第462話:紅蓮となりて 10
流れる雲のように穏やかで。しかし、その中に秘めた力は荒れ狂う炎の如く。
水のように流れる炎がとぐろを巻いて弓を包み、弓が腕を振るうと尻尾のように動きに追従する。
赤と青。
綺麗に満遍なく混ざり合ったその炎とも水ともいえる塊は、『紫』となって天津に牙を剥く。
「はっ! 紫とは。まるで我の『紫光』のようではないかっ!」
「……そりゃあ、ね……真似してみたんだから、当たり前、じゃないか。差し当たって、『却雲』とでも呼んだらいいのかな」
『雲流』と『却焔』が混ざり合った『却雲』が、天津の『紫光』とせめぎあう。
誰も入ってくることのない、自然に任せて何十年もかけて成長した木々や、本来は雪林であるはずの辺りの風景を、せめぎ合い拮抗するその力同士の余波で悉く破壊し尽くす二人の力。
それはただの暴力と暴力。純粋な飾り気のない力、と、思考と想像の技術で創られた力のぶつかり合い。
その結果は――
「……ははっ……やっぱり、限界があると、違うね……」
力尽きる。
まさに、その言葉が正しい。
神経をすり減らして天津の『紫光』を避け続け、そしてその力に追いつくために最大の力を越えて新たな力として無理をして発動した上位型式は、弓の強靭な精神力をもってしても扱いきれず、弓の体力と精神力を削り切った。
その結果が、今。
天津の前で、へたりと、腰が抜けたように座り込み力尽きた、弓。という結果である。
「いい戦いであった」
そして、そんな限界を超えて戦った弓を嘲笑うかのように。
「弄んでたようにも見えたけどね」
「いや、お主は素晴らしい逸材であった。その体が我のスペアでないことが悔やまれるくらいにな。……違うな。スペアであってもこのように我をここまで追い詰めることはなかったであろう。それは我がお主の体を使ったとて、そこまでその体を使いこなせないということに相違ない」
衣服に若干の傷みを見せる程度の損傷だけの、弓の目の前に立って興奮冷めやらぬ雰囲気で功績を称える天津。
「……褒め言葉として、受け取っておこうかな」
「素直に喜べ。褒めている」
弓は、「それは。神に褒められるとは光栄だね」と、今は顔を持ち上げることさえ億劫となったその体を近場の大木へと向かわせる。ずりずりと、思うように動かないので座りながら、両手の力のみでその場へと辿り着いた弓は、大木を背に寄りかかるように座って一息つく。
「……紳士的じゃないか」
「それだけお主を認めているということだ」
天津に背を向けて逃げるかのような行動をとった弓を、天津は弓が落ち着くまでその場に待ち続けていた。
逃げるなんてことはしない。それがわかっているかのように。
信頼。
力を認めたからこそ、天津は弓が今この状況で逃げるなんてことはしないと信じ、そしてまだ自分に勝つ気で背を向けて今また相対しているということに、期待と感動を覚えた。
生き続けてきた。
封じ続けられてきた。
生きてきた時間より封じられた時間のほうが圧倒的に長い天津。自身を封じ祀り監視する宮司の未来を歪めて楽しんでいた頃のようなつまらなさではない。
こんなにも自分と対等に戦い楽しませてくれる存在は数えるほどしかいなかったからこそ、今この瞬間をとても楽しんでいた。
封印から開放されて世界の広さと人の素晴らしさに感動を覚えた。
人が人を生むその行為と湧き上がる感情を知った。その感情を覚えた相手を奪われた、亡くした。
世界とは、なんとも楽しいものなのか。
こうも我を楽しませるものがあるとは、と。湧き上がる感情は、あらゆるものに付随する。
楽しむ。
そう、あくまで。
命そのものを燃やすかのように削りに削った弓そのものは、天津にとってはただの愉悦であり、だからこそ、信頼でもあった。
「次は何をしてくれるのか」
まさに、それである。
自分とは違って有限である存在――人。その、人が神という存在に一人立ち向かうその姿は、まさに勇者である。英雄である。強者である。
そう思えるからこそ、この戦いは、まだまだ続く。
そう信じていた。
その勇者を、返り討ちにするその愉悦。培ってきたであろう、技術を、技術が何も無い力のみで叩き潰す喜悦。
「あと一度、何かをできるかできないかってところだけどね。そう期待されても困るさ」
「ほぅ。一回。あと一回、さりとて一回。楽しませてくれるのか」
「楽しませると言うより――」
――だが。
勝利に浸る感情と、弓を打ち負かし砕いた心を見下ろす天津の確信。
そんな天津を見ても、この自分が倒れて今にも殺されそうな状況でも、弓は、自分が負けたと思ってもいなかった。
いや、弓という、人が、ではない。
技術。
技工。
人が学び高め、そして極めて来た、その粋。
それは、負けることのないものであると、弓は理解していたからだ。
弓は自身の体から抜けきった型式をかき集めるように両手に乗せた。
残りカスのようなその力。
ゆっくりと溜まっていく力の塊。
その力はやがて大きくうねりをあげる。
「――自分がどこまでできるのか、を確かめたい、かな」
まだ極めてもいない力。
まだ先の見えない力。
この先に見える力。
まだまだ先のある、技術。
今の自分のそれが、どこまで、この力の権現ともいえる、神に通じるのか。
片手には『焔』の型。
片手には『縛』の型。
そして弓は、二つ以上の型式を、無理やり使う術を、もっている。
現れた『焔』を『縛』の型で出した土で覆い被せる。
内部に溜め込んだ『焔』を包む、『疾』の型。
圧縮。
普段の圧縮ではダメである。
極限まで。それこそ、今まで試したことのないほどの圧縮。
目の前の天津を倒すための、最後の力を振り絞る。
「ふふ……ふふふ……っ! 面白い! 面白いではないかっ! なんだそれは。なんだその力はっ! あの若造にもできなかった芸当ではないかっ!?」
若造という相手が誰かは弓には心当たりはない。だが、天津からしてみれば自分は若造の中の若造であり、天津という存在が若造だと言い切ることのできて天津と戦い生き残った相手がだれかと考えれば、それは自ずと見えてくるものであった。
「光栄だね。あの『縛の主』にもできなかったと言われるのは。とても」
「『縛の主』……そう、そうだ。あやつはそう呼ばれておった。誇れ、ここまで我を楽しませるものは早々おるまいっ!」
神を楽しませる。
それは太古の昔から、人が神と接するために行ってきたことである。
そのために祭りができる。そのために笑いあい、楽しむ様を見せる。そして神はその姿を見て、人に幸せ、福を与える。
「……あなたには、幸せはもらえなさそうだ」
にこりと弓は笑顔を向ける。天津はその言葉に、より楽しさを覚え、弓へと笑顔を返す。
「……これが、僕ができる、技術の粋だよ」
限界以上に圧縮された塊は、豆粒のように小さく黒い。
圧縮に圧縮を重ね圧力が極限まで高くなったその塊。圧をかけ続けられる、その塊。
そこにできたのは、
縮退恒星。
彼は、ここに。
一つの小さな星。そして、核融合さえなくした、縮退星を。まさに、縮退物質を作り出したのだ。
「ならばそれに、我も、その馬鹿げた星の中に星を作り出したお主に。この星が壊れないよう最大限の注意と、お主への敬意を、最大の力をもって答えてみせよう」
天津もまた、黒い塊が、弓の持てる最大の力だと感じ、返礼かのように答える。
『紫光』を一気に放出した天津の周りに、禍々しさが宿る。それは紫色の煙のような力であったからそう見えたのかもしれない。
天津から吹き出した『紫光』は、どんどんと丸くなっていく。
「『参』の型。『酒吞』」
「『四嘉羽』」
互いの今出せる限界を込めた力が、ぶつかり合った。




