本編 其ノ十五 -到着-
「酷い話ですね・・・この真白様が、あまりにも可哀相です・・・」
手渡された真白様伝承を読み終わると素直な感想が口から漏れたと同時に、誰かのモノかも判らないような、強い癇癪にも似た怒りが全身を襲いファイルを持つ手に力が入った。
「そうだね・・・私も始めてこれを読んだときは酷い話もあるものだと、暫くは頭から離れな忘れなかったよ・・・が、それを読み終わった時のキミの怒り、それは一体、誰の感情なんだ?」
「・・・」
その言葉とじっと観察するような視線に見つめられて言葉が出なくなる。
そうだ・・・なんで私はあんなに怒りを覚えたのだろう?確かに、反吐が出るような内容ではあったが、癇癪を起こしそうになるほどの、無意識に手に持ったファイルを歪ませてしまうくらい力が入る程の内容であっただろうか?これは四百年近くも前の話で、伝承だ。この真白様が私の御先祖様であるわけもなしに、どうしてこんな、身内が被害にでもあったような怒りを覚えるのだろう?
もしや、と思った。その瞳を見るに、木葉さんもそう思っているのかもしれない。
この泥は白いヤツから流れ込んだものだ。つまり、体内にこの泥がある限り私とヤツは繋がっている。
もしかしたら、この泥が伝承を読んだ私の怒りという不の感情に呼応して、私の精神を壊そうとしているのか、はたまた木葉さんの予想通りヤツが真白様だというのなら、真白様と繋がっている私にその怒りが流れ込んできたのかもしれない。木葉さんが予想しているのは恐らく後者だろう。
「木葉さんは、この伝承に出てくる真白様が、アイ文の白いヤツと同一の存在だと思っているのですね?」
「そうだ。まず一つ、その伝承によると真白様は白漆喰のように白い肌と髪、そして白子という単語。白子っていうのは先天性白皮症の人間を指す言葉で、キミと兄が見た白いヤツも真っ白い肌をしているそうだね。あと左目だけ、と黒い爪という点もヤツと真白様の共通点だ」
そう語ると、左手を胸の前の位置まで持っていき、軽く握られた拳から人差し指を立てる。
「確かに・・・あの白いヤツは着ている服も白いですが、肌もロウソクのように真っ白い。あの肌色、そう言われてみれば納得です」
「二つ、真白様の祟りに会った者は気が狂って死んでいった、とある。幸いキミも兄もキミの弟くんも今の所命に別状はないが、真白様の呪いないし祟りにあうと精神がやられてしまうということ。」
彼女の言うとおり、ヤツに憑かれてからは精神が侵食されるような、理性が壊されていくような、精神的に追い詰めて、精神が壊れそうな時をヤツは待っていたような感じがした。
「三つ、真白様は最後自害するときに部屋中に恨み辛みのこもった言葉を書き残したとある。アイ文もある意味呪いが掛かった文章だ。そして四つ、これが私の中で決定打となった。キミの弟さんが独り言で喋っていたというマシロさんという単語だ。東雲くん、その伝承を読んで私の話を聞いて、こんな偶然が在り得ると思うかい?」
四本の指を上げてそう問うてくる木葉さんの推測に、正直に自分の意見を返す。
「・・・全てを偶然と片付けてしまうには、少々厳しいと思います。ですが、この伝承によれば今でも真白様は神社で祀られている筈です。何故祀られて産土神となっているはずの真白様が、わざわざネットの海を彷徨って、通り魔のようなことをするのでしょう?いささか、納得ができない所もあります」
「うん、そうなんだ。私もそう思って今度は伝承だけではなく、来日村についても調べてみたんだ。そうしたら、また奇妙に一致をする事実が出てきたんだよ」
「奇妙に一致をする事実、ですか?随分と妙な言い回しですね?」
「これが他人事なら面白い、と言っているところだが、如何せん自分の家族とキミのこともあるからね・・・話を戻すが、マシロ様の祭祀はそこにも出てくる白木家の当主が代々執り行っていたんだが、その白木家当主が一年程前に亡くなったのを最後にして、断絶しているんだ」
「一年前というと、アイ文が流行り始めた時期ですね?」
「そうだ。どうだい?奇妙に一致するだろう?」
「確かに・・・」
一年程前に白木家が断絶し真白様の祭祀が途絶え、それと同時期にアイ文がネットで流行りだしたとなると、偶然にしては出来すぎている。
「私の予想はこうだ。真白様を祀っていた白木家が一年前に断絶し、真白様の祭祀が止まってしまった。だからそれに怒った真白様がこうやって、呪いや祟りを色々な所に撒き散らしている。あくまで仮定だが、これなら辻褄が合うと思わないかい?」
「うーん・・・それは、そうですが・・・いまいち腑に落ちません・・・来日村ではそういった、人がおかしくなったり、昏睡状態になったりするような、奇病みたいなものが発生したりしているのでしょうか?」
「私も調べてみたが、そういうことは無いみたいだ。表に出ていないだけかもしれないがね」
「そうですか・・・」
「あと、この白木家は名家だけあってその当時も現代でも裕福でね。白木家の寄進で真白神社も最初に造営されたあと、時代によって何回も立て直されたり改築されているんだよ」
「そんな小さな村でそれだけの寄進を各時代で受けているということは、権力者の力を見せる意味合いもあるでしょうが、それをやるだけの価値があるほど村民達からも信仰されている、ということでしょうね」
もし、木葉さんの言うことが正しいのならば、氏神であり産土神である真白様の祭祀を怠った来日村の住民が最も被害にあっていなければおかしい。なのにわざわざそこを飛び越えてネットからも人に呪いや祟りを送るというのは考えにくい。
それに、祭祀を司る者がいなくなったとしても、資料から読み取るに村の住人達は真白様のことを氏神・産土神として慕い祀っているはずだ。代々続いてきた白木家の祭祀が不可能になったにせよ、氏子達が祀っているのに、お怒りになられるとも考えにくい。
考えられるとするならば、祭祀の行われなくなった神社に誰も寄り付かず、荒れ果てて、挙句神社の中を無法者に踏み荒らされた、というのなら考えられなくも無いが・・・・・・
「ま、あくまでこれは仮定だよ。だからその腑に落ちないことを詳しく調査するために、今からそこへ向かっているんだ」
「・・・はい。そうですね」
考え込んでいた私の肩がポンと軽く叩かれる。
ここで考え過ぎていても始まらない、私は少し肩の力を抜くとコーヒーの口を開けた。
いつの間にか木葉さんは座席のテーブルをおろして、そこに先ほど買ったシュウマイ弁当を置き、結んである紐を解いている。あとは蓋を開けて食べるだけという状態だ。
「では話も一段落付いたし、私はお腹が減った。食べてもいいかな?」
「私も同じです、食べましょうか」
割り箸を合掌するようにもって、うきうきとしている木葉さんに笑みをこぼしながら、シュウマイ弁当に舌鼓を打った。
食べ終わってコーヒーを飲んでいると、おもむろに胸ポケットをゴソゴソとしながら「ちょっと吸ってくるよ」と木葉さんが席を立つ。
私は一人になると、自分なりに白いヤツと真白様の関係性について考え始めた。
木葉さんの説明と資料解説を聞いても、まだ私の心には大きく腑に落ちない気持ちがある。それは理論とか理屈とかではなく、うまく説明できない感覚的なものだが、私はどうしても真白様があの白いヤツと同じモノだとはとても思えなかった。
けれどもマシロ様とヤツは、何か関係しているということも感じている。その自分でも良くわからない感覚が真実に近いものなのか、それとも惑わされているだけなのか、判別することができず思考の堂々巡りになる。
新しい分岐点は無いものかと、思考の始点と終点を行ったり着たりして、それが廻り巡り何週もするほど私の意識はいつかしか深く深く沈み潜考していく。
・・・
・・・
・・・
そんな私の無意識の集中を打ち破ったのは、通路を挟んだ隣の席に座っている、母親が抱きかかえた赤子の泣き声だった。
どろりと、精神が歪む。
なんて癪に障る泣き声だろう。
ただでさえ集中を意図しない形で切らされて不愉快なのに、その子の母親が必死で宥めも、未だ止まぬその甲高くとても大きな泣き声に、目の前の座席を両手で掴んでぶんぶんと上下に揺すりたいような、自分でも理不尽だと思うような度し難い怒りが沸々と湧きいでる。
何を泣いてるんだ?なんで早く泣き止ませないんだ??何故母の胸に抱かれているのにお前は泣けるんだ??母がお前を気にかけてくれているというのに何故泣くのだ???嬉し泣きなら許す
そう思い、何故赤子が泣いているのか無性に気になって横を向いた。
そして、横を向いた瞬間、私は息が止まった。
「・・・」
私の右横
通路側に
私の真横に
ヤツが直立して
私を見ていた
真っ白い肌 黒い爪 白黒の左目 裸足
赤ん坊はヤツを見て泣いていたのだ
そりゃ泣き止むはずが無い
しかもその原因は自分にある
忘れていたワケではないが、忘れていた。気を抜いていた。
私の中に入り込んだヤツの泥の影響はまだ続いている。
この泥は、理性を乱し精神を侵す。
私は家族への想い、そして木葉さんという、この二つの大きな存在が精神を侵す泥への安定剤となって、ぎりぎり自分を保たせてくれている。
いわば小康状態にあるだけで、少しでも気を抜けば、ヤツに攫われるんだ。
「・・・」
呆然とヤツと見つめあう。
白黒瞳は相変わらず何も語らない。感情も何も見えない。虚無だ。
その瞳に魅入られているのか、徐々に視界が狭まってくる。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「東雲くん?」
「!?」
一服を終え、前方の通路の帰ってきた木葉さんに声をかけられ、我に返り、視界が開け、元に戻る。
横を向くともうヤツはいなかった。気付けば赤ん坊も泣き止んでいる。
「・・・どうした?変なところをじっと見て?」
「・・・木葉さんの帰りが遅いので、不安になっていたんです」
「・・・そうか。心配かけたね」
つい嘘を付いてしまった。
彼女もそれに気付いているだろうが、それ以上掘り下げることはしなかった。
それから暫くして目的の駅で新幹線を降りると、鈍行電車とバスを乗り継ぐ。
ガタンガタンと揺れながら走るバスに乗り、どんどんと山の中へ進み、進むほど自然の風景が多くなっていく。車内には私と木葉さんしかいない。のんびりと進むバスとゆっくり流れる景色、とても良い心地だ。
「キレイですね・・・」
「だね・・・今は、難しいことを考えないでこの景色を堪能しよう」
「はい」
お互い言葉も無く、バスから見える風景を堪能する。
とても良い時間を過ごした。
バスが到着し、料金を払って来日村に降車すると、発射したバスを見送ってバス停からこの村をぐるりと見渡す。
四方を山々に囲まれ、その山々の間の向こう側に富士山が見える。昨晩雪が降ったのか、地面にはうっすらと溶けかけの雪が残る補正されていない土道が続き、いたる所に茶畑や畑の畝が見え、少し離れたところにちらほらと点在する木造の民家、まさに田舎といった感じの風情があった。
「んんん~~~~!」
木葉さんは車中で固まった身体を解すように大きな伸びをする。その反って伸びた服の隙間から、ちらりと色白のキレイなお腹が見えた。
「着いたぞ東雲くん、ついに着いたぞ、ここが来日村だ!」
「はいやっと来日村まで辿り着けましたね」
「見たまえ東雲くん富士山だ!」
「はい!新幹線でも見えましたが、こんな近くで富士山を見たのは生まれて初めてです!」
二人ともヤケに気持ちが高ぶっていた。
一通りはしゃいで落ち着いた私達はこれからの方針を話す。
「では、まずどちらへ?」
「一にも二にも情報収集だが、とりあえず今は宿に行こう。こんなに重い荷物を持ったまま探索するのは合理的ではないからね」
「ですね。それに、宿の女将さんなら色々と地元のことに詳しいでしょうし、顔が効くかもしれません。荷物を置いて、女将さんに色々とお話を聞いて見ましょう」
「分かっているじゃないか東雲くん、それでこそ私の相棒だ。では行こう。宿への地図はここにある」
「はい」
私たちはスーツケースをゴロゴロと転がしながら目的の宿へと向かった。