五、漆黒の聖騎士(39)
コーレン村は完全に包囲されていた。
村の入口へと滑り込むラグナたちの視界は、朱の光と、黒く立ち昇るものを捉える。
「ちくしょう、間に合わなかったか!?」
「いや――火はまだ放たれたばかりだ。
村を封鎖している兵さえ退ければ……」
ジャスティンは周囲を見回し、肩をすくめた。
「退けるって……かなりの数よ?」
「兵士の数は問題じゃない。
僕たちが狙うのは、ただ一人だけでいいんだ」
「一人?」
ラグナが立てた人差し指の先を、ロウの眼が追う。
「兵を動かしている領主だ。
聞けば、焼かれる村を見物に来ているらしい。領主を倒せば兵たちは包囲を解いて逃げていくだろう」
「確かに……スポンサーがいなくなったら残る意味がないものね。
身体張ったところで、一銭も入らない訳だし?」
「流石は――てっ、おい!
ラグナ、マント燃えてるぞっ!!?」
「え!?」
近くの建物から飛び火したのだろう。
反射的に振り向けば、ラグナのマントから返事代わりに焦げたにおいが鼻を刺した。
風に煽られ火の粉がちり、と舞う。
それは青年の騎乗していた馬の後ろ脚を僅かに焼き、馬は熱さから逃れようと暴れだしてしまった。
「わ――ッ、」
そのまま振り落とされ、大地へ叩きつけられるラグナ。
馬は燃え盛る村から、苦しげな嘶きと共に駆け出す。早馬を手配したこともあり、その姿は瞬く間に見えなくなっていた。
「おいラグナ!大丈夫か!?」
やや先を往っていたロウは、馬を止め彼の元へ引き返す。
「ぐ……僕のことはいい!
それよりも早く――領主が、異変に気づくかもしれない。早く!!」
「……ッ!
くそ、無茶すんじゃねぇぞ!」
加速し、遠ざかる蹄の音。やがて掻き消えるそれに向けて、盲目の青年はひとつ呟いた。
「――それは、こっちの台詞だよ」
ばさり。
焼け焦げたマントを脱ぎ捨て、ラグナの右には剣が握られる。
両の掌に力を込めれば、
……今は亡き父レムサスの鼓動が、両腕を伝い、聴こえた気がした。
熱風に混じり、接近してくる殺気。四、五人程度と伺える。
ラグナはふっと息をつき、そちらへ向き直った。
「村の奴が雇った傭兵か?」
「どうでもいいだろ。多く殺せば、多く給金が貰えるんだからよ」
マントを外したラグナの出で立ちは村人ともそう大差なく、兵士たちが青年の正体に気づく気配はなかった。
「――下衆が」
「なんだと!?貴様……!」
焦土へおちた呟きを耳が拾ったか、兵士のひとりが怒りに任せラグナへ突進する。
しかし。
彼はその剣線を難なく受け流し、反す刀が兵士を屠る。
「金貨何枚を貰ったのかは知らないが――
仕事は選んだ方がいい」
どさり。
崩れ落ちた兵士を見下ろして。
ラグナは――抑揚のない声で、そう呟いた。
ずく、ん。
一瞬、濁流のような頭痛に襲われ顔をしかめる。
(……なん、だ……?)
それへと誘われかけた彼を遮ったのは、兵士の怒声だった。
「この野郎……!やはり村人じゃないな!」
「――、くッ」
滔々となお流れる『記憶』に後ろ髪をひかれ、ラグナの動きが僅か鈍る。
振り下ろされた剣を受け止め、強引に押し返し距離をとり直す。
二人を相手に斬り結び、何とか片方を斬り捨てた、そのとき。
「うおぉぉぉぉぉッッ!!!」
背後から膨れ上がる殺気と、叫び声。
兵士が二人、民家を迂回して背後に回りこんだようだ。
目前の敵に背を向けることはできない。かわしきることもできない。
――ならば、と。
ラグナは次の瞬間、ひとつの覚悟を決めた。
背中を裂かれるくらいなら、左腕を失ったほうがましという咄嗟の判断だった。
剣の柄を握っていた左手を離し、背後からの剣戟を左手で受け止めようとする。
ところが。
青年の真後ろから、突然、もうひとつ気配が生まれた。
「――邪魔するよ」
凛、と。
風の啼くような、詠うような――涼しげな声音。
ほぼ同時に、きん、と金属同士がぶつかり合う音が届く。
カトレアとも、ジャスティンとも、勿論ロウのものとも違う。けれど、ラグナはその声に聴き覚えがあった。
(…………今の、……声、は……)
建物の屋根を伝ってきたのだろう。突然頭上から舞い降りてきた剣士に、兵士たちは狼狽える。
「な、なんだ!?こいつの仲間か!!?」
「構うな!全員まとめて殺せ!!」
剣士は受け止めていた剣の勢いを横へ逸らし、そのまま兵士の腕と脚を掠めてゆく。
「ぐわ、ぁ……ッ!!!」
そのまま崩れる兵士。腕と足の腱を断たれ、相手を睨め上げることしかできなかった。
「――無理に動こうとしない方がいい。あとに響くよ」
まるで医師のような言葉を残し、剣士はもう一人の兵へと斬りかかる。
剣の交わる音は、ひとつの音楽のように響いていた。
ラグナは背後が気がかりだったものの、前方からの猛攻にそちらへ意識を集中する。
「……はぁッ!!!」
何とか、兵士を斬り伏せて。ラグナは剣士へ駆け寄ろうとする。
――ところが、
焼けた建物がおびただしい煙を吐きながら倒壊し、ふたりの間に崩れ落ちた!
「……くッ、」
慌てて瓦礫を避け、後ろへ転がる。起き上がろうとしたところへ、
「おい、いつまで遊んでやがんだ。こっちは片付いたぜ」
別の――知らない声が、聴こえた。
「え?……あ、ああ、すまない」
「オラ、さっさと行くぜ。時間もねぇんだ」
短い会話の後、走り去る足音が耳に伝わる。
反射的に伸ばしたラグナの手は虚しく空を掴む。
……、どくん。
鼓動が一際大きく、青年の中の何かを揺さぶった。
濁流が――残酷なあの日を連れてくる。
放たれた炎が。
届かなかった手が。
あの日の自分と――再び、重なる。
――「実際に、ジークに会って確かめる!」
――「馬鹿!やめろクリス……!」
あの日も、この手は届かなかった。
――また、届かないのか?
どくん。どくん、どく、どく、
――もう、届かないのか?
――俺は。あいつに、……もう、
「……やめろ……行く、な……」
軋む音が幾つか。
彼は立ち上がり、足音の去った方角をぎっと見据えて。
「――クリス……
…………クリスーーーーーーッッッ!!!!」
絞るように、呼びかけた声すら――もう、距離が遠すぎて彼女には届かなかった。
ぱちぱちと火の粉が舞い踊るなかで、ラグナの叫び声だけが辺りに響していた。
ふと。
彼女は足を止め、燃え盛る村を振り返る。
「……どうした?忘れ物でもしたか」
傍らを歩いていた人物が、歩調を緩め、怪訝そうに長身の剣士を仰いだ。
「いや、そういうわけではないんだ。
――ああ、でも……もしかしたら。そうなのかも、しれない」
「は?……何言ってやがんだお前」
相変わらず妙なコトばかり言いやがって――と、白皙に黒衣の少女が閉口する。
そんな連れにちょっと困ったよう笑んでみせ。剣士は再び黒煙を眺める。
紫水晶に似た双眸を細めれば、銀糸の髪を乾いた風がひと束、あそんでいった。
「――名前を、呼ばれたような気がしたんだ」
「…………名前、?」
ふわり。かぶりを振って。剣士は再び足音を奏でる。
「や。……たぶん、気の所為だ。
――行こう」
また並んだ靴音は、獣道をもつれることなく進んでいく。
「ッたく、このお人好しが。
朔の日まで時間がねぇんじゃなかったのか?」
「……放っておける訳、ないじゃないか。
それに、間に合わせるさ。絶対にね」
じと目を寄せてくる柘榴石のような瞳、不敵な笑みで返して。
彼女はすいと白い指を伸ばし、南東の方角――大陸中央部を指し示した。
「ま、お前みてぇなお人好しがもう一組いやがったお陰で、楽に領主は潰せたがな」
「そう、か。……一先ず、ルーイたちのところへ戻ろう」
「――ああ」
そうして。
彼女たちの姿は、鬱蒼とした森の中へ消えてゆく。
一度交差した歴史の糸は、再びそれぞれの方向へ伸びていった――
連載5周年記念サウンドドラマ
【クロスブレイド 赤銅の鎮魂歌】配信開始しました!
ウェルが、クリスが、ラグナが……音声舞台で動き回ります♪
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