本編 其ノ十三 -お泊り-
電車で二人隣り合って座り、私の家に向かう道中、木葉さんが「あ、そうだ。約束破ったんだからキミに拳骨百発だ」と言い出して、私の脇腹をポスポスと小突きだした。しかも「1、2、3」と小さな声で数を数えている。どうやら本気で百発打ち込むつもりらしい。小さな子供の肩叩き程度の威力なので全然痛く無いが、かえってその気遣われた力加減がこそばゆかった。
百発撃ち終わる頃には目的の駅に到着し、コンビニへと寄って夕食を買うと、私が住まうアパートに到着する。階段を上って部屋の前に着いて部屋の中にヤツがいないか確認するため、木葉さんには一旦外で待っていてもらう。
「木葉さん、ちょっとここで待っていて下さい」
「分かったよ、キミも男の子だしな、隠したいものもあるだろう」
木葉さんの冗談に「その通りです」と適当に答えて、持っていたスーツケースをドアの横に立てかけると、鍵を開けて家に入った。
玄関に入ると廊下の電気をつけ、そこから靴箱、キッチン、浴室の扉、居間の入り口を見る。ヤツがいない事を確認すると靴を脱いで、家に上がり居間となる和室タイプの六畳間に入った。中は敷きっぱなしのシーツがグシャグシャになった布団と家具があるだけで、この二日間ヤツの定位置だった場所を見るがヤツはいない。居間を出て最後に3点ユニットタイプの浴室も確認するがヤツはいなかった。すべての確認が終わるとすぐさま暖房のスイッチを入れて、布団も片付けずこの寒い中外で待たせてしまっている木葉さんを呼ぶ。
「お待たせしました、散らかっていますが、どうぞ上がって下さい」
「それじゃ、おじゃまします」
スーツケースを靴箱の所に置くと木葉さんを居間に通すと、敷きっぱなしにしてある布団をテキパキと畳んで、押入れから治用の座布団を取り出すと木葉さんに差し出す。
「ありがとう東雲くん。無理矢理お邪魔している私が言うのもなんだが、そんなに気を使わないでくれ」
木葉さんが座ったのを見て、私も自分の座布団を敷いてその上に座る。
こうやって私の家に木葉が来て、こんな近くで座っているなんて、なんだか不思議な感覚だった。
ヤツが見えないこと、近くに木葉さんが居てくれていることで、張り詰め侵されていた精神が少しは安定して安心したのか、私の腹がぐーっと鳴る。そういえば一昨日から何も食べてない、そのことに気付くと私は気持ち悪いくらいの猛烈な空腹を覚えた。
「お腹が空きました・・・」
木葉さんはくすっと笑うと、コンビニ袋を広げる。
「少し早いが夕飯にしようか。どうせ何も食べていなかったんだろう?空腹を覚えるほど体調が戻ってきたのなら良いことだ。それに、明日は早いからね。今日は早く食べて早く寝よう」
「はい」
コンビニ袋から各自が買ってきたものを取り出す。私は栄養ゼリーとサラダとおにぎり三個、柊さんサラダスパ一つだ。
私はドレッシングもかけずにサラダを搔き込よう平らげて、チューブタイプの栄養ゼリーでそれを流し込むと、三角型おにぎりの先端をげっ歯類のように前歯でモシャモシャと噛み切って口内に次々送り、殆ど咀嚼しないで飲み込んで、5分もしない内に買ってきたモノ全てを食べきった。
「すごい食べっぷりだね」
「すみません・・・」
「責めてないよ、モノを食べられる元気があるならそれで十分だ」
はしたない食べ方だったなと反省しながらも、食べきって一息ついた私はペットボトルのお茶を飲みながら、何気なくサラダスパを食べている木葉さんを見る。渡した座布団の上に横座りして、プラスチック製のフォークで静かにモグモグと食べている彼女は、なんだかとても品があった。食事でその人の育ちが分かるというのは、どうやら本当みたいだ。
「・・・」
「そんなに見つめられると食べにくいんだが」
「お気になさらず」
「お気になされないから言ってるんだよ、そんなに暇ならこのトマト食べてくれ」
フォークに突き刺されたミニトマトが私に向けられる。
「トマト嫌いなんですか?」
「嫌いじゃないが、進んで食べたいものでもない」
「それじゃあ、頂きます」
そのミニトマトをパクリと食べた。
ソースに着いた部分に少々塩気があって少々甘く少々酸味のある普通のミニトマトだ。
それを嚥下したときにふと気付いたのだが、これはよく恋人同士が行う「あーん」というヤツではないだろうか?彼女にそんなつもりは無かったのかもしれないが、なんとなくそれを意識してしまった私は、少し顔が赤くなった。
それから暫くして「ごちそうさまでした」と木葉さんも食べ終わる。
「吸ってもいいかな?」
「どうぞ」
「では失礼」
木葉さんは私の了承を取ると、立ち上がって胸ポケットからタバコを取り出しながら台所に行くと、換気扇をつけてその下でタバコに火をつけた。
「別にこちらで吸っても構いませんよ?」
「まぁなんだ、キミは吸わないようだし、流石に悪いからね。あと、これを吸い終わったらシャワーを借りてもいいかな?」
「どうぞどうぞ。この家にあるものは全て勝手に使ってもらって構いませんから。気遣い無用です」
「悪いね」
男というものの悲しいサガか、シャワーという単語にちょっとドキッとする。
その気持ちを悟られたくないので、少々明日のことを聞いてみることにした。
「いえ。ところで木葉さん、詳しいことは明日話して頂けるということでしたが、S県の何処へ向かうのかくらいは聞いてもよろしいですか?」
木葉さんは換気扇に向かって煙を吐きながら私を見ると、私の体調を気遣ってか「どこまで話そうかな・・・」と考えているようにも見えた。
「ああ・・・S県の山間部にある自然溢れる風光明媚な村だよ」
「その村が、アイ文と何か関係があるのですね?」
「と、私は思っている。予定は最短で三日、最長で一週間ということで宿に予約を取っているから、そのつもりで支度をしておいてくれ」
「随分とアバウトな予約の取り方ですね、宿の方は納得してくれたのですか?」
「ああ。宿といっても半分民宿みたいなところでね、女将さんが随分と人の良い方で、大学で民俗学の研究をしていて、来日村にある伝承を調べたいと伝えたら、快くOKしてくれたんだ」
木葉さんは吸い終わったタバコを鉄製の携帯灰皿に入れると、パチンと蓋を閉めた。
「なるほど・・・」
「さてと、吸い終わったからシャワーを浴びるとしよう」
「タオルはここにありますから、自由に使ってください」
「・・・覗いちゃダメだぞ東雲くん。もし覗くなら私にバレないように頼む。私だって流石に裸を見られるのは恥ずかしいんだからな」
「・・・覗きませんよ。本音は違いますが、その間に明日から始まる楽しい旅の支度をしておきます」
「ふふっ、じゃぁ入ってくる」
タオルを取った木葉さんはそう言い残してこの部屋を出ると戸を閉めた。
居間と廊下を仕切っている戸が閉められたことで、居間にぽつんと私一人が残される。一人になると、ヤツが出るんじゃないかと心細く不安になるかとも思ったが、実際はそれどころではなかった。
ここは壁の薄い安アパートなので、とにかく音が良く響く。
居間から出た木葉さんが靴箱の横においてあるスーツケースから着替えを取り出す音、木葉さんが風呂場へと入っていく音、木葉さんがシャワーを浴びる音、それが鮮明に聞こえて私の変な想像力をかき立てる。
「不味いな・・・これじゃただの変態だ・・・」
妄想を振り払うように携帯に入れてある音楽をかけると、押入れからスーツケースを引っ張り出して明日の旅支度を始める。そういえば、携帯で音楽を聴くのも随分と久しぶりだ。
テッテレレレレン テレレレレン テレレレレーン テッテレレレレン テレレレレン テッテレレレレーレ
宿はとってあるようなので、支度といっても作業自体は着替えと念のために薬を入れるだけの簡単なモノであったが、一週間分ということを考えると、不必要に着替えを入れすぎないように、それでいて不測の事態が起こった時に足り無いということが無いような、過不足の無い着替えの枚数を計算しなければならない。計算が終わってしまえば、後は弾き出した枚数分の着替えを詰めるだけなので特に考えることが無くなってしまうのワケなのだが。
・・・そういえば、今日私は木葉さんの唇を無理矢理奪ってしまった・・・
キスしてしまったのだ・・・柔らかかったな・・・
私は無意識の内に自分の唇を触っていた。
しかし、すぐその事の罪悪感に駆られる。無理矢理キスをしたこと、その後ヤツに連れ去られかけたこと、彼女に救ってもらったこと、彼女を抱きしめたこと、彼女にある意味告白をしたこと。
思い出される今日一日の様々な感情に、顔を顰めたり赤くなったり青くなったりすると、目をきつく瞑ったり歯を食いしばったり顔に両手を当てたりして、内から押し寄せるそれらのうまく言語化できない多様な癇癪に耐えた。
フォンッ テ~レレレ~レレテ~レレレ~レレテ~レレレ~ ポッペンポッペンポッペンポッペン
テレレレテレレレテッテレレーレ テッテレレレレレレー
24の奇想曲が終わり、サムソンとデリラよりバッカナールが流れてくることころには、旅の支度もほぼ終わり、就寝用に二組の布団を用意する。
元々自分は器の大きな人間とは思っていなかったが、思っている以上に自分が器の小さい人間だと気付いたのはこの時だった。
最初、木葉さんには治が泊まる時用に用意している布団を使ってもらおうと思ったのだが、治が使っていた布団を木葉さんが使うことがどうしても嫌だった私は、木葉さん用の布団はシーツだけ交換して普段私が使っているものを、私には治が泊まる時用に置いてある布団を敷くことにした。
「許せ治・・・」
「何か言ったかい?」
ガラッと背後の戸が開くと風呂から上がった木葉さんが入ってきた。
「いえ只の独り言です」
私は軽く笑って誤魔化しながら振り向いて彼女を見る。
普段ポニーテールにしている髪は下ろされてしっとりと濡れ、眼鏡も外してジャージを着ている。普段とは違う彼女の姿に、瞳を奪われて思わずじっと見つめてしまう。
「な、なんだい?そんなに見つめて・・・何か変かな?」
「・・・変?キレイですよ?」
「っっ」
不安そうにしている木葉さんに、つい反射的にそう答えてしまった。
彼女は不意を打たれたような顔をすると、赤くなってしまった。そんな彼女を見て、私も自分で言っておいて恥ずかしくなってくる。だが仕方がない、実際にキレイなのだ。むしろ反射的に言えて良かったとさえ思える。
二人揃って赤くなったまま静かになると、木葉さんはその場に立ったまま髪をバスタオルでワシャワシャと乾かしながらこの空気を変えるように口を開いた。
「そっ、そういえば布団を敷いてくれたんだね」
「はっ、はい」
「私の布団はどっちになるんだい?」
「こっちの左側が木葉さんの布団になります、右側が私です。部屋が狭いもので、距離が近いですが、すいません」
敷かれた布団を見た木葉さんの顔が少しむっとしたモノになる。
「東雲くん、この布団、少し離れすぎていないかい?くっ付けたまえ」
「・・・え?イヤではないのですか?」
「キミは私と近くで寝るのがイヤなのかい?なら仕方ないが・・・木葉さん傷付くなーー!!」
いきなり窓を開けて外に叫びだした木葉さん。
「いえいえ!そんなことありません!本音で言えば、近ければ近いほど嬉しいです!」
「ならくっ付けたまえ」
「わっ、分かりました、お言葉に甘えさせてもらいます」
私は言われるがままに、出来る限り離していた両布団をくっ付けると「うん、良いね」と木葉さんは満足げに頷き、私が指定した布団の上に横座りしてバスタオルでワシャワシャーと髪を拭く。
「なぁ東雲くん」
「はい?」
「キミは大学生になってから、ここで一人暮らしを始めたんだよな?」
「そうですね」
「なんで布団が二組もあるんだい?」
じとーっとした視線を私に向ける木葉さん。
「ああ、これは治用ですよ。たまに泊まりに来る治用に買って置いてあるのです」
「そ、そうか。ならこれは弟くんの布団だったか・・・なんだか弟くんに悪いね・・・」
勘違いして申し訳なさそうな顔をする木葉さん。私はその誤解を解くために、本音は隠して説明する。
「いえ、今日木葉さんに使ってもらう布団は、普段私が使っているヤツなのです。弟のヤツは暫く使っていなかったので、干してはいますが、少し埃っぽいので私が使うことにしました。私の布団なんてイヤでしょうが、我慢してください」
「いや、むしろそのほうがいいかな」
それは気を使わなくて良いからという意味なのだろうか。それとも、もっと好意的に解釈しても良いのだろうか。どちらの意味にせよ、その言葉にとてもドキドキさせられた。
彼女が髪を乾かしている間、寝巻きに着替えた私は、疲れと安心間からか、うとうとと眠くなってくる。
「それじゃ寝るとするか、キミは風呂は良いのかい?」
「木葉さんに会いに行く前に入ったので、明日は出発する前に浴びようとおもいます」
「そうか」
私は布団に入ると、蛍光灯から吊り下げられたヒモを掴む。
「木葉さん、暗くても眠れるタイプですか?」
「むしろ暗くないと寝れないよ」
「じゃあ消しますね」
「豆は付けておいてくれ」
「はい」
電気を消して二人床についた。
うとうとしていたので、すぐにでも寝られるかと思ったが、目を瞑ると途端に不安が出てくる。寝てしまったら、またあの白い空間で起きてしまうのではないかという恐怖が私を苛む。
「不安かい?」
「・・・はい」
それを察したのか木葉さんが声をかけてくる。
もしかしたら、布団をくっ付けろと言ったのも、こうして私の身に起きた異変が、すぐに分かるようにするためなのではないだろうか。
横向きになって私に顔を向けてこちらを見ている木葉さんは、カーテンの隙間から入る月明かりに照らされて神秘的なまでにキレイだった。
「いいかい、東雲くん。ヤツの空間で目覚めても、無視しろ、ヤツに興味を示さず関らず、そして決して自分を見失うな」
「はい・・・」
木葉さんが布団の中から伸ばした手が、私の手を握った。
「こうすれば、少しは不安が和らぐかい?」
「不安は薄れましたが・・・それ以上にドキドキしますね・・・」
「私も罪な女だな」
「全くです」
ドキドキするがそれと同時に人の、木葉さんの温もりに安らぎを感じた私は、気付かぬ間にゆっくりと瞼が落ちていった。
「おやすみ・・・東雲くん」




