。
近所の公園で待つ大介の後を隠れるようにして奈緒も同じ公園内で悠人の来るのを待っていた。待ち合わせの時間に公園の入り口から背の高い女がやって来たのを見て、大介は自分の考え違いに気がつき恥ずかしくなってきた。
どう見ても男の骨格をしているその女装した人物が電話口でやりあった当人であると気づいた時、彼の心中では羞恥の感情が支配し、ついさっきまで殴り合いも辞さない覚悟だった気分は一変して萎え衰えてしまった。
「こんばんは。奈緒ちゃん、ごめんね」
大介を通り越して奈緒を覗き込むようにして悠人が申し訳なさそうに挨拶をした。




