弟合流
「この食料を、どうにかして、皆で分け合えるようにするしかない。畑の収穫が、鍵になる」
俺は、父さんの言葉に頷いた。畑。そう、僕たちには、まだ希望がある。父さんが懸命に耕してくれた裏庭の畑。そこに植えられた種が、僕たちの未来を繋いでくれるかもしれない。
「俺、律に連絡してみる」
俺は、言った。弟の律が、無事に帰ってくるかどうかの確認は、まだできていない。携帯電話は、断続的にしか使えない。それでも、この状況で、誰かが連絡を取り合わないわけにはいかない。
「律から、連絡があったんだ」
父さんが、俺の言葉に被せるように言った。
「今日中に、帰ってくるそうだ。車で、こちらに向かっている」
「えっ! 本当に?」
俺は、驚きと安堵がないまぜになった声を出した。父さんは、静かに頷いた。
弟が、帰ってくる。それだけで、僕の心は、少しだけ軽くなった。
「父さん、俺、家の前で待ってるよ」
「いや、翼。今は、外に出ない方がいい」
父さんが、制止した。
「街の様子は、昨日よりも悪化している。買占めや、略奪が、さらに激しくなっていると聞いている。それに、律は、車で帰ってくるだろう。」
父さんの言葉は、もっともだった。街は、すでに、法も秩序も失われつつある。弟が、無事に帰ってくることを祈るしかない。
「…分かった。じゃあ、俺は、家で、律の帰りを待つ」
「ああ。母さんと、店の在庫の確認をしてくれ。律が帰ってきたら、すぐに食料を分けられるように」
「うん」
俺は、二階の自室に戻った。窓の外は、薄暗いままだ。昨日の停電は、まだ続いている。携帯電話は、やはり圏外だった。
「律…無事に、帰ってきてくれよ」
俺は、心の中で、弟の名前を繰り返した。
その日の午後、母さんが、店の奥から、食事を運んできた。
「翼、これだけじゃ、心もとないけれど…」
「大丈夫だよ、母さん」
俺は、笑顔で答えた。しかし、その笑顔が、どれだけ本心からだったか、自分でも分からなかった。
父さんは、裏庭で、黙々と畑を耕している。その背中が、どこか寂しげに見えた。
夕暮れ時。俺は、律が帰ってくるのを、玄関で今か今かと待ちわびていた。携帯電話の電波は、断続的に回復しては、また途切れる。その度に、胸がざわついた。
「…遅いな」
予定よりも、時間が経っている。父さんの顔にも、焦りの色が浮かび始めていた。
「もしかしたら、途中で、何かあったのかもしれない」
母さんが、不安そうに言った。
その時、遠くから、車の走る音が聞こえてきた。
「…来たか」
父さんが、呟いた。
俺は、玄関のドアを開け、道路の方を見た。暗闇の中、かすかに、車のヘッドライトが見えた。
「律…」
俺は、無意識に、弟の名前を呼んでいた。
「…律だ!」
車から降りてきた人影は、紛れもなく、弟の律だった。
「兄さん!」
律は、俺の顔を見るなり、駆け寄ってきた。そして、俺の胸に飛び込んできた。
「無事で、よかった…」
俺は、弟を強く抱きしめた。
「兄さん…」
律は、俺の肩に顔を埋めたまま、しばらくの間、何も言わなかった。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
俺が、心配して声をかけると、律は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、疲労と、そして、これまで見たことのないような、深い絶望の色が浮かんでいた。
「…助かったよ、兄さん」
「…大丈夫か、律」
俺は、律の背中を、優しく叩いた。
「…そうか」
俺は、ただ、それだけしか言えなかった。弟が、どれほどの苦労をしてきたのか。どれほどの不安を抱えて、この街まで帰ってきたのか。それを考えると、胸が締め付けられた。
「…でも、大丈夫。兄さんが、いるから」
律は、そう言うと、顔を上げた。その目には、先ほどまでの絶望の色は薄れ、かすかな光が灯っていた。
「…俺、帰れて、よかった」
俺は、律の言葉に、強く頷いた。
「ああ。おかえり、律」
俺たちは、二人でゆっくりと歩いた。暗闇の中、二人の足音だけが、静かに響いていた。
「…父さんも、心配してたぞ」
「…うん、分かってる」
俺は、律に、父さんの話をした。畑のこと、母さんのこと、そして、僕たちが、これからどうしていくのか。
「…畑、か。俺、畑仕事、手伝ったことないけど…」
「大丈夫だ。俺も、初めてだ。それに、父さんが、いる」
俺は、弟に、そう答えた。
父さんと母さんが、心配そうに俺たちを待っていた。
「律! 無事か!」
父さんが、律の姿を見ると、駆け寄って、力強く抱きしめた。
「父さん…」
律の声が、震えていた。
「心配したぞ。本当に、心配したんだ」
父さんは、律の顔を、何度も撫でた。
「…ごめん、父さん」
「謝るな。無事で、よかった。それだけで、十分だ」
「…さあ、もう遅い。温かいものでも食べて、ゆっくり休むといい」
父さんが、そう言って、俺たちを、リビングへと促した。
リビングには、父さんが、店の奥から持ってきた、食事が並べられていた。
「…これだけ?」
律が、少し、驚いた顔をした。
「ああ。今は、これだけなんだ」
父さんが、力なく答えた。
「でも、翼が、畑を耕してくれたんだ」
母さんが、そう言って、俺の背中を、優しく撫でた。
「畑…?」
律が、興味深そうに、俺の方を見た。
「ああ。父さんと一緒に、裏庭に、畑を作ったんだ」
俺は、律に、畑のことを話した。種のこと、苗のこと、そして、これから、野菜を育てていくこと。
「…すごいな、兄さん」
律は、感心したように、俺を見た。
「…俺、畑仕事、やったことないけど…」
「大丈夫だ。俺も、初めてだ。それに、父さんが、いる」
俺は、律に、そう答えた。
「…そうだな」
律は、父さんの顔を見て、頷いた。
「よし。明日の朝から、畑仕事だ」
父さんが、力強く言った。
「俺も、手伝うよ!」
律が、元気よく返事をした。
俺は、弟の顔を見て、微笑んだ。
「…そうだな。二人で、頑張ろう」
俺は、弟に、そう言った。
その夜、俺たちは、久しぶりに、家族全員で、食卓を囲んだ。質素な食事だったが、その温かさは、何よりも、心に染みた。
窓の外は、暗闇に包まれていた。しかし、俺たちの心の中には、確かな、希望の光が灯っていた。




