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三日月物語  作者: イカコルレオーネ
12/17

第十二回:赤城、海を知る

時は戦乱の世。資源豊かな大陸「聖域」を巡って各国間で大戦が勃発すると、戦火は各国に広がり、大戦は百年以上続いた。この世界中全ての国家が巻き込まれた大戦を百年戦争という。この物語はその激動の時代を生きた人々を描く。二十歳の若さで新型巡洋戦艦の設計を任された雪日陽子は、革新的な装甲を採用しつつ、大体の艦型は従来のものを取り入れるという保守と革新を両立させた。

 汐城軍港の近くにあるビジネスホテルで二人は泊まっていた。陽子はホテルの部屋に入るなり、カバンから図面とノート、計算尺、そろばんなどを取り出して小さなテーブルで作業を始めた。

「見てよ。テーブル小さくない?」

「そんなもんだよ。何やってるんだ?」

守は陽子が巡洋戦艦の設計をしているという事を知らない。

「……お絵描きよ。」

陽子はお絵描きと言ったが、机上に広げられた複雑な数式や曲線が描かれた図面は、どう見ても絵には見えなかった。

「数学のお勉強じゃないのか。数学勉強してた頃が懐かしいよ。……腹減ったな。」

「シベリアならあるけど……。」

陽子はカバンからシベリアを取り出した。守は礼を言って受け取ると、がっつきながら食べた。

「そんなにお腹減ってたのね。」

「あぁ、ちょっとシャワーを浴びて今日は寝るよ。お前はどうする?」

「この宿題が終わったら入るわ。とても大切な宿題なの。」

「そうかい、ちゃんと丸付けするんだぞ」

守は欠伸しながら言い、シャワーを浴びると寝間着を素早く着てベッドの中に潜った。陽子は守をちらっと見たが、その時彼は既に寝ていた。

「よっぽど疲れてたのね……。」

陽子は守に毛布をかけ直してあげると、服を脱ぎ、シャワー室に入っていった。

 この数日後、守はネンボ島奪還作戦の功績により、海軍大尉に特進した。敵装甲巡洋艦を撃沈したからである。これは海軍兵器開発局にも伝わった。

「旧式駆逐艦で装甲巡洋艦アンナを沈めるなんて凄いですね、主任。」

ブルア公国が発行している世界海軍年鑑を片手に持つ桓武陽介海軍技術大尉が黙々と仕事する陽子に話しかけた。

「なんか言った?」

「陽子主任の旦那、工藤守少尉が装甲巡洋艦アンナを沈めたこと、海兵局でも持ちきりです!」

「あら、そうだったの。彼は私に話してくれなかったから知らなかったわ。」

(おとこ)は武勲を語らず、背中で語るとは正にこの事ですな!御存知ですか?装甲巡洋艦アンナは艦種は装甲巡洋艦とはいえ、戦艦並みの火力、防御力を誇る軍艦で、歴戦の名艦でもありました。これを旧式駆逐艦で沈め、アンナは爆沈!愉快極まれりです!」

それを聞いた途端、陽子は計算尺で机をバンと叩き怒った。

「守は命懸けで戦って、一か八かの作戦をとったのよ!山風は最初期の駆逐艦、普通そんなひ弱な艦艇で沈められるはずが無いの。一か八かの判断をさせられたのに、あなたみたいに武勇伝として話すのは不快極まれりよ!」

「も、申し訳ありません、主任……主任!?」

怒っていた陽子は急に崩れるように倒れ、顔色が非常に悪くなっていた。

「吐き気がする……。」

「吐き気?だ、誰か手伝ってくれ!」

「主任、いかがされましたか」

「気分が優れないそうです、介抱してやってください。」

だが陽子はゆらりと立ち上がり、大丈夫と告げるとトイレに向かっていった。

「二日酔いか主任は?」

技師の一人が桓武に尋ねたが、桓武も理由は分からない。

「私にも分かりません、病気かも。」

「熱があるのか調べてくれ。主任がいないと仕事が出来ないから、なるべく早く病院へ連れて行こう。」

「分かりました。」

陽子は吐き気が治まるまでトイレで吐き続け、その間、海兵局局長板野が仕事部屋を訪れた。

「局長、半裸で如何されましたか」

「乾布摩擦しようとしていたら布が消えたんだが知らんかね?」

「何故こんな時間に乾布摩擦を……。そんな事より局長、陽子主任の具合が悪いそうで……。」

桓武は半裸の変人局長に陽子の具合を伝えた。

「ふーむ、それは心配だな。そんな事より君達私の家で飯食わんか。お裾分けで魚貰ってな、家内で食べきれんのだ。」

「はっ、私は大丈夫ですが……。魚の名前は?」 

「いや、30センチぐらいの魚と記憶してるんだが……。何という名前か忘れてしまった。北の方にいる魚で、青森から送られてきたやつだ。」

「魚には詳しくありませんから、よく分かりませんね……。サバでしょうか?」

「サバって北で釣れるのか?」

「いや、自分がサバが好きなだけです。」

桓武がそう答えた同じタイミングで陽子がトイレから出てきた。

「あっ、主任、大丈夫ですか!?」

「私、妊娠したかもしれません……。」

陽子の一言に桓武は固まったが、板野局長はハッとした表情で嬉しそうに大声をあげた。

「桓武!!思い出した!陽子君、教えてくれて感謝するぞ。ニシンだ!ニシン!陽子君はニシン食べたことがあるかね?」

「局長、ニシンではありません、ニンシンです。」

板野局長は陽子の妊娠を(ニシン)と聞き間違えていたようで、桓武は即座に指摘する。

「ニンシン、あぁ、妊娠。確かに、ニシンの卵はカズノコで子孫繁栄の意味があったから、上手いと言ったら上手いな。」

「違います、局長!陽子主任が妊娠しているかもしれないのです!」

苛立った桓武がそう言うと、ようやく板野局長も理解できたようで、陽子に話しかけた。

「君、妊娠したのか?」

「はい、夫との子供です。生理も最近来ないので、確実かもしれません。」

「そりゃぁ、おめでとう!うん、おめでとう!いや、まだ分からんか?とにかく、病院へ行こうな。うん、ええと、車を用意するか?誰か、車を出してくれ!」

技師の一人が車を出し、陽子を乗せて病院へ向かったのを見届けると桓武は一つの不安を板野局長に打ち明けた。

「局長、実は不安があるのですが……。」

「うむ、陽子君を招くなると、ニシンでは悪いな。めでたい出来事だから、鯛とか鮪とか、鰒とかそういう高級なやつのほうが……。いや、妊婦にそういうのは駄目だったかな。いや、分からん。女房に聞かないと分からん。」

「そういう事ではありません、局長!800号型の設計主任は彼女です!子が出来たとなりますと、設計に支障が出てしまうのでは?」

なるほど、と板野局長は頷いた。

「だが彼女の頭脳は我々にとって絶対に必要だ。子が出来たぐらいでなんだ、陽子君には海兵局の一員として働いてもらわなくては。本当に腹の中に赤子がいるならば、とりあえず出産のために休みを与えるのが一番だろう。」

板野局長は変人の中の変人であったものの、こういう点や造船においては非常に優秀な人物だった。陽子は病院で医師から妊娠している事が告げられると急ぎ海兵局でそれを報告した。

「大任の最中にも関わらず、子供を作ってしまった私の責任は強く感じています。厚かましいですが、どうか最後まで私にやらせてください。出産の時までには何とか設計は完了するはずです。本当に申し訳ありません……。」

「いや、違う。子供を作ることは悪い事ではない。確かに少しは支障が出るかもしれんが、数年前にここで起きた派閥争いより全然平気だ。まぁ、なんだ。無理そうだったらすぐに言ってくれ。言っちゃなんだが、君の代わりはいくらでもいるのだ。個人的には無理してほしいが、君が無理そうだったら良いのだよ。」

陽子は板野局長の不器用ながらも心から自分を思ってくれている事を痛く感じ入り、深々とお礼すると共に、最初彼を変人としてでしか見ていなかった自分を恥じた。

「ありがとうございます、局長。頑張ります。」

「うん、まぁ、うん。頑張ってくれ、いや、旦那さんによろしく。」

 海兵局には寮があり、技術士官はここで生活したりしているが、板野局長のように自宅から通勤する者もいるし、基本的に重工業から派遣された社員も自宅から通う手筈となっている。平野重工社員の陽子はそんな事から十多港に近いアパートに住んでいた。アパートと言っても広くはないが、陽子は守と二人で暮らしている。とはいえ守は艦隊勤務で艦内で暮らす事も多いため、実質陽子だけの住処かもしれない。この日は守がアパートに帰ってきた。玄関のドアには「工藤·雪日」とある。陽子と守は結婚していたが、彼女の祖父である雪日院忠興は自身の孫の姓が平民の姓になる事に反発し、その結果結婚していながらも二人の名字は別々のままだった。

「米がまた値上がりしてさ、嫌になるな。」

「幕府が腐敗してるのよ。富を独占して。税金は絞れるだけ絞ろうとしてるのに……。今では朝廷からも税金を搾り取ってるのよ。」

二人は一緒に夕食を作りながら世間話をするのが日常だった。

「まぁ確かに政府のやってる事はアレだが、俺はそんな政府を守る為に軍人やってんだから、悪く言えねぇな。陽子は民間企業だけど俺は国家公務員だし、この前その政府のおかげで、海軍大尉に昇進できたんだ。」

「私だって、民間企業の社員とはいえ今では海兵局に派遣されてるんだから、ある意味国家公務員よ。ほうれん草とって。」

「あいよ。」

「ほうれん草のおひたしを作ります。」

「あぁ、違う、根の方から入れる、熱湯はたっぷり。」

陽子は秀才ではあったが、料理の方はいまいちだった。名門貴族家出身であれば当然料理は使用人が作るものであり、陽子は家を出るまで料理をした事が無いと言う有様だった。その点、守は料理が非常に上手かった。

「綺麗で美しい緑になったら水に取り、引き上げて水気を切る、いいな。」

「知ってるわよ。わざわざどうもご親切に。」

この日の献立は(ぶり)の鍋照り焼きに蕪の甘酢漬け、ほうれん草のおひたし、豆腐とわかめの入った味噌汁というシンプルな献立だった。守は基本的に食事をしている時黙る。美味しいといった言葉は言うが、それ以外の話はしない。陽子は守に打ち明けることにした。

「ねぇ、守。」

守はちらりと陽子を見て、美味いと言うと再び食事に没頭した。

「赤ちゃん出来たの」

途端、守は飲みかけていた味噌汁を噴水の如く吹き、陽子の顔に熱い味噌汁が直撃した。

「熱い!あつ!」

慌ててタオルで自分の顔を拭く陽子に、守は動揺した顔をした。

「赤子、誰の!?」

「あなた以外に誰がいるのよ、嬉しくないの?」

「いや、すまない。いきなりの事だったから。そりゃ、びっくりするよ。夕食食べてたら急に妊娠したと言われたんだから。」

クスッと陽子は笑い、確かにそうねと頷いた。

「陽子、それで何週間ぐらいなんだ?」

「一ヶ月と一週間ぐらいかしら。」

約一ヶ月前はネンボ島奪還作戦の前である。

「じゃあ、出産まであと9ヶ月くらいか……。御両親には伝えたのか?」

「ええ、電話でお父様に。喜んでいたわ。」

「頑固爺はどんな反対するだろうなぁ……。」

 頑固爺とは、陽子の祖父雪日院忠興である。この老人は陽子と守の結婚に強く反対し、守が藤原摂関家の直系子孫と知っても首を横に振り続けた。結婚式においても彼は出席していない。そんな頑固な老人の息子であり、陽子の父親でもある雪日院忠月は娘が妊娠したと知ると、それを忠興に伝えた。

「父上、父上。」

忠興は近くの農家で畑仕事を手伝っていた。元々筋肉質であったこの老人は汗まみれになって畑仕事に励んでいる。

「なんじゃ。麦茶かね?」

「陽子の事で、お話が。」

気持ち良さそうな汗をかき、爽やかな表情をしていた彼は、陽子と聞いたとたん元の不機嫌な老人になった。

「ふん、知らん。」

「驚かれますよ。」

「この歳になって驚くことなど無かろう。さぁ、言え。」

「……陽子が子を宿しました。お喜び下さい、曽祖父となるのです。」

「貴様、何を喜べと申すか!!!」

忠興は怒鳴り、禿げた頭からは湯気が立ち昇るほど怒りを顕にし息子の忠月を恐れさせた。

「わしの可愛い孫娘が!あんな悪ガキとの子を孕むとは!!良いか、わしは、あの子が赤子の頃からずっと見てきたのだ!!厳しく育て、謙虚で慎ましく、誇りある強き女性に育てようと努力したのだ!!初めてオムツを変えたのもわしじゃぞ!父親である貴様より、わしは陽子を思っちょる!」

「いや、私とて陽子を大切に思ってます。しかし父上、腹の中の子に罪はありません。二人の愛の結晶です。」

「愛の結晶!?笑わせるな、子供なんぞ愛が無くとも作れる!遊びで生まれる子供もいるのだぞ!くそっくそっ。」

「確かに父上の仰る事も一理ありますが、曾孫が生まれるのですよ。出産の日にはせめて労いの言葉をかけて下さい。」

「黙れ!!曾孫が生まれてくる事に関しては嬉しいわ!!」

頑固な老人はストレスを発散するかのように再び畑を耕し始めた。

 1921年4月16日、陽子と守との間に女の子が生まれ、二人は晴れて一児の親となった。

「元気な女の子ですよ」

看護婦から大声で泣く小さな赤ん坊を抱かされた守は思わず息を呑んだ。昨日までいなかった命が、今日初めて世界に現れた。毎日多くの者が死に、死んだ数と同じだけ新しい命が産まれる。当たり前と言ったら当たり前の事実を目の前にすると、やはり神秘さを感じるのである。

「俺の、子供。いや、陽子と俺の子供……。」

守の母親も若くして死に、父親も国防学校時代に世を去った。肉親は姉一人だけだった守だったが、この日自分の血を確かに受け継いでいる者が現れたのである。これほど嬉しいことは無かった。

「あなたに似た瞳よ。」

ベッドで休む陽子が赤ん坊を抱く守に話しかける。赤ん坊は綺麗な黒の瞳だった。

「俺達もこんな感じだったんだな。もう21年も前の話だが……。」

「一日違いで産まれて、同じ小中で過ごして、こうやって結婚して、本当に私達っていつも一緒ね。」

「あぁ、この子は俺達二人が一つという証拠だ。」

「喧嘩はするけどね」

陽子がクスクス笑いながら言い、守もつられて笑った。私も抱きたいと言ったので、赤ん坊を陽子に抱かせる。陽子は愛おしそうに赤ん坊の手を握った。

「見て、小さい。赤ちゃんの手って本当に小さいのよ。それに柔らかくて、いい匂い……。」

「お前みたいな美人になってくれれば、嬉しいな。いつか好きな人を見つけて、結婚して、子供を産んで……。」

「そんな事より、もっと近い未来のことを話しましょうよ。三人でお花見して、それで……。」

陽子と守が二人きりで話していると、看護婦が申し訳なさそうに言った。

「工藤様、申し訳ありません。あの、御見舞の方がいらしました。雪日院忠興と名乗っておりますが……。」

「お祖父様!?私とは縁を切ったとは思っていたわ。」

「とりあえず、通してください。」

病室に入った忠興は杖をついて歩いていた。正月に足を悪くしたのである。それ以外は何も変わらず、相変わらず鋭い目で黙って赤ん坊を見た。

「これが、お前たちの子か。」

二人に挨拶をする事なく、忠興は泣きつかれて寝ている赤ん坊を指さした。

「はい、お祖父様。抱かれますか?」

忠興は陽子をちらりと見て、少し嬉しそうに頷くと慎重に赤ん坊を抱いた。何をするか分からないと守は心配に思って見ていたが、無用だった。赤ん坊が目を覚まし、再び泣き出すと忠興は優しく微笑み、あやした。やはり陽子の祖父だけあって、微笑む顔はどこか陽子に似ていた。

「ほれほれ、ひいじっちゃですよ、ほれほれ、泣くな、泣くな。ほれ、かわいいのぅ。んん?守!この子の名前はなんじゃ。」

「ま、まだ決めてません。陽子と話し合って……。」

「遅いわ!!」

忠興が怒鳴り、赤ん坊が再び泣き出す。

「すまんの、すまんの。良い子じゃ。ひいじっちゃは口が悪いんじゃ。守君、もし良ければ、私を名付け親にしてもらえんかね?」

「陽子、どうする?」

「私は構わないわ。お祖父様、良い名前がありまして?」

赤ん坊を陽子に返した忠興は、鞄から一枚の紙を取り出した。

「勘違いするな。この子はわしの曾孫だから名前を六ヶ月かけて考えてきた。男と女、どちらに生まれても幸せに生きれるようにな。お前達の為では無いから誤解するな。」

「分かりましたから、早く。」

陽子が急かすと頑固な老人は少し笑みをこぼしつつ紙を見せた。

「里美、里美はどうじゃ!我が家が治める藤花は山は力強く美しい上に、緑豊か。川は清らかにて、美しい事この上なし。そんな美しい里に産まれ育った二人の子、よって里美じゃ。大きくなれば、姿は藤花に流れる川のごとく清らかで美しく、心は藤花の山の如く大きくなるであろう。」

「俺は良い名前だと思います!」

「私もそう思います。ありがとう、お祖父様。」

褒められた忠興は嬉しそうに笑い、赤ん坊に話しかける。

「父さんと母さんが認めてくださった。お前の名は里美じゃぞ。里美、里美。わしはお前のひいじっちゃじゃ。」

「あの、お祖父様、お父様は?」

「忠月は朝廷におる。それとお前達、いつまであのアパートに暮らしているつもりか?」

忠興はいつの間にか二人が住んでいるアパートまで把握していた。使用人に任せることなく、自ら稲穂県から綏靖県まで赴いたのである。それなりのお金を貯めたら、一軒家を購入しようと考えていると守が答えると、忠興は首を振る。

「里美をあんな狭い家で教育するとは言語道断。駄目じゃ。今雪日院邸の近くにある廃墟を改装しておる。住んでいたわしの友人が死んで久しくての。そこに住まわそう。家も、庭も、我が邸宅に比べれば小さいが十分豪邸に違いない。」

「え、しかし御隠居様、そんな勿体無いですよ。とても……。」

「だまらっしゃい!お前のためではないわ!可愛い孫娘と、曾孫の為じゃ。お前も住んでいいが、情けではない。里美に父親がいないと、寂しい思いをさせるからな。」

陽子はコソリと守に言う。

「私達への結婚祝いよ。お祖父様らしいわ。」

「結婚祝いではないわ!いいか!守!装甲巡洋艦を沈めたかどうか知らんが、ムーの軍艦を沈めたからといって、龍朝が再興されるのではないぞ!貴様が龍朝を復興させる事ができた時、わしは初めてお前を陽子の夫として認めてやる。それまで精々励むんじゃな。だが忘れるな!妻と子を大切にせぬ者が、大業を成し遂げる事はあり得ないということを覚えておけ!」

「はい!」

守は敬礼で返した。

「良いか、陽子。立派で強い母になるのじゃぞ。お前ならきっとなれる。」

「はい、お祖父様。」

「あと、お花見もするぞ!綺麗な着物を着せてやる。守!貴様も来てもいいぞ。娘にとって父親との思い出は大切じゃ。」

「ありがとうございます、御隠居様。」

忠興は満足そうにうなずき、小学生になるまで生きてやるぞと言い続け部屋を去っていった。彼は非常に頑固な老人だった。朝廷でもその頑固さは知られていたし、自分の信念は決して曲げようとしない強情な人間であった。しかし、藤花町では彼は多くの者に慕われていた。日々質素に謙虚に生きることをモットーとし、近くの農家の仕事を手伝いに行ったり、領民が結婚するときは着物をプレゼントしたりしていた。彼が顔を真っ赤にしながら悪ガキを追いかけ回すというのは日常茶判事であり、守も陽子も追いかけられていた一人だった。だがある日、幼い守が怪我をしたとき、この老人は守をおんぶして雪日邸まで連れていき、自ら治療した。頑固ながらも所々見える優しさは多くの人に愛されたが、雪日院忠興は曾孫が小学校に入学するところを見届けることなく、この一年後に世を去った。1922年5月11日の事で、83歳だった。

 話を800号型巡洋戦艦に戻さなくてはならない。次の日、陽子のもとに桓武陽介海軍技術大尉が訪ねてきた。

「主任、聞きましたか?800号型巡洋戦艦が5隻建造から3隻建造と減らされました。」

「仕方ないわ。装甲が非常に高価だもの。そのまま5隻建造したのであれば、ますます国民は飢えるし……。」

この時、800号型巡洋戦艦の設計は完了し、建造に移行していた。陽子はあくまで設計主任であるので、建造について関わることはあまり無い。当初800号型巡洋戦艦は当初5隻の建造を予定していたが、新型装甲のHHIL装甲を採用した為に高価になってしまい、3隻に減らされてしまっていた。

「そんなことより主任、御出産おめでとうございます。粗末なものですが、果物を持ってまいりました。もし良ければ旦那さんと。」

「ありがとう、桓武。私ももうすぐ復帰するわ。仕事をしなくちゃね。」

「無理はなさらんでください。私は帰ります。新しい仕事を任されましたので。」

「新しい仕事?」

「また戦艦を建造するみたいです。私もその設計に携わる事になりました。やはり主任が仰ったとおり、海軍は戦艦を量産するつもりですね。」

陽子はため息をつく。

「駄目よ。いつ聖域大戦が再開されるか分からないのに、こんなに無闇に軍艦を建造して……。一隻戦艦を造る金があるなら、国民の生活を向上させるべきなのよ。」

「いえ、主任。それは違います。いつ再開されるか分からないからこそ、軍備を拡張する必要があるのです。問題はそこではありません。富をブルア貴族達が独占してるんです。朝廷からも税を搾り取っているのに、庶民の生活は一向に向上しません。本来、税とは国民の生活を豊かにするためのものです。」

「幕府が腐敗しているのね……。植民地も反発が大きくなってるというし、いよいよ大和公国は終わりかもしれないわ。数年以内に、大きな暴動が起きるかもしれない。」

 果たして陽子の予言は的中した。弁護士の伊藤義正は大龍民族党を結成し、ドラゴニズムを提唱。大龍民族の独立、皇室の再興を主張するもので、瞬く間に国中にその思想が広まった。

3年後の1924年6月、この時守と陽子は忠興が遺した藤花町にある豪邸で暮らしていた。陽子は一年前にまた女の子を産み、四人家族となった。二人目の子供は愛海と名付けられている。

「せっかくの休日なのに何処に行くんだ?」

愛海と里美の二人の娘と共に絵本を読んでいた守は、陽子が出掛ける準備をしている事に気付き問うた。

「なんか、雪日院邸に集会が開かれるらしいの。伊藤義正っていう方が来られるようで……。大勢人が来るようだから、手伝いしに行くの。」

「俺も行こうか?」

「あなたも行ったら里美と愛海はどうするのよ。あ、それに、お客さんが来るから迎えてあげてね。」

「お客?」

「長門院和光さんよ。私達の結婚式にも来てくれた、朝廷臣下の長門院和正様の息子さん。」

守は思い出した。当時13歳の子供で、丁寧で優しそうな美少年という印象だった事を覚えている。

「分かった。お迎えするよ。」

この一時間後くらいに、長門院和光がやってきた。和光は当時高校一年生で、名門高校の汐城高校の学年トップの英才だった。

「工藤海軍大尉、お忙しい中ありがとうございます。」

丁寧な挨拶をする和光に守は笑顔で応える。

「長門君、良く来られましたな。陽子は今、雪日邸にいますよ。なんか集会開くそうで。それより、可愛いでしょ、俺の娘の里美です。今年で3歳になります。こっちは次女の愛海。」

和光は暫く守と話をすると、集会を見に行きたいと言った。守も元々どんな集会か気になっていたので、子供二人を抱き、和光と外を出た。雪日院邸の近くまで来ると、門前には多くの民衆で埋まっており守を驚かせた。

「まさかここまで混んでるとはな」

「裏口みたいなのはありますか?」

和光がそう聞くと、守は頷いた。

「あるよ。行きましょう。人混みは好きじゃないんですよね。」

守と和光は裏口から入り、邸宅に入る。広大な庭は完全に民衆で埋まっていた。屋敷の中では使用人達が駆け回り忙しそうに働いており、陽子も使用人と共に手伝いをしていた。

「陽子!」

守は陽子に声をかけると、彼女はすぐに反応した。

「守!あなた何こんなところに子供連れてきてるの!?馬鹿じゃないの!?あら、長門君ではありませんか!慌ただしくて申し訳ありません。皆、ここまで集会が大規模なものとは思わなかったので。」

「いや、悪いな。長門君が行きたいと言ったから、せっかくなんで俺も行こうと思ったんだ。それにしてもこの人混みはすごいな。」

「でしょう?お父様も流石にこれは多すぎるって怒っていたところよ。」

「屋敷には人を入れないんだろ?なら別に大丈夫だろうよ。」

 二人がそう話している最中、外から拍手と歓声が聞こえてきた。使用人が伊藤先生の演説が始まりました、と伝えに来ると、和光は外に出ようとした。

「長門君、どこへ行くんです。」

守が聞くと和光は照れくさそうに笑いながら、

「申し訳ありません。僕、本当は伊藤先生の演説を聞くためにここに来たんです。」

と言ったので、守はなるほどと頷き和光についていった。

「今日の集会に、これだけ多くのドラゴニストの同志諸君が駆けつけてくれた事に対して嬉しく思う。そして、今回会場を提供してくれた、雪日院家には心より感謝する他ない。雪日家は純粋大龍民族ではないが、何処かの朝廷を愚弄し権力を思いのままに操る民族より、ずっと大龍民族精神を持っている!」

守が外に出たときには演説は始まっていた。

「威厳のある声だな。」

守は率直な感想を言う。

「長きに渡る聖域大戦は未だ終結が見えない!本国及び植民地を守るために軍備を強化するための税金は、彼らの贅沢のために使われているのだ!諸君!私や君が懸命に働いて得た金を、彼らは横取りし、贅沢にふけっている!なのにブルア貴族は我々をなんと呼んでいるか?下衆と呼んでいるのである!我々の金を横取りし、毎日遊び三昧、朝廷の意向を無視し聖域戦争を泥沼化させ、ブルアの女共は淫らに男達と交わっている!どちらが下衆だ!?」

民衆の一人が「ブルアの奴等だ!!」と叫んだ。

「そのとおり!ブルア貴族こそ下衆!今や朝廷の活動費でさえ横取りしようとしている奴らを許すわけにはいかない!諸君!我と共に立ち上がり、ブルア民族を粉砕しようではないか!そして、大龍民族と帝による国家を復興しよう!我と、我が戦線に加われ!!ジィー·ディー!

!」

『ジィーディー!ジィーディー!ジィーディー!』

馬鹿ではないのか、守は思った。浅い演説で、共感できるのは少ない。確かに政府は腐敗しているが、今政府を終わらせようと立ち上がれば、内戦は回避できない。内戦となった場合、損をするのは解放同盟という敵陣営だけなのである。しかし、隣で聞いている和光は拍手をして賞賛をしていた。

「本当に凄いですね、もうすぐブルア貴族の世が終わり、僕達大龍民族の時代になると思うと、胸が踊ります。帝がブルア人討伐の詔を出せば、彼らは迷いなく立ち上がるでしょうね。」

(これが全国一位の秀才の感想なのか)

守は少し呆れた顔をし、自分の考えを打ち明けることにした。

「あの演説の内容、少し極端だ。今帝が詔を出してみろ、ブルアの恩恵を受けた者達と国軍、ドラゴニストとの間に戦いが起き、国は内戦状態になる。それで誰が得をすると思う?」

「え……。」

和光は予想外の反応だったようで、困惑を隠しきれていない。

「解放同盟の奴らだよ。我が国が内戦をしている間、彼らは艦隊を派遣して聖域を奪おうとするだろう。植民地もそうだ。内戦を機会に独立しようとする。いいか、今の国が腐っているとしても、内戦が始まれば腐敗を早くするだけなんだよ。」

「………。」

沈黙してしまった和光に守は手を握って話を続ける。

「和光君、君は朝廷の臣下の家柄だ。帝が無碍にされているのには耐えられないでしょう。……しかし、武力に訴えてはいけない。国内には平和を望む人達がいっぱいいるんだ。武力に訴えたら、彼らが巻き込まれてしまうでしょう?」

和光は赤面していた。恥ずかしくなったのだろう。守は少しおかしくなった。

「恥ずかしがるのは分かります。私は落ちこぼれの海軍士官、君は秀才だ。でも、君は若い。若いから、多少の過ちは仕方ないんですよ。」

和光は集会が終わると礼を述べて帰っていき、守は彼を見送った。この後、長門和光は皇室再興に活躍する事となるのであるが、この物語を最初から読んでいた読者は存じているだろう。

 この一ヶ月後、陽子に800号型巡洋戦艦の艦体が完成したという報告が来た。以前にも述べたが、軍艦の建造には手順がある。最初は「基本仕様」という形で、どんな艦が欲しいかという要望が軍から設計者に伝えられる。設計者はそれに対して艦型や諸元などを決めるが、これを「基本設計」という。基本設計を終えて、ようやく詳細な設計図が作成される。いわゆる「詳細設計」である。詳細設計を終えれば、ついに建造となるのである。建造はドックや船台で行われるが、この時の主流は船台建造方式だった。この方式はドック上に船の背骨にあたる竜骨(キール)を据え、肋骨のように横方向に肋材を接合してゆく。現在ではブロック建造方式が主流であったが、当時はまだ未知の技術であった。そして艦体が完成すると進水式が行われるが、命名式も同時に行われる。陽子には800号型巡洋戦艦3隻の艦名を考えるよう海軍から命令された。

「設計よりも難しい依頼ね」

海兵局の会議で陽子が言うと、皆が笑った。

「主任、既存の艦名でなければ何でも大丈夫だそうです。」

「いいえ、戦艦クラスは山と国の名前と決まってるわ。」

艦名には艦種によって基準がある。世界各国によって基準は違うが、当時の大和公国の場合、戦艦は旧国名、あるいは現国名、山岳名であり、巡洋艦クラスは山岳名、河川名、駆逐艦は人名、植物名、気象名と決まっていた。

「土佐とか加賀とかはどうです?」

「いや……紀伊とか、尾張、生駒とか。」

「周防なんてのはどうです。私の出身地でして。」

「駿河、近江、岩国といった案もありますね。」

「まぁまぁ、この件については主任が決めることです。皆さんが決めることではありません。主任、如何されますか?」

桓武が陽子に聞くと、陽子は微笑んだ。

「決まったわ。艦名。」

「おお、誰か。紙と筆、墨を。」

陽子は筆をとり、三枚の紙に三隻の艦名を書いてゆく。

「書けたわ。新型巡洋戦艦の艦名は………。」

陽子が紙を技師達に見せる。

「天城、赤城、高雄よ。」

天城、赤城、高雄、いずれもこの国において神聖とされている山岳名だった。天城山は神州にある山の一つで、一万年前、太祖神龍皇帝が誕生した場所とされている。なお、神州は神々が住む神聖な島とされている為に不可侵となっており、謎が多い。赤城山は西州の長岡府にある山である。長岡府は龍朝最初の都であり、神龍皇帝は神州から国家建設の使命を受けて赤城山に登り、頂上に自分の剣を刺し帝位についたと言われている。諸説はあるが、赤城山の頂上こそ龍朝誕生の聖地とも言われているのだ。高雄山は浪華府にある山である。浪華府は長岡府の次に古い都で、汐城京が造営されるまで龍朝の都として君臨していた。高雄山には五千年前、龍朝が豪族に割拠され百分された時、興龍皇帝がそこで天下統一、龍朝帰一を天に誓った場所と言われている。

「なるほど、革新的な巡洋戦艦に相応しい名前ですな。」

「しかし主任、赤城山と天城山、どちらかというと赤城山の方が有名です。何故なら天城山は神州にある山にて、いまだ誰も実際に見た事がありません。800号には天城ではなく、赤城とするべきでは?」

「桓武、あなたの言うとおりよ。赤城山の方が有名なのは知っているわ。でも、三姉妹のうち次女は恵まれないって言うじゃない。だからせめて、名前だけは立派にさせてあげたいの。」

「そんなもんで良いのですかね……。」

桓武は心配が拭えないような感じで、陽子は微笑む。

「案外、二番艦の801号が活躍するかもしれないわよ?」

 1924年8月1日、800号型巡洋戦艦の進水式が十多造船所にて行われた。メッケル首相を始めとした政府の首脳達も臨席し、式場は多くの軍人や貴族達で溢れかえっており、国連各国の来賓もちらちらといる。本来進水式は一隻ずつ行われるものであるが、800号型においては3隻同時で行われることとなっていた。メッケル首相が壇上に立ち、挨拶を述べ終えると、いよいよ艦名の発表となり、神祇大臣が巻物を持って読み上げる。

「神聖大和公国海軍、大型装甲巡洋艦八○○号、汝に天城の名を与える!位は巫女、丸。今後は、大型装甲巡洋艦天城丸と名乗るべし。」

天城と名付けられた800号の直上にあるくす玉が割れ、紙吹雪や風船と共に「天城」と書かれた垂れ幕が現れる。

「神聖大和公国海軍、大型装甲巡洋艦八○一号、汝に赤城の名を与える!位は巫女、丸。今後は、大型装甲巡洋艦赤城丸と名乗るべし。」

天城と同様、801号のくす玉が割れ、「赤城」と書かれた垂れ幕、紙吹雪、風船が華やかに現れる。

「神聖大和公国海軍、大型装甲巡洋艦八○二号、汝に高雄の名を与える!位は巫女、丸。今後は大型装甲巡洋艦高雄丸と名乗るべし!三艦、海神と祖国に尽くすように!以上!!」

くす玉が割れ、「高雄」と書かれた垂れ幕に紙吹雪、風船が現れ次の瞬間、3隻同時に大和酒の瓶が叩きつけられる。

「進水始めー!!」

兵士たちが大きな太鼓を鳴らし、ドン、ドンという響き渡る音と共に天城、赤城、高雄がゆっくりと船台を滑ってゆく。ザバァンと天城が海に入り、赤城、高雄が続いて海に入る。後に歴史に大きく名を残す事となる赤城は、この時初めて海を知った。今はまだ魂も何もないただの兵器ではあるが、確かに彼女はこの時海を知ったのである。しかし、祝福する者は少なかった。この時政府は国民への重税を増やした上に、政府に批判する者を即座に殺すようになっていたからである。優れた天城型巡洋戦艦も、重税に苦しみ、言いたい事を言えない国民にとっては正に抑圧の象徴であり、後に国家の象徴となる彼女たちは、この時憎悪の対象でしかなかったのだ。

次回予告

新型巡洋戦艦が進水した一方で、国民の生活は向上しない上、重税をかけられ言論を制限され、ますます不満が高まる。彼女たちは憎悪の対象となるのである。彼女達の爆破を考える者まで現れるのだが……。ドラゴニストよ、刮目せよ!

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