第21話:再現の誘惑
封鎖から三週間後。
帝国大学の研究資料室――
斎藤は薄暗い部屋の中で、ひとり机に向かっていた。
山積みの報告書、焼け焦げた実験記録、そして何よりも、あの現象の波形データ。
ガラス片に残った微弱な反射値、観察装置の内部で記録されたノイズパターン。
すべてを並べると、ひとつの数式が浮かび上がる。
> 「内と外は、観測点によって入れ替わる。」
それは、黒瀬が最後に残したメモの一節だった。
斎藤は、その文字を指でなぞる。
「……奴は、狂っていなかったのかもしれん。」
夜が更ける。
窓の外は雨。
ポツ、ポツと打ちつける音が、どこか“水槽の音”に似ている。
斎藤はペンを置き、机上の録音機に手を伸ばした。
ボタンを押す。
カチリ――古いテープが回り始める。
数秒のノイズ。
そして、あの音。
――ぴちゃん。
斎藤の指が止まる。
テープは、確かに沈黙の夜の音を録音していた。
破壊されたはずの装置が、まだ“記録”を続けている。
「……あり得ん。音源は――封鎖区画の中だ。」
机の上に、彼が描き続けていた数式が並んでいる。
観察波、位相、時間遅延、そして――祈り。
科学の記号と呪術の言葉が混ざり始めていた。
「もし……これを再現できれば、」
斎藤の声が震える。
「我々は、“神”を証明できる。」
彼は立ち上がり、資料棚から古いガラス片を取り出した。
それは、装置が爆発した時に残った鏡の破片の一つ。
光を当てると、内部に薄い水紋が見える。
その中心――何かが“こちらを見ている”気配があった。
「……まだ、続いているのか。」
彼は破片を机に置き、ノートに新しい実験計画を書き込んだ。
> 「再現実験案:反射共鳴モデル(試作A)」
> 「対象:時間遅延(12秒)を持つ自己観察系」
書きながら、ふと笑った。
それは、科学者としての理性と、禁忌に触れようとする狂気の、どちらともつかない笑みだった。
時計が鳴る。
秒針が動いていた。
00:00:09、00:00:10、00:00:11――
斎藤の指が震える。
「……まさか。」
00:00:12。
針が止まった。
同時に、ガラス片の中で波紋が広がる。
雨音が止み、世界の音が一瞬だけ消える。
――ぴちゃん。
録音機が勝手に動き出した。
赤いランプが灯り、スピーカーから低い声が流れる。
> 「再現、完了。」
声は、黒瀬のものだった。
斎藤の顔から血の気が引く。
「……黒瀬、なのか?」
> 「内と外は、もう区別できない。
> だから、ここに“君”を招く。」
部屋の空気が濃くなる。
ガラス片が震え、机の上の水滴が跳ねた。
斎藤は後ずさりながらも、目を逸らさなかった。
「私は科学者だ。君の“祈り”には屈しない。」
> 「ならば、見ろ。」
ガラス片の中で、波紋が光を放った。
その瞬間、雨雲が切れ、月光が差し込む。
机の上の時計が微かに動いた。
00:00:12。
――ぴちゃん。
静寂。
斎藤の顔がゆっくりと上がる。
鏡片に映る自分の瞳が、わずかに笑っていた。
その夜の観察記録には、次のように記されていた。
EXPERIMENT TITLE: REFLECTOR Re-Observation
OPERATOR: SAITO RENICHI
STATUS: INITIATED
TIME: 00:00:12




