2話
何度曇天の日を過ごしただろう。月を拝めたのは数える程度で、この熱帯雨林気候の森林地帯は常に雨雲が天を覆っている。
衣類はボロボロ。不定期に爪は削っているが、髪は面倒臭がり肩まで届いていた。
リーサは相変わらず元気だが、バハラムはそうではなかった。
「ハハハハハハ!!私がバハラムだ!!」
「……」
バハラムがこの調子なので、リーサも声をかけづらかった。しかしこの日々の中で互いに知れたことがある。
バハラムの体には記憶がなく、その人である自覚がなかった。しかしリーサのために、リーサの知るバハラム・レザリオとして生きていく事を決めた。
リーサはと言うと相変わらず宝玉にしがみついてるような状態。共有できた情報は、視覚はないがある程度の空間を把握でき、聴覚があること。食事は必要なく、睡眠は必要。性欲はあるが致す方法がない。
特筆すべきは生命の探知能力。
空間全体に神経の通った糸を張り巡らせているような感じらしく(リーサ本人の言う限り)、その空間内にある心臓が分かるということだった。そして心臓は赤い色というのはハッキリと分かるらしい。と言ったところだ。
余談だが、幼なじみであるバハラム・レザリオの事を好いていたことも知った。
「おらぁ!ぺひゃって!おい!!呆気ないぞ自然!!」
今しがた二足歩行型の小型竜を倒したバハラムだが、彼は連日景色が変わらず抜け出せない迷宮で生活するうちに狂ってしまっていた。
リーサはそんな彼に対してどう思っていたのか。今の彼の姿を、どう思っているのか。
しかし彼の勘は割と当たるほうだった。
ある日。この森では珍しく雨が降らず、月が拝める日だった。「あっちに水がありそー!!」と、寄り道した時に思わぬ収穫があった。
こんな自然界で一際目立つ色と質感。直ぐに手に取り書物だと分かった。
「ナニコレ?…うぇっ、ひょえ!!」
『ホルィド大雨林完全版ラランメー発行絶版:ラランメー・ミスィト著』という、この大雨林の完全版資料があったのだ。
「あ…」
そこは洞穴になっており、入口の左側の脇に人の亡骸があった。背負っていただろう大きな荷物と人骨、共に風化していた。
焚き火の用意があるが、湿気に腐食された枝からはもう安寧を享受することが不可能だと、火を見るより明らかだった。
ここで力尽きたのだと誰でもわかる。バハラムは枝を適当に集め火を起こした。
こんなんじゃ可哀想だ。と思ったバハラムは遺骨を埋めてやった。
荷物の中身を見ると長持ちするのであろう食材が少し、瓶に詰められていた。市販のであろう水や食材以外にも小型ナイフや地図、嗜好品があったが、その中に一つだけ特別感のあるものがあった。
手のひらサイズの絵画だった。海を背景に高身長な男性と背の低い女性が佇んでおり、幸せそうに微笑んでいる。
「ウウィッテ・レヌード。ハラグ・メティモラク」
絵画と目の前の人骨から持ち主が男性であるウウィッテ・レヌードだと判明する。
人名は絵画の裏に彫られていた。
芸術に詳しくないバハラムだが、彼らの事を思うと涙が零れた。
感情移入していたバハラムが一瞬戸惑う。
ちょっと待て。というようにもう一度絵画の裏を見る。
そこには同じように名前が彫られているのみ。他には何もない。しかしバハラムが疑問に思ったのは至ってシンプルなことだった。
「…なんで読めんだ?」
バハラムはその文字が読めなかった。
というより、初めて見る文字だった。
舌が覚えているなどは感覚の話であって、文体などは視覚と記憶に結びつくはず。
今考えても答えが出る訳では無い。そう悟ったバハラムは一旦謎を保留する。
墓標は絵画と、暗がりで唯一光っていた指輪。こんな場所だと荒らされてしまうかもしれないが、せめてもの思いで洞穴に転がる石を使って飾ってあげた。
閑話休題。改めて完全版資料に目を通すと、この大雨林に生息する9割の魔物をバハラムは討伐していた。
やはり文字は読めて、それが恵集語というものだと分かった。
食材のページではよく見た魔物のイラストと文が添えられていた。
『中でも最も美味なのは河馬の肉だが、しっかりと臭みを取って炙らなければならない』
討伐方法が大剣(爆発を引き起こす)のため、最後の一文がとてもやるせない気持ちにさせる。隣のページには例の黒い鳥類が。
『特に皮が独特で癖になる。砂肝は冒険者に定評のある酒のつまみ』
どこかしらに今のバハラムではどう足掻いても味わえない要素があった。
そして資料には『ギルド』という単語があった。
『ギルド』によると、指定狩猟区域以外での依頼以外による討伐及び狩猟は禁止。区域内でも国の許可またはギルドの依頼受理証が無い場合に行った場合には罰則があるらしい。
現状人と遭遇していないため、とりあえずこの一文は無視して良いと判断した。
他にも小難しいことがつらつらと記載されていた。そして次のページに指定狩猟区域…もとい地図が載っていた。他にも地図はあったが、この本のものが1番綺麗な状態だった。
有難いことに周辺地理も確認できる上に、大陸北の海に沿って西に行けば『アヴル帝国』なる国があることも知ることが出来た。
『ホルィド大雨林』はここ『エスティール大陸』の東部の大半を占める巨大環境で、この世界『イアース』の5割の生物が群生している。
…と、デカデカと記載されていた。つまりバハラムはこの世の4割以上の魔物の討伐が完了している訳だ。
重要なのは『オテシアの崖』という単語が地図に載っていたこと。
道中には他の崖もあったが、初日以降視界左側を支配していたそれは、他のついづいを越える規模だった。
ここでもバハラムの勘は的中、崖は森の北から南にかけて存在しており、崖上が西側。つまりバハラムの初期位置は東側、方向感覚がドンピシャだったのだ。
「私がバハラムだ!!」
あまりにも運が良い彼は洞穴で一晩過ごした。
「レザリオ起きて!!」というリーサの声で目覚めたバハラム。
リーサは何度も呼びかけていたが、彼が目覚めたのは大きな揺れと、彼の顔に水滴が飛んできたタイミングだった。
「大きな音がずっとしてる!!起きてってば!」
その音の正体は、バハラムの目と鼻の先まで来ていた。
目の前には赤い眼に宿る黄色い瞳。決して逃がさないようにバハラムを捉え続ける。
大雨林で見てきた生物の中で最も接近したかもしれない。その巨大な頭がツルのように垂れる長い首からバハラムを食い殺さんばかりに鼻息で威嚇してくる。
グルルルルルと唸り声を発し続け、覗く牙が狩るべき獲物か選別する。
背後からは聞きなれた音、ぬかるんだ大地に天の恵みが降り注いでいる。
生と死の狭間に置かれている自分の手に剣が無い。
汗が全身を流れるのを感じながらゆっくりと視界を左右へ動かすと、昨夜壁に立てかけた位置から動いていないのが確認出来た。
軽く安堵したバハラムを咎めるように魔物の息がかかり、出し切ったと思われた汗が吹き出す。
目の前の巨大な敵は剣の存在に気づいていない様子だが、走って取りに行くにはやや遠い。
この状況を打開するには、この魔物の情報を得るしかない。
剣の横に置いてある完全版資料の内容を、薄らと残っている記憶の中から探し出すしかない。そう確信した。
そしてどういう訳か、魔物はバハラムを見下ろすだけで攻撃してくる素振りはない。
好機と見たバハラムは警戒しつつ脳内を逡巡する。
最も覚えているのは河馬の魔物。名前はポタモス、群れのリーダーがパンメガモス。
次点で黒鳥の魔物。確か琴鳥という名称で……オラ…。オラ……なんだったか?まぁここは重要では無い。記憶が正しければ、魔物情報は東西南北の記載があった。
記載はあくまで生息区域が集中しているというものだったはず。基本的には大雨林内のいずれでも目撃情報はあったはず。
そして彼らは西と北で多いとあった。自分の現在地と照らし合わせても合点がいくものだ。
なので、目の前の魔物も頁としては近くで見たはず。今居るのが北部で間違いないのであれば。
覚えているものなんでもいい!とりあえず単語を並べていこう。北部、帝国領、土竜…?土竜ではないな。蛇、緑竜…?
改めて目の前の魔物を見つめる。相変わらず据眼で睨みつけてくる。薄暗いのもあるが甲殻は黒が基調で、緑とは程遠いのが分かる。
首から腹にかけて見える肉は茶色いが、中身は美味なのだろうか?
長時間の緊張状態で思考が軌道を変えつつあった。
「海域」
ふと頭に出てきた単語だった。そしてもう1つ情報があった。
目をこらすと背部に毛が生えているのが見えた、少し紫がかっているように見える。
点と点が繋がり、バハラムの中で目の前の敵の答えが出た。
『海理竜』
思い出せたのはその名称と、イアースの中央海域を支配する海の頂点であり、雌雄で容姿が異なる。
という情報だけ。この場を脱するには情報量がやや不足していた。
半ば諦め肩の力を抜くと雨の音がしない。
雨が止んだところでどうなる。そう思っていた。
背中から熱気を感じ取り、洞穴が熱気を吸い込むように湿度が上昇していく。
対した変化ではないが、目の前の海理竜はそれが気に食わなかったのか、バハラムという獲物を不要としたのか定かではない。
踵を返し、巨大な2足で洞穴の奥へと進んでいった。
「遠ざかっていく!!」
リーサが嬉しそうに声をあげる。
「そのようだな…」
仰向けになり何度も息を吸っては吐く。
雨音に変わって鳥たちのさえずりが演奏を始めた頃、体を起こし身支度を始める。
まだ使えると思い、ウウィッテ・レヌードの持っていたバッグに荷物をまとめる。
「水が欲しい…」
生憎、昨晩で飲みきってしまったようだ。すぐ傍にあった湖で補給してから、バッグを背負う。
「もしかして刺してる?」
「バッグの横に縛り付けた」
大剣はバッグのサイドポケットに入れる形で突き刺し、念入りにツタで縛り付けた。
大雨林を抜けるため、地図を頼りに再び歩み始める。




