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「こどもが、レシピエントになった際、真っ先に医師がこどもにそれを伝えることはなく、ほぼ間違いなく両親にそれを伝えるでしょう。そして臓器移植を受けるかどうかの判断も両親の決定によってなされるものでしょう。その際に、医師と両親が、子どもに、移植を受けるかどうかの問いかけをすることはまずないでしょう。それは、病気は治すもの、生命は救われて当然のことといった観念から、だれもそれに反対をするものはいないだろうからです。

 しかし、移植を受けたからといってすぐに健康になれるわけではなく、移植を受け、その後一生免疫抑制剤を飲み続けなければならないこと、感染や拒絶反応に注意しなければならないこと、定期的な検査を受けなければならないことないその後を両親が当事者である子どもに、その情報を伝えたということはおそらくほとんどなかったことと考えます。

 つまり、ドナーもレシピエントも子どもでありながら、その決定権は彼彼女らには与えられてはいないということが、こどもの気持ちをないがしろにしているということになるということなのです。彼らには自らの臓器を他人に与えないという拒否権も奪われ、移植を受けることを拒否することも許されてはいないということなのです。

 ドナーならともかく、レシピエントならだれでも移植を受けるだろうと反論される方もあると思いますが、しかし子どもが一生病院通いを続ける人生を望まず、むしろ早い段階での死を求める可能性を否定できる根拠もないでしょう。

そうなると、命はどうあっても救われるべきというレシピエント側の意見から、脳死は否定されてしまうことになるのです。

 ですから従来の脳死肯定論や否定論では現実的な話し合いはなされる可能性がきわめて低いものになってしまうのです。それらを引き続き同じ視点から語ろうとすると、今度は安楽死についても議論をしなければならなくなってしまいます。

 物事はそれひとつだけでは語られることはなく、様々な他の出来事との結びつきにより下される一つの決断でしかないのですから、脳死だけを取り上げて、肯定したり、否定したりなど決してできはしないのです」

 予想される会場からの反対意見や聴衆の態度に表れる不快感などの指摘。

「あなた方はわたしのせいで腹が立ったといわんばかりですが、よく考えてください。わたしは一度も名指ししたことはないのです。確かに最近募金活動をしている連中のなかにはうさんくさいのが多いとはいいましたが、それはあなた方のことを指していったわけではないのは、あなた方が自らの行いを思い返せばすぐにわかるはずです。わたしに言わせれば、あなた方は勝手にわたしの言葉を曲解し、馬鹿にされたと腹を立て、怒りの原因がさもわたしにあるかのような口ぶりで反論をされているにすぎないのです。もう一度言いますが、わたしは名指しで“あなた”を批判したでしょうか? よくわたしの言葉を思い返してください。わたしは最近の募金活動者の中には詐欺を働いている連中がいる。その連中を野放しにしておくことは社会にとって、なによりやましさの欠片もない弱者の活動までもが、疑われその結果、目的の妨げになってしまうことがあってはならない、と訴えているだけなのですが……」

 聴衆の自尊心をくすぐるやりかた等。

「わたしが今話していることが、無自覚の集団意識と個人についてだということは、賢い方々にはもうお分かりであると思いますが、まだ理解できないという方々のために、かみ砕いてご説明します。よく、最近の若者は、という、これに続く言葉は大抵否定的なことがほとんどですが、わたしもよくそういって嘆く大人達の愚痴を耳にしてきた若者の一人です。だからといって、彼らがわたしのことを批判しているのだとは思ったことがありませんから、当然そういった言葉を聴いても腹が立ったという経験もございません。

 彼らの話には限定された部分がありまして、わたしが怒らないのも、その点があるからです。それは、最近の若者はだらしない、とか、マナーがなっていない、とか、礼儀を知らない、頭の悪いのが多い、とか、まあさんざん言われていますが、そのどれを聴いていても、それが自分のことを指していないというのは、わたしがだらしない奴ではなく、マナーや礼儀を知らない者ではなく、頭の悪い若者でもないということを、わたし自身がはっきりと知っているからです。単純なことですが、単純なだけにそれにはまり込むと相当やっかいなことになるのが、わたしのいう無自覚の集団意識というものなのです。人を分類しようとすれば世代や立場から仕事、役職いくらでもできますが、それゆえに嵌りやすいのが、個人を捨て集団に属するという考え方です。最近の高校生、大学生、新社会人、おっさん、年寄り、といった具合のですね。

 しかし、その後に続く言葉が、否定的な語句であったとしても、それに自分が該当する者かどうかを考えもせず、反射的に怒りを覚えては、それこそ自ら認めたようなものでして、そこはゆっくりと頭の悪い最近の若者が自分なのかを考え、そうでなければ何も腹を立てる必要がないことが自然と理解できるでしょうし、もしそうだったのなら、図星という言葉があるように、認めたくないがゆえの反発を覚えそれが醜い怒りの感情となって体外へ放出されることでしょう。

 ですが、あくまでわたしの主観でありますが、ほとんどの方々が、反射的な怒りをされているのではないかと思えてならないのです。障害者を扱うような丁寧さは必要ですが、それが度を過ぎると返ってイヤミったらしく映ってしまうような経験が皆様にも一度くらいはあるかと思いますが、こういった活動をされている方を特別に取り上げて批判することをタブー視するような風潮もそれに似ているとわたしは考えます。活動が綺麗なものであるのなら尚更そうであると言えるでしょう。

 それが今の皆さんの反応ときたら、自分達がまるで人に言えないようなやましい行いでもしてきた人達のようにわたしの言葉に過敏なくらいに反応を示されますから、わたしとしては勘ぐり深くもなってしまいます。

 募金活動を利用し金儲けしようとする輩がいても、それがあなたではないことは、あなたが一番よくお分かりになるのではないでしょうか、というのがわたしの言いたいことのひとつです。皆さんがわたしに疑えと仰っているような態度をするものですから、余計に怪しまれてわたしには映って見えるのです。

 集団の意識に、無自覚であればこのような落とし穴に嵌りながら、しらずうちに周りへと悪意を放つ行動をしていることに繋がるのだということを一人でも多くの方々に気づいてほしいのがわたしの望みでもあります。

 たとえ最近の〜といわれようと、はっきりとした“個人”というものをお持ちであれば、その後に続く悪い言葉も、それが自分を指しているのではないということが分かりますし、いちいち気難しい人のように顔をしかめることもないでしょう。どうか、皆さんわたしのいう最近の浅ましい募金活動者達が、自分のことなのかどうか、皆様自身に問うてください。そして冷静にわたしに発言の機会を与えてください。もし、あなた方がわたしの指し示す悪の募金詐欺団体に属する者であるならば、わたしは容赦なくあなた達を糾弾致します。もしそうでなければ、おそらくわたし達は同じ方向を目指す仲間、というのは馴れなれしいでしょうからそれは止めにして、少なくとも敵対する必要のないことだけは理解していただけるはずです。どうでしょうか、今一度冷静にわたしの話を聴いてはもらえないでしょうか?」

 彼は傍聴人に対し誠実に対応をしていた。それは本心からの言葉とばかりは言い切れないが、聴衆の頭を冷まし、再びこちらの言い分を聞いてもらおうとする時のやり方としては、それなりに効果があった。事実先ほどまでの野次が、孝太の声がマイクを通し彼の耳に伝わってくるようであった。これらはあくまで教師とのシミュレーションでしかなかったが、次の会での孝太は、確実に聴衆を惹き付けるだけの弁論ができる程、集団の中での対話というものが理解できつつあった。

 この日以来孝太がその教師を訪ねることはなくなった。彼はもう実践の場を自らの居場所と定めていたためだ。

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