第7話 亀裂
翌朝、卯の刻。
中庭に、三人いた。藍璃。細身ではない、別の弟子。徹の位置に、誰もいなかった。
柔が、平屋から出てきた。
四人の位置を、一度だけ見た。
何も言わなかった。
「並べ」
三人が、並んだ。
「今日」
柔が、メニューを言った。
藍璃は、徹の位置を見た。空だった。石畳の上に、誰もいない。
柔は、藍璃の視線に気づいていた。何も言わなかった。
「——始め」
ー
修行は、続いた。
徹の位置は、空のままだった。
柔は、中庭の隅で、腕を組んで立っていた。
藍璃は、柔を見た。柔の顔は、いつもの通りだった。何も変わっていなかった。
だが、柔の目が、一度だけ、平屋のほうを向いた。
ー
訓練が、終わった。
「終わりだ」
藍璃は、膝に手をついて、息を吐いていた。
柔が、平屋のほうへ歩き出した。
藍璃は、柔の背中を見ていた。
柔は、振り返らなかった。
「片付けてから、飯にしろ」
藍璃に、言った。それだけ。
柔が、平屋の引き戸を開けた。閉めた。
藍璃は、中庭に、立っていた。
ー
平屋の中。
柔が、廊下を歩いた。足音はしない。
徹の部屋の前で、止まった。
引き戸に、手をかけた。
下ろした。
「徹」
返事は、なかった。
柔が、引き戸を開けた。
ー
徹は、床にいた。
布団の上ではなかった。布団と、引き戸の間に、いた。
うつ伏せではなかった。仰向けでもなかった。横倒しに、倒れていた。片手が、引き戸の方向に伸びていた。指が、開いていた。
目が、開いていた。
柔が、部屋に入った。
徹の目が、柔を見た。
唇が、動いた。声は、出なかった。
柔は、徹の前に、膝を折った。
何も言わなかった。
徹の身体を、見た。
手のひら。赤い。昨日よりは、薄い。指の付け根が、腫れている。
太腿。震えていない。震える力も、ない。
膝。曲がったまま、伸びていない。
柔は、徹の膝に、手を置いた。
徹の身体が、わずかに、反応した。
柔は、膝を、触った。ゆっくりと。角度を確認した。
「……ここか」
柔が、言った。
徹が、目を、閉じた。開けた。
柔は、徹の膝を、もう一度、触った。
「立てないか」
徹が、唇を、動かした。
「……立てません」
声が、掠れていた。
柔は、徹を見ていた。
「いつからだ」
「……卯の、前」
柔は、何も言わなかった。
徹の膝から、手を離した。立ち上がった。
部屋を出た。
ー
藍璃は、中庭で、水樽を片付けていた。
平屋の引き戸が、開いた。柔が、出てきた。手に、薬箪笥から取り出した布と、小さな壺を持っていた。
藍璃は、柔を見た。
柔は、藍璃を見なかった。
平屋の中に、戻った。
引き戸が、閉まった。
ー
平屋の中。
柔が、徹の部屋に戻った。
徹は、まだ、床にいた。同じ位置。同じ姿勢。
柔が、徹の隣に、膝を折った。
壺を開けた。薬の匂いが、部屋に広がった。
柔が、徹の膝に、薬を塗った。
徹の身体が、わずかに、震えた。
柔は、手を止めなかった。
布を巻いた。
徹は、目を、閉じていた。
柔が、手を離した。
立ち上がらなかった。
徹の肩に、手をかけた。
徹が、目を開けた。
「……師父?」
柔は、答えなかった。
徹の腰と、膝裏に、手を入れた。
持ち上げた。
徹の身体が、軽かった。
柔は、徹を、布団の上に、横たえた。
徹は、何も言わなかった。
柔が、布団を、徹の肩まで、かけた。
徹が、柔を見ていた。
柔は、徹を見なかった。
「今日は、寝てろ」
柔が、言った。
「……明日は」
「立てれば、来い」
柔が、言った。
「立てなければ、寝てろ」
柔が、立ち上がった。
部屋を出ようとした。
引き戸の前で、止まった。
「飯は、後で持ってくる」
柔が、言った。振り返らなかった。
引き戸が、開いた。
「……はい」
徹が、言った。声が、掠れていた。
引き戸が、閉まった。
ー
昼過ぎ。
引き戸が、開いた。
膳を、部屋の中に、置いた。
徹は、目を、開けた。
柔は、徹を見なかった。
膳を、徹の枕元に、置いた。
粥だった。温かい。
柔が、部屋を出た。
引き戸が、閉まった。
徹は、膳を、見ていた。
粥が、湯気を、立てていた。




