不穏な依頼と赤いポニーテール、運命の始まり
明けましておめでとうございます。入院生活で新年を迎えたのは初めてですが、新年を機に久しぶりの小説書きです。
王都イグレシアの冒険者ギルドは、今日もまた、底なし沼のように騒がしかった。
酒と汗と、そして何故か獣臭が混ざり合った、むせ返るような匂いが立ち込める中、レイア・ナラタは、掲示板に貼られた、やけに高額な報酬が記載された依頼書を、眉をひそめて見つめていた。
鮮やかな真っ赤なポニーテールが、その視線の先で、小さく揺れている。精悍な顔立ち、鍛え上げられた体躯、そして、その赤い髪という、特異な組み合わせは、彼女がただの冒険者ではないことを示していた。その背には、手入れの行き届いた、長大な大剣が、静かに控えている。普段は、その大剣の上から、くすんだピンク色のパーカーを羽織っているのが、彼女の定番スタイルだった。そのパーカーは、よく見ると、所々、擦り切れ、小さな傷跡が見える。
(また、面倒な依頼かしら。できれば、今日は、ゆっくり酒でも飲んで、体を休めたかったのに。それに、最近、嫌な夢ばかり見るし、本当に、勘弁してほしいんだけど。それに、もしかしたら、その夢と、この依頼は、関係があるのかもしれない。まさか、そんなことはないと思うけど)
「なあ、本当に、あの依頼を受けるのか? 王立魔術学院のボンボンの護衛だぞ? しかも、古代遺跡の調査ときた。あんた、古代遺跡の魔術的なアレとか、苦手だろ?」
ギルドの受付係、オールドの声が、レイアの思考を遮った。白髪交じりの髭面の男は、レイアが駆け出しの頃から世話になっている、ギルドでも古参の冒険者でもあり、ギルド職員だ。かつては、数々の冒険を成功させてきた歴戦の冒険者で、その経験からか、いつも、どこか見透かしたような、それでいて、優しい光を宿していた。その目には、明らかな懸念の色が浮かんでいる。
「金になる仕事だ。文句を言う筋合いじゃない」
レイアは肩をすくめた。赤いポニーテールが、肩の上で、軽く揺れる。その動きは、まるで、彼女の内心にある、わずかな苛立ちを、表しているようにも見えた。
(まあ、報酬は破格だしね。それに、このところ、いい仕事が、全然なかったし)
「そりゃ、報酬は破格だがな……魔術師との仕事は厄介だぞ。あいつらときたら、まるで冒険者を使い捨ての道具みたいに見てやがる。それに、あのボンボンは、とんでもなく、ワガママらしいぞ。魔術のことしか頭にないような奴だ」
「お待たせしました。あなたが、私の護衛を志願した冒険者さんですか?」
涼やかな、鈴の音のような声が、オールドの言葉を遮った。振り返ると、そこには、薔薇色の瞳を持つ、美しい青年が立っていた。上等な魔術師のローブを身につけ、整った顔立ちは、まるで貴族のよう。腰には、魔術書を収めた、宝石細工の鞘が、煌びやかに輝いている。その鞘は、ただの装飾品ではなく、魔法的な力を持つ、特別な魔道具であることは一目で分かった。
魔術師ルイス・アルバート。二十五歳。王立魔術学院史上最年少で首席卒業を果たした天才だという噂は、ギルド中に広まっていた。そして、その才能に見合うだけの傲慢さも。
レイアは、彼の整った顔立ちと、自信に満ち溢れた瞳の奥に、何か、焦燥のようなものがあるように感じた。幼い頃から、魔術の才能を周囲に認められ、常に完璧であることを求められてきた彼は、そのプレッシャーから逃れるため、古代魔術の研究に没頭していた。ルイスは、自分自身の存在意義を、古代文明の謎を解き明かすことにあると信じていた。そして、その為には、自分を護るために、冒険者が必要なことにも気がついた。
(……ああ、また、面倒なタイプね。それに、なんか、嫌な予感がする。おまけに、どうやら、このギルドの仕組みも、よくわかってないみたいね)
「ええ、レイア・ナラタです」
彼女は淡々と答えた。
(この手の、ワガママ貴族系の依頼主とは、もう、うんざりするほど付き合ってきた)
「魔術の心得は?」
「ありません」
ルイスは、まるで当然のように、露骨に失望の表情を浮かべた。その態度は、まるで、レイアの存在を、認めないかのようだった。
「実戦経験なら十年です。北方戦線での傭兵団所属が五年、その後は単独で活動してきました。魔術は使えませんが、剣術には自信があります」
「実戦経験など……」
ルイスは言葉を濁したが、その目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。「理論的な知識もない方に、古代魔術の遺跡探索など理解できるとは思えません」
レイアは無言で彼を見据えた。ルイスの言葉は、レイアの過去のトラウマを呼び覚ました。
(……また、魔術師か。あいつらの力は、いつだって制御不能になる)
かつて、彼女が所属をしていたパーティが、魔術師の暴走によって全滅した。その時、彼女は魔術の力を憎み、そして、魔術師を信用できなくなっていた。机上の空論だけで、実際の戦いを知らない者特有の傲慢さ。レイアは、ルイスをそのような存在だと決めつけていた。
「私は“沈黙の谷”と呼ばれる古代遺跡の調査に向かいます。そこには古代文明が残した、超強力な防衛機構が、今なお作動していると考えられています。単なる腕力では太刀打ちできないでしょう」
「そうでしょうね」レイアは皮肉めいた微笑みを浮かべる。「でも、あなたは私を雇うでしょう」
「…なぜ、そう思うんですか?」
「他に護衛を引き受ける者がいないからです」
ルイスは言葉に詰まった。その通りだった。危険な古代遺跡の調査に、魔術師の護衛なんて引き受ける者は少ない。しかも、この高圧的な態度の持ち主となればなおさらだ。
「……分かりました。明日の朝、東門へ。遅刻は認めません」
ルイスは踵を返すと、それ以上の言葉を交わすことなく立ち去った。その背中には、若き天才魔術師としての自負と、同時に焦りのようなものが滲んでいた。
「ったく、苦労するぞ」
オールドが同情的な目でレイアを見た。
「仕事は仕事さ」
レイアは大剣の柄を軽く叩きながら答えた。赤いポニーテールが、肩の上で小さく跳ねた。(どうせ、いつものこと)
魔術は未知の力だ。古代文明の遺した技術は、現代では理解不能なことも多いらしいけど、結局それを使うのも人間でしょ。剣で斬れば血が出るし、殴れば痛い。それは魔術師とて同じはず。
オールドは、レイアの背中を見送りながら、内心でため息をついた。
(……あいつは、自分の力を過信しすぎている。まあ、それもあいつの個性だし仕方ないか。それに、昔から、ああいうタイプの魔術師に弱いところもあるしな)
「ところで、オールド」レイアは掲示板に目をやりながら尋ねた。「最近、他に古代遺跡に向かった調査隊の話は聞かないか?」
「ああ……そういえば、先月も似たような依頼があったな。王立魔術学院の連中が何人か向かったはずだが……」
オールドは顎髭をいじりながら思い出す。
「……帰ってきてないな。どうやら、今回の遺跡は、いつもより危険らしい。なんでも、古代の魔術師たちが、とんでもない力を求めて争った場所らしい。そして、その争いの裏には、古代文明を滅亡に導いた、恐ろしい秘密が隠されているとも言われている」
レイアは、黙ってその言葉を受け止めた。古代遺跡の探索は、本当に危険だってことだ。でも、だからこそ、高い報酬が約束されてる。そして、その遺跡には、古代の魔術の秘密だけでなく、彼女自身の過去とも、繋がる何かがあるのかもしれない。
(……それに、あの囁き、もしかしたら私の先祖の声かもしれない。それに、もしかしたら、あの遺跡を解決するためには、魔術の力が必要なのかもしれない。そして、もし、その力を制御することができたら、私は……)
「準備をしてくる。借りは必ず返すってことで」
レイアはオールドに手を振ると、ギルドを後にした。
王都の雑踏を抜けながら、彼女は今回の依頼について考えを巡らせる。若く傲慢な魔術師の護衛。古代遺跡の探索。そして、行方不明になった前回の調査隊。すべてが不穏な響きを持っていた。
(まあ、これも仕事のうちね)
しかし、それこそが冒険者の仕事だ。危険があるからこそ、彼女のような存在が必要とされる。
(まあ、良い経験になるだろう)
レイアは宿に戻りながら、明日からの旅を想像した。
この時、彼女は、この傲慢な若き魔術師との出会いが、自身の人生を大きく変えることになるとは、想像もしていなかった。そして、その出会いが、彼女を、過去からの運命へと導いていくとも、知る由もなかった。