第十三話:リナとエリスの接触
放課後の静まり返った回廊。エリス様が生徒会室へ向かおうとしたその時、踊り場の影から、一筋の金髪が揺らめいた。
「ごきげんよう、エリス様。……シオンのところへ?」
鈴を転がすような、けれど背筋に冷たい刃を当てられたような声。
姉のリナが、壁に背を預けて立っていた。
エリス様は一瞬、息を呑んだ。自分から婚約者を奪い去ろうとしている「男爵家の魔女」。けれど彼女はすぐに公爵令嬢としての矜持を呼び戻し、顎を引いてリナを正面から見据えた。
「……ええ。シオン様には、生徒会の予算案について、いくつか確認したいことがありましたので。……ノーザン令嬢、何か御用かしら?」
凛とした、隙のない振る舞い。
リナはそれを見て、ふっと不敵な笑みを浮かべた。その瞳は、エリス様の心の奥底にある「秘密の安らぎ」を、とっくに暴き出しているようだった。
「いいのよ、そんなお芝居。……あなたが生徒会室で、私の可愛い弟と秘密のお勉強会をしていることくらい、お姉ちゃんの目にはお見通しなんだから」
「っ……!」
エリス様の顔から、さっと血の気が引いた。不貞、あるいは密会。もし広まれば、公爵家の名誉は失墜し、シオンの立場も危うくなる。最悪の事態が頭をよぎり、彼女の指先が微かに震えた。
――けれど、次の瞬間。
「……しっかりしてくださいませ」
リナの低く、重みのある声が響いた。
不敵な笑みは消え、そこにはシオンですら見たことのないような、真剣な、そして何処か切実な表情があった。リナは一歩踏み出し、動けないエリス様の肩を、両手で強く掴んだ。
「エリス様。……あの子には、あなたが必要なのよ」
「……え?」
「シオンはね、生まれついての苦労人なの。私の我儘と、殿下の野心。その二つの巨大な嵐に挟まれて、あの子は自分の心を殺して、ただの『便利な道具』として生きることに慣れすぎてしまった。……そんなあの子が、あなたといる時だけは、ようやく一人の『人間』に戻れているの」
リナの瞳に、弟への歪で深い愛情が宿る。
「私には、あの子を甘やかすことはできない。あの子を王の右腕に、この国を支える柱に育て上げなきゃいけないから。……だから、エリス様。あの子の心を繋ぎ止めるのは、あなたの役目なのよ」
「でも……私は、殿下の婚約者ですわ。それに、私の家とシオン様の家では、身分も……」
エリス様が震えながら反論しようとすると、リナは再び、深く、暗い悦びに満ちた不敵な笑みを浮かべた。
「身分? 婚約? ……そんなもの、ただの紙切れじゃない」
リナはエリス様の耳元に顔を寄せ、悪魔のように囁いた。
「いざとなったら、私が世界ごとひっくり返してあげるわ。……あの子が望むなら、私は王妃にだって、悪女にだってなってやるわ。だからあなたは、あの子のそばにいてあげて。……いいわね?」
有無を言わせぬ圧迫感。
リナはそのまま、何事もなかったかのように軽やかな足取りで去っていった。
一人残されたエリス様は、自分の肩に残る熱量に、ただ茫然と立ち尽くしていた。




