5話
コーレルが去った後、バハラムはシィドウに連れられて宿舎に着いた。
「君がバハラムか!よろしく!」
「ええと…」
生活することになった場所は壁や仕切りはなく、大きな一部屋だった。
訓練場に点在する建物は宿舎で、案内された宿舎は城と直結している。
シィドウに案内されたのは兵達が雨風を凌ぐための部屋の1つで、基本的にここで寝て起きてを繰り返すとのこと。
「アタシはアカヨ・サンナイ!こいつらからはナイさんって呼ばれてるからよ!」
アカヨと名乗る小柄な女性。
パッと見はつり目で怖そうと感じたが、よく響く声とはにかんだ笑顔を向けてくる彼女はとても気のいい人物だと感じた。
橙色の髪は少し赤みがかっておりとても短い。
首に腕を回されたシィドウが前屈みになって苦しそうにしながらぎこちなく笑ってみせる。大変そうだ。
この部屋の住民はあと二人いるらしい。今は食堂にいるようだ。
「二人も行ってきたらどうだ?アタシはもう食べたからさ!」
空腹の警告音が鳴っていた。
アカヨがシィドウに案内を頼み、二人で食事処へ向かった。
入れ違ったようで、それらしき人物は見当たらなかった。
見たところバイキング形式で、大きな皿に乗せられたり、鍋や釜に入った料理が放置されている。
トレーを取ったシィドウは手際よく皿に盛り付けていく。勝手が分からないバハラムは彼に習うことにした。
二人が着席したとき、食事をしている人間は居なくなっていた。
「…まだ提供時間は続いているから大丈夫!ゆっくり食べよう!」
頷けばいいのだろうか。シィドウは直ぐにスプーンを手に取り料理を口に運んでいた。
食前の感謝。手を合わせるバハラムを見てシィドウが珍しいそうにする。
「いただきます」
「文化かい?」
「…そうですね。穀物などを作った人、調理した人、皆さんに感謝をするという意味を込めて」
「…真似てもいいかな?」
「もちろんです」
シィドウはスプーンを置き、二人で手を合わせる。
「「いただきます」」
「どうぞ〜っ!召し上がってくださぁ〜い!」
「……」
バハラムは突如現れた人物を観察する。
その人物の青い目の高さは座っている自分と同じくらい。全身を覆う白い服、お団子にまとめられた黒い髪、帽子からはみ出て横に垂れる耳、ニコニコと向けられる笑顔、特に気になったのはこちらに向けられる両手の肉球。
「シィドウさん、こちらの方は?」
「料理人の方ですね、フーリアで合っていますか?」
「はい!私はメルナのユーユアと申します!」
違うではないか。というツッコミはさておき、ユーユアさんは獣人だと一目で分かった。
「猫、ですよね」
「む、2度目はないですよ〜?猫ではなくメルナです!古来よりアルカリアに仕えてきた由緒正しき血統!猫と違うのは人や龍と言語で交流が可能なことですから!しっかり覚えてくださいね〜!」
可愛らしい鼻がくっつきそうな程顔を近づけてくるユーユアさんは愛嬌のある方だと思った。
そして、彼女なら頼めるのではと思った。
「分かりました。猫と言ってすみません、ユーユアさん」
「むむ、丁寧ですので許します。それで、私に何か頼もうとしていませんか?」
「なぜそう思うのですか?」
「猫ではありませんが、遡れば同じ遺伝子は授かっています。人の纏う空気の匂いくらい、フーリアやメルナなら分かりますとも」
そうなのか。妙に静かだと思いシィドウを横目で見ると食事にがっついていた。
「それではお願いしたいです。ボクの知らないことを教えて欲しい」
沈黙は一瞬だけだった。食事をするシィドウの咀嚼音が聞こえて、バハラムも少しだけスープを啜る。
「私はただの料理人ですが―…学童の講師を目指していたことはあります、はい。もしかして、昔の私のことを知っている…?」
まさかの展開だった。それに恥ずかしそうなユーユアさんの反応から、人には話したくないタイプの過去なのかもしれないと勘づく。
「いえ、ボクは今日初めてここに来ました。フーリアやメルナなど、知らないことだらけです」
胸を撫で下ろしたユーユアはバハラムに向き直る。
「私に何を教わりたいのですか?」
「ボクの知りたいことを」
ユーユアは嬉しそうに微笑んで、コック帽を外した。
「学びの前提は備えていますね、それで、今知りたいことはなんでしょう?」
「えっと…」
一旦整理しよう。
大前提として、俺はこの世界の知識ゼロ。猫は理解されたが、他は全くと言っていい。
今日聞いた単語を脳内に列挙する。こういうのは古いものから忘れないうちに聞くのが良い。
コーレルとの会話から思い出していく…
「コーレルさんから、アジが天に昇った時にゼアーマが落ちてきたと聞きました。アジについて聞きたいです」
「…1つ尋ねてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
ユーユアさんの問いかけは、とても不思議そうで疑うような感じだった。それに、スープを啜っていたシィドウもゆっくりとそれを下ろした。
「あなた…」
「バハラムもしかして…」
「……む、バハラムさんと言うの?」
「え?はい、バハラム・レザリオという名です」
「シィドウさんありがとうございます。どうお呼びすればいいのか分からなくて」
「あ、いえ。あ、ボク先に戻りますね?」
シィドウはスープを勢いよく啜り、そそくさと食堂を出ていった。
「ではバハラムさん、アジについてお話しましょう」
話は聞きやすかったことから、講師を目指したというのは本当だと感じた。しかし俺は違和感を得ていた。
アジの質問をした時、明らかに空気が変わった。疑いよりも強い排他的視線。大雨林で魔物と遭遇した時と同じ空気感だった。
でもそれは一瞬で、多分シィドウが名前を呼んでくれたから救われたのではないかと、心の中で呟いた。
アジは200年前にこの世を救った英雄の名。赤い髪に赤い目、剣を携えて魔の軍勢を星から追い払ったという、栄誉の称号として英雄として讃えられる。
「そんな人がいたんだ」
食堂から戻ると大部屋で雑魚寝する皆がいた。
シィドウが一室から出てきて寝巻きに着替えていた。忘れ物を取りに行くと言って大部屋の隣にある武器庫でバハラムはリーサと話していた。
喋る必要がないのは便利だ。怪しまれないし何より気が楽。
今日の出来事を整理した。自分は浦島太郎状態…。リーサの声は自分以外に聞こえない。これは入国前やコーレルさんと一緒に歩いていた時のことから推測できる。そして、成り行きで恐らく兵になったのだろう…。
「兵?」
思わず口に出してしまう。そうだ、俺はなぜ兵になっている?
リーサの肉体を取り戻すために動くべきなのに、寄り道は不要なはず…
『アヴル帝国へ』
モグラの魔物を倒してから聞こえた声を思い出す。
そうだ、あの声、一体誰が…
「そんなことよりレザリオ!私が寝ている間にコー…レル?って人と会ったの!?」
そうだ。コーレルさんは恩人だ。もしかしたら、俺は大雨林で野垂れ死んでいたかもしれない。というか、リーサも喋っていたはず。俺の名前が間違えているからと、2、3回は喋っていた。
「それはそう!そっか!あの声がコーレルって人なのね!」
何をムキになっているのか分からないが、そろそろ寝る。明日から俺も兵だ。休んで備えなくては。
「お休み!…私はずっとここに置かれるのかな?」
しばらくそうなると思う。そうだ、隣の部屋でも会話できるか試してみよう。
「やってみて!」
静かに扉を開閉する。バハラムは窓側の空いている敷布団に横たわる。
目を閉じて会話を試みる。
聞こえるか?
「…ぇる…!」
位置をこっちにすれば出来そうだな、明日やっておこう。
「わ…った…す…ぃ!」
遠くから聞こえた声を最後に返事は無くなった。
やがてバハラムも眠りに落ちた。
窓側というのもあり、日光を直に受けるバハラムは眩しさから体を起こして目を覚ます。
「こっからは草原になるなぁ…んにーーんがっ」
大雨林にいた時の名残で夢の中では森の中を彷徨っていた。それと同時に目覚める時に寝ぼけながら喋ってしまう。とある鳥型の魔物を追い払うためだった。
しかしここは屋内で、大雨林では拝めなかった陽の光が背を照らす。
そして、欠伸をしながら目開けると目の前に女性、その後ろに兵装をした人間が3人いた。
意識的瞬きを2回、バハラムは記憶を巡らせる。
「アカヨ…さん」
ニマッと笑ったアカヨが口を開く。
「おはようバハラム。よく寝れたか?」
「…ウウィッテさんの墓は?」
「ウウィッテ?」
「寝ぼけてますよ、彼」
バハラムはもう一度欠伸をする。
「……おはようございます」
「おはよう!顔洗いに行くぞ」
身支度のついでに大剣の位置をズラした。
訓練場に引かれている海水で顔を洗う。
とても冷たいが、目を覚ますには持ってこいだ。
「沁みるぅ〜」
他の3人は先に朝の鍛練をしている。バハラムとアカヨは遅れて始めるつもりだ。
「アカヨさんは朝弱いのですか?」
「ナイさんでいいって〜、うーん、少し前の調査で少し疲れが溜まってな。まぁ、朝は元から苦手なんだ」
「以外です。…調査というのは?」
その場に座り込むアカヨと同じようにバハラムも腰を下ろす。
「ホルィド大雨林でね、新種が出たみたいで調査に行ったんだ。私とシィドウとナルナッテで」
バハラムは素振りをする彼らの方を向く。空を切る音が、潮風を意に介さずこちらまで聞こえてくる。
「ガイーツって名前が一昨日付いたモグラの魔物。ソイツらの調査だけのはずだったんだけど、その近くに変な跡があってよ」
「跡?」
「ファーフィロスの足跡が近ぇかな?でも片脚分しかなくてよ、しかも5つくらいが重なってんだ。おかしいと思わねぇか?」
大雨林完全版資料で見ていない名前を聞く、所詮井の中の蛙かと己を嗤う。
バハラムは思った。もしかしたら、自分が作った"アレ"なのではないかと。
そして「それ、ボクがやった跡です」なんて、正直に言うのは恐らく身を滅ぼすのだと。それに、彼女たちが実際に見たのが”アレ”だという確証はない。
バハラムは決心した。知らないふりをしようと。
「そんなことが、それは大変でしたね」
「まぁ戦地に行くより楽だな。特に気持ちがよ、魔物相手なら遠慮しなくいいからな」
戦地…?戦争、しているのか?
非日常な単語に体が一瞬跳ねる。しかしそうだ、昨日の時点で俺は兵になっている。兵士とは、国家の戦闘組織の構成員で…。
少し考えれば分かることだが、今の今まで夢を見ていたかのように全く身に入ってこなかった。恐らく、大雨林での生活が長すぎたせいだ。などと言い訳する暇があるなら、これからどうするべきか考えるのが先決だ。
そしてこれについても思った。聞かない方がいいと。
「帝国は精鋭揃い。私みたいなのはまず切り落とされる」
「…今も兵で居られる理由は何でしょうか」
「私が強いからかな」
笑顔を向けたアカヨさんはまぶしく見えたが、どことなく不安そうに見えた。




