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D.H.  作者: yua
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ACT 3-3



 暗闇の視界から、白い光が差し込んできた。それで、自分は今目が覚めて、光かなにかが入ってきているのだろう、と優愛は気づいた。

 ゆっくりと目を開くと、いつもの天井があった。この部屋に引っ越してきてからずっと見ている、いつもの天井だ。恐らく、この部屋から出て行くまでは変わる事のないものだと思っている。

 体は重い。昨夜は事件現場から隣町の駅まで全力疾走で走った事を考えると、全身が妙な気だるさで支配されていて、体を動かそうという気力がなくなってしまっていたのだ。

〝そういえば、昨日買った飲み物……道端においてきちゃったな……〟

 呆、とそんな事を考えながら視線だけを動かす。

 すると、そこにある光景を見て、思わず体を起こしてしまった。

「な……っ」

 あるのはいつもの部屋ではない。

 綺麗になっている。足の踏み場すら無かった筈の部屋が、まるで引っ越してきたばかりのときのように綺麗になっている。

 片づけた覚えはないのであるが、しかし……

「目が覚めた?」

 部屋の様子を眺めていると、玄関の方から、ジンが姿を見せた。

「……あの……」

「うん? あぁ、綺麗になっただろ?」

 さも当然のように彼は言った。

 なるほど、やはり自分自身でやった事ではなかった。いつもと違うのはこの同居人が増えた事だった。

「アナタがやったの……?」

 それ以外にはないだろうが、一応聞いておいた。

「もちろんさ。さすがに、このままじゃ僕も過ごし辛いし、キミも女の子じゃないか。あんな部屋じゃダメだ」

「部屋に散らかっていたものは?」

「一応、あの箱の中に入れておいたよ」

 指差す先にあるのは、百円均一で買った大きな箱だった。本当は、ペットボトルなどのゴミを捨てる為に買ったものだったのだが、本来の用途に使われる事はなく、そのまま部屋の端に積み重ねられて放置されていた。珍しく、それが役に立っているらしい。

 あとで中身を確認しなければならない、と思いながらベッドの端に腰を下ろす。

「カンバスとかは、一応こっちにおいておいたよ。あと昼前ぐらいに荷物が届いていたから、それは玄関に置いてあるよ」

 荷物。買い物で画材を買ったのを思いだして、あぁ……、と頷く。

 午前中には届くと言っていたので、今はもう昼は過ぎてしまっているのだろう。部屋は電気が既についており、カーテンも閉まっている。カーテンの隙間からはオレンジ色の光が差し込んできているところからすると、夕方少し前だろうか。

 いつも卓上にある時計を探したのだが見つからない。もしかしたら、あの箱の中に入っているかもしれない。

 しばしの沈黙が流れたあと、ジンは一旦玄関の方まで引っ込んだあと、届いた荷物を持って部屋の真中までやってきた。

「はい、どうぞ」

 笑顔で、その荷物を優愛に見せてくれた。

「あ……ありが……とう」

 画材の方は、また使うときにでも確認しよう。

「あぁ、あとそれと、さっきまたあの魔女とか言う人が来てたよ」

「えっ」

 一体なんの用事だったのだろうか……

「一〇分前ぐらいだったかな。冷蔵庫に忘れ物とか言って、なにかを入れて帰って行ったよ」

「……なにを」

 入れたのだろう。ただのカウンセラーではなく、魔女だと解った瞬間から、なにをするか解らない人になってしまった。第一印象から普通の人間ではない、と印象を受けていたが、それがさらに夜の出来事で倍増していた。

 恐る恐る冷蔵庫の扉に手を掛けて、中を確認しようとする優愛の後ろからジンもその様子を眺めている。ゆっくりと扉を開くと、そこにあるものを見て、安堵のため息を吐く。

「……? 飲み物?」

「これ……私が買ったやつ……?」

 例の事件の現場に行く前、喉が渇いてコンビニエンスストアで買ったペットボトルの水が、そのまま冷蔵庫の中に安置されていた。どうやら、彼女はこれを取り戻してくれたようである。あの現場に放置してきたのだから、恐らく、警察が現場の証拠として回収していたかもしれないと云うのに、よくも取り戻せたものだ。

 ため息をもうひとつ吐いて、ペットボトルの二本を取り出すと、ひとつをジンに渡して、もうひとつを持ったままベッドに腰を掛けて開封、乾いた喉を潤す。

「そういう知識は……あるんだ」

 ペットボトルのキャップをさも当然のように開く彼を見て、本当に別世界からきた人間なのかどうか疑ってしまう。

「まぁ、一応キミの想像だからね。ちゃんとした一般常識は持っているつもりだよ」

 一口飲んで、ジンは部屋の隅に置かれたリモコンを取り上げ、テレビを点けた。テレビも知っている、と云うアピールらしい。

 日曜日故に、テレビではお馴染のネバーエンディングストーリィな作品が繰り広げられており、恐らく、この国中のお茶の間で楽しまれている事だろう。

 テレビはいつもと変わらない。リモコンをジンから取り上げてチャンネルを変えてニュースに合わせてみるが、別に普段と変わった事はない。ただ、爆発事故に関しては、市内ニュースにて報道されていた。明日には全国ニュースになるだろう、同じ市内で、短い期間で爆発事故が二回も起きているのだから。

 それを思うと、部屋のなかに自分以外の誰かがいるのは久しぶりである。同じ学校に通っている友人を部屋に招いた事はない。同じアパートに住んでいる、同じ芸術学部の人間を以前に一度入れた事があったが、それ以来だろう。しかも今回は居なくなるのではなく、自分を守る為にこの部屋に住むと言っているのである。

 別に不安がある訳ではない。通常の人間であれば、ここで様々な事を想像するかもしれないが、優愛にとってみれば自分の処女にはなんの関心もなかったのである。無頓着、とは違う。恐らく、どうなっても良いと思っているのだろう。

 あと根拠のない確証だが、この青年はそのような事はしないだろうと思っている。

 ペットボトルの水を飲み干すと、そのゴミをジンが用意してくれた袋の中に入れる。袋には大きく「ペットボトル入れ」と書いてあった。横には「カン入れ」もあった。さらに「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」と分別もされている。意外ときっちりしているらしい。

 いつもであれば、この時間帯は絵を描く時間になっているのだが、今日はそんな気分ではない。疲れてしまっていて、ペンを持つ気力すらない。

 まだまだやらないと行けない事はあるが、外には出たくない。外に出れば、恐らく……戦いが待っている。

「……っ」

 想像したら、体が震えてきた。

 殺される。殺される。殺される。

 得体のしれない剣を持った人間たちに狙われて、一瞬で……、殺されてしまう。

 そうなったら最後、二度と戻る事のない意識と、なにも思考できず、なにも感じられない、そんな恐怖の世界。自分自身と云う確固たる意識がない世界にいかなくてはならないのである。この世に天国も地獄も、死後の世界もない。優愛はそう思っていた。

 外の世界は……怖い。

 ずっと怖かった、他人がいる世界。そこに、今度は命の危険までもが色濃くいまは出てきている。

 思わず、そのまま一気にベッドの上にまで走って行って、布団の中にもぐりこんでしまった。突然の行動に自分自身が驚き、当然その光景を見ていたジンも驚いた。

 ジンは解っていた。どうして彼女が一目散に布団の中にもぐりこんでしまったのか。

「……大丈夫。僕が守る。キミの心は、僕だ。そして心の持ち主であるキミは、僕が守る」

 まるで物語の台詞のような言葉を平気で彼は吐く。それがくすぐったくもあり、笑えるようでもあり……とても心強かった。

「おねがい……私を……殺さないで……」

「それがキミの願いなら……」

「殺さないで」

 ……死は怖い。彼女の思考は万人に理解できるものだろう。

 死に急ぐ人間は世の中には決して少なくない。死にたがる人間もいる。だが、人間が「動物」と云うカテゴリーにある以上、必ず生存本能と云うものが存在しているのである。生きて、子孫を残し、繁栄させる。そうして役目を終えて初めて人は死への恐怖から解放される。ヒトとはそういうものである。

 彼女に至ってはまだ年齢も年齢である。人類の成すべき、女性としての子孫繁栄の役目は果たしていない。彼女にとってはまだ自分が一番大切な存在であり、それ以外の他人には見向きもしない。まだ若いのだ。


 泣き疲れて眠ってしまったようだ。取り残されたジンはため息をひとつ吐いて、部屋の真中に腰をおろす。

「さて、と……」

 テレビはそのままでも良いだろう。部屋の片づけもひと通り済んでおり、特段この部屋でやらなければならない事もない。魔女のような突然の来訪も、彼女の性格上あり得ないだろう。

 他人と接する事を極端に恐れて、極端に避けている。誰かに拒絶されないかわりに、誰とも関わりを持たない。

 なるほど、彼女はとても繊細な性格だ。

 受け取ったペットボトルの水を口に含んで、味を確認する。正常に、舌は体に味を教えてくれている。

 覚醒したときの事を思い出す。痛覚も問題なく、機能しているように思える。正直な話、戦いの中では必要のないものなのであるが、人間らしさ、と云うものを求めている彼女の通りに現界した為に、五感も存在している。

 座り込んで考える内容は色々とあるのだが、さて、どこから考えたものか。

 ―――自分がどうしてここに来ているか?

 そこから考える事にしよう。



 時刻はそろそろ二三時を回ろうとしている。

 ぎりぎり、となにかをコンクリに引きずる音が、響く。

 かんかん、と金属を叩く音がする。

 場所は、閑静な住宅街。一角に存在している小さな町工場跡。人の気配はあると云うのに、そこには誰もいないように思える。

 音が消えて、しばらくすると、工場に人影がひとつ。

 魔女・山田悠里であった。

「観測者、山田悠里だ。存知の通りだ。

 役者は足りないが、まぁ、どうでもいいだろう。ここに居ない連中以外には、こちらから通告させてもらうとしよう」

 工場の真中に立っている彼女を眺める人の気配は……ひとつ、ふたつ……みっつ、よっつ……いつつ……

 五人の役者が、この工場にて話を聞いている事になる。二名足りていない。

 大体予想通りであった。元々、彼女と彼にはあらかじめ話はしておいた。彼女の方は、今度詳しい話をしにいけば良いだろう。彼に事も頼んでいる為そこまで心配はないと考えている。

 ここに揃った五人の人間にはこれから説明しなければならない。ルールを破って、既に戦い始めてしまった人間もいたが、その辺は不問としよう。

「……まぁ、人によってはもう知っているかもしれないが、やっとすべての人間に『神託』が下った」

 その言葉に、少し、ざわめく。言葉もなく、ただ一帯の空気が緊張で満たされたのである。

「最初に神託があったのが一年ほど前……まぁ、なかなか最後のひとりが決まらずに待ち切れなかった連中が一部居たが……そのお陰で最後のひとりが決まったワケで……」

 視線を、ひとりの影の方に向ける。

「最後の『神託』が下されたと云う以上、諸君らにこの場に集まってもらった理由は解るな?」

 一同、無言の返答。

 解っている。

 始まるのだ。ついに、決まるのだ。

 かつて、この世界を束ね、この世界を分断させた『剣』。その持ち主として相応しい人間を決める儀式。

「開始は正直これからでも構わない。私はここからはひとつも干渉せんよ。観測者はあくまで、観測が目的。キミたちがどのような事をしようが、全く関係ない。そんじょそこらの『粛清者』だろうが、今のキミたちの持っている力があれば殺す事も可能だろう。それなら『庭園』の目を気にする必要性もない」

 説明をする横、ひとりの影が手をあげた。

 無言で返すと、それを許可と受け取ったのか、影は口を開く。

「最後のひとりが決まったあと……本当に願いは叶うんだな?」

 それは、最後の確認と言わんばかりだ。

 悠里は大袈裟にため息を吐いて見せた。この場にいるすべての人間に聴こえるように、大袈裟に。

 この場にいる全ての人間が思っている。

 ……心の剣。

 欲望と、夢……様々な願いの具現化。それがこの世に存在している時点で、その質問はナンセンスだ。

「その手に持った代物はなんだ?」

 そうだ。それは、心の願いの具現化だ。

「なら……あとは解るな?」

 解答はそれで最後だ。

 しかし、充分過ぎる内容であった。

 ひとつずつ、気配が消えていく。ひとつ……気配が消えてはまたひとつ、別の気配がこの場から姿を消す。そして最後のひとりが姿を消すと、その場には悠里だけが取り残された。

「…………行ったか。始まるな。

 ―――わたしたちに出来る事は、あとは確認だけね」

 静かになった空間で、悠里はひとつ息を吐いてそう呟く。

 心象の中で魔女が行う観測者はその名の通り観測だ。事柄を後世に残す為の観測とはまた勝手が違うが、すべての戦いの確認を行わなければならない。

「―――スペアはもう用意してあるんでしょう?

 ……ひとつだけだがな」

 工場の端に置かれている巨大な箱を蹴り飛ばす。棺のようなそれは鈍い音を立てて揺れた。

「ふたつ目はどうなるか解らない。まぁ、必要に応じて受注しておく」

 棺の上に腰をかけると、辺りを見渡す。

 ここは廃工場。元々は、民間の企業が使っていたのであるが、つい一〇年ぐらい前に閉鎖されている。それ以降、壊される事もなく、ただ放置されている。風化していく一方である。中には折れた鉄骨や、金属類が散乱しており、ショベルカーが一台だけ、放置されている。既に動かない。

 ここを選んだのも、スペアを引き取るついでである。たまたまこの辺りにその手の知り合いが住んでいたので、丁度この場所を使おうと云う話になった。結果、心象の集会もここで行おうと云う事にしたのだ。

「……少し気になったんだが……」

 棺を横目に、口を開く。自分に対して言っている言葉なので、別に目の前に誰がいなくても問題ではない。

「……これ、どうやって持って帰るんだよ。

 ―――あ」

 今気づいたかのように、悠里は小さく声をあげた。

「―――ここで使えば……良いんじゃない?」

 なるほど、それなら態々これを屋敷に持って帰る必要性はない。

「……つか、そんな事も考えずに取引に応じたのか。

 ―――ごめん。正直、全然考えていなかった」

 まぁ良い。ここで使うのであれば、そのスペアは運んでいく必要性はない。

「よっこらせ」

 棺を開けて、中身を確認する。どうやら、傷などはついていないらしい。綺麗なままで、そこには〝スペア〟と呼ばれている代物が横たわっていた。

「さてと…………始めるか」

 山田悠里は、静かに呟いた。


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