さようなら
夜来初三でも鉈内翔縁でも誰でもない。ただ、背の高さや雰囲気からして男だということは分かった。
うまく回らない口を使って世ノ華は尋ねた。
「だ、だれ?」
「……」
一言も発さない男。
突然登場してきた彼は、ただ無言で世ノ華雪花を守り、ただ無言で―――死神のもとへ走り出していった。
「誰だオマエ」
「……」
怪訝そうな声をだした死神にさえ男は口を開かない。
やがて死神もどうでもいいと踏んだのか、
「まぁ、どうせ俺は消える身だ。最後の大暴れだってのに、それを邪魔するんなら―――死んでもらうぞ」
冷たい一言と同時に死神は持っていた大鎌を振るう。
それは吸い込まれるように男の首を切り裂いた。しかし血は噴出しない。代わりに男は魂を奪われたことであっさりと死に、糸が切れた人形のように崩れ落ちてしまう。
そもそも。
夜来達が破壊した『魂食い』の大鎌は、全て『魂をくい奪った』というものだけを『保管』したものだ。故に死神の力の一つである『魂食い』そのものは消えたわけでも弱体化しているわけでもない。
だから死神が持つあの大鎌は『魂食い』という一撃必殺という能力を宿した代物。
一撃でも喰らえば即アウトだった。
そのはずなのに、
魂を食い奪われた男はしばらくした後に、むくりと起き上がる。何事もなかったかのように起き上がる。平然と気楽に立ち上がったのだ。
「っ!? お、オマエ、一体―――」
戸惑いながらも、死神は再び男の体を『魂食い』で切り刻む。しかし男はまったく、全然、完璧すぎるほどに―――死なない。
その圧倒的な理解不能すぎる事態にこの場の全員が呆然としていた。しかし男はそんなことを気にしない。足に力を蓄えて、いまにも死神のもとへ襲いかかろうと踏み込んだその瞬間―――
「チッ」
男は何かに気づいたような舌打ちを吐いて、勢いよく跳躍して消えていった。まるで門限があるからといった風な慌てっぷりだったが、謎はそこだけではすまない。
しかしもう男の姿はどこにもなかった。今更答えを暴くようなチャンスは残っていない。
いきなり現れて世ノ華を守り。
いきなり現れて死神と戦い。
いきなり現れていきなり消えた。
そんな光景を終始呆然と眺めていた者たちの中で、夜来の隣にいた唯神が気づいたようにこう言った。
「あの人、私、一回学校で見た。正確には学校から離れたビルか何かの屋上? 高い場所にいたのを―――『魂を覗く』力で見た」
唯神は己の目をうっすらと細めて、
「あの人の魂は離れたところでも『二つ』あったから特徴的だったしね。なにより『二つの魂』がある人はそういないから目立つ。だから今でも覚えてる。でも……なんでだろう。全然あの人の魂は、食い奪われても食い奪われても……復活してた。炎が燃え上がるみたいに」
その怪訝で一杯の言葉に対して。
夜来は全てを知っているような口ぶりでこう言った。
「ああ、そりゃだってアイツ―――『不死身』のシスコン野郎だろうからな。妹助けに来て頑張ってたんだろうよ。ほっとけほっとけ」
まるであの謎の男が誰なのかを理解しているような言葉だった。
「? ……君はあの人のこと知ってるの?」
「確証はねぇが、おそらくな。何回殺されても『死なない』ような奴ァそういねぇ。多分あのクソ野郎だ。あのドクソだってんならそれで全部説明がつく」
彼は大きな舌打ちを吐いて歩き出した。
突然のギャラリーなのか第三勢力なのかまったく分からない男の登場に、まだ戸惑いが残っていた死神だったが、近づいてきた少年の姿に気づき大鎌を構える。
「さっきの奴はなんだ? オマエの増援か?」
「知るか。どっかのシスコン野郎だろ」
吐き捨てた彼に対して、死神は溜め息を吐いた。
と、同時に。
ビシビシビシビシビシビシビシビシビシビシビシビシビシ!! と氷が割れていくような音と共に、死神の体に大きな亀裂が走っていった。
誰もがその原因に気づいていた。
死神はヒビが入った己の体を見下ろして、
「あーあ、タイムリミットか」
ぼやくように言った。
そう。
もともと怪物という存在は人間界にそう長くは実体化していられない。夜来に憑いているサタンぐらい強大な存在ならば少々話は別だが、並みの存在力しか持たない死神にとって人間界は息苦しすぎた。
故にそろそろ彼は消える。
憑依体をなくした死神に帰る場所はない。もう、ただ単純に崩壊していきその内消える。
それが運命だ。
が、しかし。
「だが、やっぱ最後くらいはイライラを解消したいんでね!!」
片腕もボロボロになった後に砂のように消えて、下半身のほぼ全ても壊れてしまっている見るも無残な死神だったが、やはり戦闘の意思だけはなくすことがなかった。
飛び出していき、夜来に向けて大鎌を大きく振り上げる。
対する夜来もニヤリと凶悪に笑い、
「くっくっくっ!! いいぜぇ。そっちがその気なら容赦はしねぇ。ミンチにしてやンよクソが」
殺意と狂気に満ちた眼光を光らせた彼は、
「―――授業の時間だァ小悪党。本物の悪ってモンを教えてやンよ」
容赦なく、情けなく、ただ目の前の小悪党を消すことだけを目的とした魔力を全力で放つために、右腕を軽く後ろへ振り上げる。
すると。
漆黒の魔力が生きているようにその右手から噴出した。
さらに黒く発光すると同時に、蓄えられていた魔力も増加していき、後はそれを開放するだけで迫ってくる雑魚をかき消すことが可能となった。
もう待つ必要はない。
襲いかかってくる死神もそれは分かっていたのか、どこか諦めるように小さく笑った。
夜来の顔に根を張っている『サタンの皮膚』を表す禍々しい紋様が彼の顔を覆っていくと共に両目が赤と黒の魔眼と変わる。
そして最後に。
夜来初三の浮かべている笑顔が極悪さを増した瞬間、
彼は魔力の閃光を放つために右腕を振り下ろした。
「これが本物の悪だ」
……しかし何の破壊も起きなかった。
轟音や破壊音どころか、風の流れる音さえもが鮮明に聴覚機能を働かせるほどに―――何もなかった。
夜来初三は魔力を放たず、死神も大鎌を目標に当たる前に止めていた。
まるで―――傷つけてはいけない相手を傷つけないために、自らの攻撃を自ら停止させたような格好だった。
しかし彼が鎌を振り下ろさなかった理由は夜来が該当するわけではない。
夜来初三は死神とって殺すべき対象だ。手を止める理由が存在しない。
ならば、だ。
一体なにが死神の攻撃の手を止めてしまったのか。一体なにが殺害の意思を反転させてしまったのか。
それは一人の少女が夜来と死神の間に割り込んだからである。
唯神天奈が死神の前に立ちふさがって、両手を大きく広げていたからである。
死神は唯神の頭部に直撃するスレスレだった大鎌を握りしめて、
「なんの、真似だ……?」
「そっちこそ。どうして私を殺して彼のもとへ襲いかからないの?」
二人は視線をぶつけ合いながら、ただ会話を行う。
まるで友達同士のように。
まるで親友同士のように。
まるで家族同士のように。
険悪な雰囲気など作り出さずに、ただただ言葉をぶつけあっていた。
「オマエ、俺がオマエを傷つけねぇって知っててやったろ」
「当たり前。じゃなきゃこんな怖いことしない」
「尚更ムカつく女だぞ、それ」
「仕方ないでしょ。そんな女と君は『同じ』だったんだから」
二人の光景を眺めていた夜来は。
なるほどな、と口の中でつぶやいていた。
もともと怪物と悪人が一心同体になる絶対的な条件として、『お互いが似た存在』である必要が出てくる。さらに言えば、サタン本人から聞いたことでは確か―――怪物が憑依体の人間に対して好意を持つのはなんらおかしいことではないと言っていた。
理由は、怪物と悪人は似た存在だからだ。
お互いが自分と同じ考え方や生き様や『悪』を背負っているが故に、『好意を持たないはずがない』ということ。自分という存在を肯定してくれている相手を嫌うはずがないということ。
ならば話は単純で。
死神も唯神天奈も、かつては『仲が良かった』同士なのだろう。いや、現在進行形で、『二人の思い出』などの体験や経験が絆として結びついていたのだろう。
実際、サタンは夜来に好意を持っている。
実際、清姫は雪白に好意を持っている。
ならば死神だけが例外ということはありえまい。彼だって、自分という存在に近い少女に対して、何らかの好意を抱いていたはずだ。
もしかしたら、唯神天奈と死神の二人は過去に。
笑い合っていたかもしれない。
泣き合っていたかもしれない。
助け合っていたかもしれない。
そんな暖かい過去が、事実が、記憶があったのかもしれない。いや、きっとあったのだろう。でなければ、死神が唯神に対して攻撃の手を止めたことに説明がつかなくなる。
死神と唯神天奈には彼らだけの『思い出』がある。
楽しかった日々があった。
笑いあった日々があった。
だからこそ。
死神は割り込んできた唯神天奈を傷つけられなかったのだ。
「……ったくよぉ、オマエといたときが俺は一番楽しかったってのに、どうしてオマエは変わっちまったのかねぇ」
「後悔、したからさ。だから私は自分を変えた。ただそれだけだよ」
「はっ、そうかよ」
鼻で笑ったその瞬間。
バリィン!! ついに下半身の全てがガラスが割れてしまうように砕け散っていった死神。彼は上半身だけが残った体で、どさりと地面へ転がっていった。
唯神は膝を折ってしゃがみこみ、
「私も……昔の自分には戻れないけど、君といて楽しかった。ものすごく心強かった」
「……俺もだ。同感だ」
崩壊の速度が上がっている。もう、上半身の半分以上が砂埃のように舞い散っていった。残されたのはローブをかぶった骸骨の顔のみ。
「だから本当にありがとう。そして―――」
唯神はその頬に片手をそっと添えて、
「さようなら」
告げられた涙声の言葉と同時に、死神は完全に塵と化した。存在を保てなくなった結果―――無残にも、わずかな時間の猶予もなく、はかなく散った。
もう、彼の存在を示すものは何もない。
もう、彼の存在を表すものは何もない。
もう、彼の存在を認識できる事はない。
だがしかし。
彼という存在に感謝していた少女だけは二人存在する。
秋羽伊那と唯神天奈。
彼女達だけは彼の存在を感謝していたことを忘れることは永遠にない。
唯神天奈はすっと立ち上がって振り返り、
「終わったよ。帰ろうか」




