第五十七話 墨塗り文書
河川の氾濫と復旧に関する記述がございます
新たな発見があったのは秋も深まった頃だった。
ルクセン領の復旧支援はようやく終了の兆しが見えていた。農地の整備は八割ほど終わり、春の種蒔きに間に合った田畑は実りの秋を迎えた。間に合わなかった田畑には、季節ごとの野菜が植えられた。秋の収穫が終われば来年の麦が撒かれる。倒壊した家屋も殆どが建て直され、冬までに建て直すことが難しい家庭には一時的に神殿の居住区画が割り当てられることになっている。今年の冬はなんとか凍えずに済みそうだ。例年通りの収穫量とはいかなかったが、人々を元気付けたいと収穫祭も行われることになった。
復旧にあたった各地の支援隊も、労いのため招待を受けた。支援隊は殆どが魔法を使える貴族で構成されている。魔法がなければ、こんなに豊かな恵みの秋を迎えることは出来なかったかも知れない。農業を営む平民達からの感謝の言葉は、普段彼らと関わることのない貴族達も素直に嬉しいと感じるものだった。
ヴィンセントは数ヶ月振りに王都のスナイデル邸に戻った。出迎えてくれた子供達は春よりも大きくなっていて、二人ともヴィンセントの姿を見るや我先にと駆けてきて父の腕の中に飛び込んだ。
「ちちうえおかえりなさい」
「おとうさまおかえりなさい」
たどたどしいが、以前よりもしっかりとした口どりで挨拶をしてくれる。
「ただいま、ルーセント。ただいま、ルシェリ。ご挨拶が上手になったな」
「お帰りなさいませ。ご無事のお戻りでようございました」
「ただいま、アナベル」
両手が塞がっているヴィンセントは、アナベルの額にキスをした。
だが、何かいつもと違う。どこか違和感がある。
…母上がいない。
このような時、いつもなら母マリアンネも共に出迎えてくれるはずだ。その姿がない。
「…母上はどうなさっている?お姿が見えないが…」
「お義母様はお出掛けでいらっしゃいます」
「珍しいな」
「今日は、親しい方のご命日とのことで…お花を用意されていましたので、お墓参りかと」
「…そうなのか」
…浮かんだのは父の姿だ。母の交友関係はあまり詳しく知らないが…王女が自ら墓参りに行くのだ。王族の命日は一般にも知られているが、そうではない。恐らくは死んだことになっているヴィゼル・スナイデル…の兄、ローランドの墓参りだろう。
何も知らなかった。父の苦しみも、母の悲しみも…母の言動を支持することは出来ない。従ってきた自分も…だが、愛する人を失うことを想像すれば、それが如何に母を苦しめたのかを思うことは出来る。似ているが別人である父の子を産んだこと…それは母が自ら望んだことだ。しかし、同様のことを何も知らないアリシアに強いた。それを黙認した自分。許しを請うことすら烏滸がましい。父の意思もリヒトの意思も顧みられることはなかった。双子の兄と弟…父スナイデル公爵の研究で、弟神がオルフェルトニウス神だと確定すれば双子の弟が軽んじられることはなくなるのだろうか。
久し振りに自室でゆっくりと湯浴みをし、部屋着に着替えればホッと気が緩んだ。可愛い子供達が足元で遊んでいる。アリシアが出奔した日に母がいないと泣いたルーセントも、それ以降は落ち着いているという。時々ルシェリとおもちゃを取り合ってけんかをすることもあるが、それは兄妹の正常なやり取りだろう。アナベルに甘える姿を見れば、実の母を恋しがって泣くよりは良い…そう思う。
「…あれから、アリシア様の行方は…」
「…まだ分からぬ」
「そうですか…」
「もう生まれているであろうな」
「首が座る頃でしょうか…」
「生まれた子が、ロイヤルブルーの瞳でなければ良いと思うよ…そうでなければ、居場所はすぐに母に知られる」
「お義母様は、アリシア様とお子様をどうなさりたいのでしょう」
「…分からぬ。アリシアを自由にして頂けるよう、母上に申し上げてみよう」
数日休暇を取ったヴィンセントが王宮に上がると、スナイデル公爵からの呼び出しを受けた。地下書庫に足を踏み入れると、父の部下から書庫の小部屋へと案内された。
「父上、お呼びでしょうか」
「復旧支援ご苦労だったな。少し日に焼けたか?」
「連日野外での作業でしたので…如何なさいました?」
「新たな書物が見付かったのだ」
その書物は十数冊に及ぶアルメニア古語で書かれた歴史書だった。地下書庫の捜索が行われた際、古い本棚の裏に隠れた石壁の剥がれかけた部分を訝しんだ歴史家が、慎重に石組みを外したその下に、油紙に包まれた書物が隠されていたのだ。
その歴史書を開けば、弟神の名と思われる箇所に墨塗りがされていた。出来事を記したと思われる頁は丸ごと墨が塗られていた。この墨を、下の文字を損なうことなく剥がすことが出来れば、双子の兄弟神が和解し、弟神が名を取り戻したことの証明になるだろう。
だが、その作業は困難を極めた。




