プリンセススター号襲撃テロ事件
プリンセススター号という豪華客船の天井裏でガタガタと震えている影。
いや、少女。
肩や膝どころか全身が小刻みに上下し、嫌な汗をかいていて、息も運動後のように荒くなっている。しかし彼女は、本当に運動をしていたわけでも息が激しくなるような喘息などの病を患っているわけでもない。至って健康体な女の子だ。
だというのに、震えることで肩が上下している。
その原因は―――絶対的な恐怖。
そして。
その恐怖が今まさに天井裏に身を潜めている少女が通気口から見下ろしている場所で発生していた。複数の男や女が持つ大きな銃火器―――おそらく小型アサルトライフルかサブマシンガンであろうが、問題は銃を持った大勢の人間がいることではない。
いや、もちろん銃刀法違反という法がある時点でかなりの大問題なのだろうが、少女にとってはそれすらも問題ではないと思える程に―――圧倒的別問題を凝視していた。
それは、
その銃火器を握り締めた者達に射殺されていく自分以外の乗客者達の光景である。
本当に、奇跡のように、運良く天井裏に逃げ込めた少女にとっては、これはある意味見殺しといえる行為なのかもしれない。覗いている通気口の先では自分以外の者たちが殺されているというのに、少女は何もできない。ただ震えて身を縮こまらせるだけでなんの行動も起こせない。
なぜなら少女には―――『力』がないから。
銃火器を所持している無数のテロリスト達を叩きのめすことが可能なほどの『力』を持っていないからだ。そもそも殺傷能力が非常に高い銃火器という武器を握っている相手、しかも複数に立ち向かえるほどの『力』などこの世に存在するのか? もちろん存在しない。銃で撃たれてしまえば武術家だろうと格闘家だろうと―――死ぬ。簡単に、あっさりと昇天するに決まっている。
ならば。
魔法や超能力などの圧倒的な力以前に、格闘術や武術などの現実的な『力』さえも持っていない少女にとって、武装したテロリストと戦えるはずがないのだ。
だからこそ。
少女は。
今も震えながら、テロリスト共に脳天を弾丸で打ち抜かれていく者達を通気口から覗いていることしかできないのだ。
少女は視界に映る光景を見ながらただ思った。
―――ああ、また一人死んだ。
―――ああ、また一人殺された。
―――ああ、また死体が増えた。
もう、その程度の事実を把握するしか脳の処理が追いつかなかった。
少女は撃ち殺されていく人を薄暗い天井裏から通気口を使って眺め、こう思った。
これで何人目かな? いや、何百何十人目なんだろう? もうそろそろ二百人目辺の死体が生まれるのかな? あ、また死んだ。いや、殺されたのかな? 結局は死んだんだし、大差はないよね。ああ、あのおばさんは私と仲良くしてくれたなぁ。あ、おばさん死んじゃった。何かものすごい泣き喚きながら殺されちゃった。……頭撃たれて死んじゃったんだ。もっとおばさんと話したかったなぁ。
と、そこで思考は中断されることになる。
なぜなら、
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
という、少女にとっては聞きなれた声が、絶叫が、雄叫びが響いたからだ。
通気口から覗いている場所には、その声の主である一人の女性が連れてこられていた。女性を拘束しているテロリスト達はどこかバツが悪そうな顔をしながらも、照準を女性の眉間にロックオンさせて、
「……すみません」
一言を告げて、引き金に指をかけた。
そして引いた。
バァン!! という銃声と共に新たな死体が出来上がった。まるで、これ以上女性を苦しめないよう、怖がらせないよう、早急に楽にしてやろうという考えに従ったような表情と行動だった。
テロリスト達は生命活動を停止させた女性の体を別の場所へ運んでいく。まるで作業のように、仕事のように、そうしなければならないようにして。
その一部始終を眺めていた少女は、
「お母、さん……」
そう、先ほど殺された女性のことを、呼んだ。もう二度と自分のもとへは戻ってこない『お母さん』の名をそのまま呼んだ。
無意識に、ポツリと。
いつの間にか、漏れでていたような感覚に等しい。
「は、はははははは……」
その後少女は、静かに、乾いた笑い声を響かせた。
ただただ、笑顔で泣きながら、笑いながら、あっさりと殺された自分の母親の死体を運んでいくテロリスト達を目で追ってって、また笑う。
おそらく。
もう。
単純に笑うことしか出来なかったのだろう。
いきなり現れたテロリスト達。そいつらにいきなり殺された自分の家族。正確にはお母さん。正確には銃でバーンと作業のように脳天をぶち抜かれたお母さん。もう二度と帰ってこなくなったお母さん。もう二度と笑い合うことも話し合うことも家族みんなで談笑することもできなくなってしまった。なぜならお母さんが死んだから。
テロリスト達と何の『関係もない』お母さんが死んだからだ。
関係がないのに、いきなり現れていきなりお母さんをテロリスト共は殺した。
こんな事実には笑っても仕方ないだろう? あまりにも『突然』で『理不尽』すぎる。もう、爆笑してもおかしくないくらい―――『理解不能』すぎる事態ではないか。
(お母さんは何で死んだ? お母さんは優しかった。何も『殺されなくちゃいけない理由』なんて一切なかった!! なのに何で今、さっき、あそこで、あっさりと、アイツらに殺された!? 何で泣き叫びながら銃で殺されたの!? おかしいよね!? 絶対おかしい、おかしくないはずがない!!)
少女は奥歯を噛み締めて、顎を砕くほどの勢いで噛み締めて、
(死ぬべきなのはアイツらだよね? あんな風に人を殺すような人間は死ぬべきだよねぇ!! そうだよねぇ!! もしも、もしもそうじゃなかったとしたら……。もしも神様っていうのがそうじゃないと言うのだとしたら―――私がアイツらを『殺して』お母さん達を『生かす』のに!! 私が神様だったら『生死を分けて』本当に『死ぬべき人間』と『生きるべき人間』を『分ける』のに!! 何で私はこんなにちっぽけだっていうの!? おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい!! この世界はおかしすぎる!! 理不尽すぎる!!)
「は、はハハはっははははハはははハハははははははははハハハハは……!! あっハハハハハハハハハハはははハハハはハハハハハハハハハハはハハハははハハハ……!!」
静かに、それでいてどこか狂った声音で構成された笑い声を天井裏で響かせた少女。号泣しながら、気持ち悪いくらいの眩しい笑顔を浮かべて笑い続ける少女。
この瞬間だ。
この瞬間に誕生したのだ。
『生死を分ける』という『悪』の一つは、この瞬間に誕生したのだ。
「―――ッ!?」
ゾワリ、と背筋に冷たい感触が浸透した少女。
背後から伝わるおぞましい雰囲気に鳥肌を立てた少女。
きっと彼女は。
自身のすぐ後ろに存在する禍々しい『何か』に気づいたのだ。
そして。
その『何か』とはいたって単純明快である。
少女が振り向いたその目の前には、黒いローブで身を包んでいる骸骨の顔を持った一匹の―――死神がいたからだ。一匹の『怪物』がいたからだ。
「―――!?」
息を飲んだ少女。
咄嗟に声を上げそうになるのを両手で押さえ込む。
怪物は骨丸出しの骸骨と化している顔を少女の目と鼻の先にまで近づけて、
―――オマエの『悪』を叶えてやる。
そう告げた死神は。
ニタリ、と自分と同じ『悪』を宿した少女に向けて笑顔のような異質な表情をプレゼントした。
そして少女はその直後。
『生死を分ける』という『悪』を司っている『怪物』の力を駆使し、文字通り『死ぬべき人間』であるテロリスト共の『生』を大鎌で奪い取ったのだ。
そのままの意味で。
本当にそのままの意味で。
少女は『生死を分けた』のだった。




