黒い月の日
その夜、空には“黒い月”が浮かんでいた。
まるで世界に穴が開いたような、光を吸い込む闇の月。
辺境村リュノアの人々は皆、仕事の手を止めて空を見上げていた。
「……気味が悪いな」
誰かがそう呟く。
しかし十五歳の少年、レイン・アルヴェルトだけは違った。
見た瞬間、胸が痛んだ。
心臓を鷲掴みにされるような感覚。
「っ……!」
レインはその場で膝をつく。
頭の中に、知らない景色が流れ込んできた。
燃える王都。
崩れる城。
血まみれの剣。
巨大な黒竜。
そして――。
『また、守れなかった』
誰かの声。
いや、自分の声だった。
「な、んだ……これ……」
呼吸が荒くなる。
脳が焼けるように熱い。
見たこともないはずの記憶が、次々と流れ込んでくる。
銀髪の少女。
戦場。
魔法陣。
神々しい白い塔。
自分が、何か巨大な存在に向かって剣を振り下ろしている光景。
その瞬間。
――世界が砕けた。
「ぁ……ああああッ!!」
レインは叫び声を上げ、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「おい、レイン!」
誰かに肩を揺さぶられ、レインは目を覚ました。
目の前には幼馴染の少女、ミナがいた。
茶色い耳を揺らしながら、不安そうに覗き込んでいる。
「大丈夫!? 急に倒れたんだけど!」
「……ミナ?」
「何その顔。熱でもあるの?」
レインはゆっくり起き上がる。
全身に嫌な汗をかいていた。
だが、それ以上に。
「……夢?」
違う。
夢じゃない。
頭の奥に、確かに残っている。
知らない人生の記憶が。
「……俺は……」
剣を振っていた。
戦っていた。
何度も。
何度も。
何度も。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
言えるわけがなかった。
自分の中に、何人もの“自分”がいるなんて。
その時だった。
村の外から、悲鳴が響いた。
「――魔物だぁぁぁ!!」
空気が一変する。
ミナの顔が青ざめた。
「え……?」
次の瞬間。
村の入口方向から爆音が響いた。
地面が揺れる。
「おい、嘘だろ……」
レインは立ち上がり、広場の向こうを見る。
そこにいたのは。
巨大な狼だった。
黒い毛並み。
赤い目。
普通の魔狼の倍以上はある巨体。
村人たちが逃げ惑っている。
「なんで上級魔物がこんな場所に……!」
この辺りに現れるのは低級魔物だけのはずだ。
あんな化け物、冒険者でもなければ倒せない。
だが。
魔狼は逃げ遅れた少女へ向かって跳躍した。
「――ッ!」
考えるより先に、レインは走っていた。
「レイン!?」
地面を蹴る。
体が軽い。
いや、違う。
知っている。
この動き方を。
この踏み込みを。
『右だ』
頭の中で声がした。
同時に、レインの体が勝手に動く。
魔狼の爪を紙一重で回避。
村人たちが目を見開いた。
「なっ……!?」
ありえない動きだった。
剣術なんて習っていない村の少年ができる動きではない。
レイン自身ですら驚いていた。
(なんだ、これ……!)
だが体は止まらない。
腰に差していた薪割り用の短剣を抜く。
その瞬間。
脳裏に言葉が浮かんだ。
【継承条件を確認】
【対象:黒牙魔狼】
【適合率:3%】
【継承を開始しますか?】
「……は?」
目の前に、黒い文字が現れていた。
まるで幻覚。
だが次の瞬間、魔狼が咆哮を上げる。
考える暇はなかった。
「うああああッ!!」
レインは飛び込んだ。
自分でも信じられない速度で。
短剣が、魔狼の首へ吸い込まれる。
鮮血。
咆哮。
そして――。
巨大な体が崩れ落ちた。
静寂。
誰も動かなかった。
「……倒した?」
村人の一人が呆然と呟く。
レイン自身、理解できていなかった。
なぜ勝てたのか。
だが、その直後。
黒い霧のようなものが、魔狼の体から溢れ出す。
それはレインの右手へ吸い込まれていった。
【継承成功】
【身体能力を一部獲得しました】
【夜目能力を獲得しました】
【魔力総量が微増しました】
「――ッ!?」
視界が変わる。
暗かった夜道が、昼のように見えた。
全身に力が満ちる。
その時。
空の黒い月が、不気味に脈動した。
まるで。
レインを見つけたかのように。
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