46話
「はぁっ‥‥‥はあっ‥‥‥はぁ‥‥‥」
エレベーターから降りた悠生は、屋上へと繋がる階段を駆け上がっていた。
‥‥‥特に考えがあった訳ではない。
敷地外とはいえ、マスコミが張っている。会社から逃げることは出来ない。
‥‥‥少しでも時間を稼ぐ。
それで何かが変わるはずだと、思い込む事しか出来なかった。
屋上へ繋がる扉を開ける。
悠生の目の前には、この建物のインフラに関わる設備や、メンテナンス用の構造物があるくらいで、やや殺風景な景色が広がっていた。
―――空には雲1つない快晴。
その眩しさと清々しさに圧倒される。
一瞬、記憶の奥底で何かが小さな音を立てて転がり落ちる感覚を得る。
悠生が遥か昔に目指していた『何か』がそこにあるような気がした。
「‥‥‥くそっ」
それは、悠生が小さい頃に大切にしていたもの‥‥‥『幸せ』
今の悠生は”邪魔なもの“だと、無意識の内に切り捨ててしまった。
◇
エレベーターが最上階で止まっている事を確認する。そして、ある人物に連絡を入れる。
‥‥‥天城悠生の居場所が分かった。
眞は詩音を抱えたまま、屋上に向けてエレベーターを動かす。
「‥‥‥‥‥‥眞」
「なんですか?」
「‥‥‥‥‥‥なんでもない」
肩に顔を向けているため、表情を伺う事が出来ない。ただ、何かを遠慮しているような雰囲気を感じた。
「‥‥‥そうですか」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥いつか、話す」
「‥‥‥はい」
詩音はか弱い腕に力を込めて、更に身体を密着させる。
言葉の意図は分からない。
だが、詩音は約束を破らない筈だ。そう考えていた眞は何も言わずに、階数を表す数字を静かに見つめる。
屋上を表す階数で止まる。
「ここからは、自分の力で歩く」
屋上へ繋がる階段を昇り、扉の前に立った時に詩音が呟く。表情は優れないが、眞は黙って詩音に従う。
自身の足に力を込め、ゆっくりと歩く。
「行くぞ、眞」
「はい、詩音さん」
扉を開ける。
真っ青な空の下。
視線の先に、天城悠生が立っていた。
「‥‥‥‥‥‥しつこい奴らだ‥‥‥」
悪態をつく悠生に向かって、詩音が歩を進める。
―――言葉は無い。言いたい事は全て言った。
ナイフを握り、悠生の元へ近づく。
悠生は銃を構えるが、詩音は避けようとはしない。
―――銃声。
だが、悠生の持つ拳銃は、役目を果たすことなく地面に転がっている。
「いっ、今のは?!‥‥何故だっ!!」
撃たれた手を押さえながら狼狽する。
肩も、手も役に立たない。
「ごっ、ぐあああっ‥‥‥」
足先が銃弾で穿たれる。
手も足も、外傷は最小限。
しかし、もはや用をなさない。
目の前の復讐者に怯えるように後退る。
徐々に距離を詰められ、悠生は壁に追い詰められてしまった。
「謝るっ‥‥‥全て私のせいだっ!‥‥‥認める、私が全て悪かった!」
「黒羽っ‥‥‥頼むっ、命だけはっ‥‥‥」
詩音は止まらない。
今度こそ天樹悠生に引導を渡す‥‥‥その一心。
「やめっ、止めろぉっ?!」
「‥‥‥‥‥‥くっ‥‥‥」
‥‥‥気を張り続けていた詩音の身体が止まる。
詩音の意思とは裏腹に、身体は限界を迎えてしまった。
「‥‥‥くそぉっ!!」
その隙を見逃さず、悠生が胸元に入れていた箱を投げつける。
「‥‥‥っ?!」
小さな箱の投擲。
それすらも今の詩音にとっては、耐えられないほどの攻撃となっていた。
どさっ、と尻もちをつく。
あまりにも情けない姿。
後、数歩で天樹悠生に手が届く。
‥‥‥しかし、詩音は動けない。
「‥‥‥‥‥‥もう、駄目‥‥‥」
最後の気力を振り絞り、ナイフを振り下ろすつもりであったが、それが叶わない。
その事実に、悔しさと無力感が爆発した。
「ごめんなさい‥‥‥父さん‥‥‥母さんっ‥‥‥‥何も、出来なかったよ‥‥‥」
「‥‥‥ふは、ふはは、ははははあはっ」
「幹久ぁっ?!‥‥‥もはやお前には何も出来ん」
「何も得ることの無い、無駄な人生だったなぁっ?!」
「大人しく、死んでいればいいっ!」
悠生には既に詩音が見えてはいない。
ただ、過去の亡霊‥‥‥黒羽幹久しか見えていない。
―――――だからこそ。
間に割って入る男の姿に、最後まで気が付くことが出来なかった。
「天城悠生‥‥‥お前だけは、絶対に許さない‥‥‥」
「‥‥‥はっ?」
詩音を守るように、悠生の前に立ちはだかる。
「‥‥‥赤城眞だ」
「何を、言って‥‥‥?」
「お前が見捨てた‥‥‥赤城千早と」
「その名前はっ‥‥‥?!」
過去に切り捨てた女の名前に動揺する。今となっては、その名を知っている人間はいない筈。
‥‥‥1人を除いては。
「天城悠生‥‥‥お前の息子だ‥‥‥」
「何だとぉっ?!貴様がっ‥‥‥!!」
自分が産ませた、過ちの子。
天城悠生の落胤。
血を分けた息子が、怨みを携えて目の前に立っていた。
「この事実は、既にお前の妻には伝えてある‥‥‥」
「‥‥‥まさか、あれは‥‥‥?!」
「そうだ、お前にはもう‥‥‥帰る場所は無い」
「‥‥‥なんて事をしてくれたんだっ。貴様あっ!!」
天城悠生の不義が、香蓮に伝わった。
それの意味する所を即座に理解する。
‥‥‥そして、どんな結末が待っているかすらも。
「復讐だ。ずっと、この時を待っていた」
「‥‥‥がっ、ぐぁっ‥‥‥」
動かない足を引きずりながら、怒りに任せた抵抗を試みる悠生を足蹴にする。
躊躇も手加減も一切無い、冷淡な一撃。
地面に転がる悠生を見ることなく、詩音の前に跪く。
「‥‥‥詩音さん、銃を」
悠生の落とした拳銃を詩音の手にそっと握らせる。重さから、銃弾が残っていることは分かった。
「‥‥‥だが」
「照準は詩音さんが‥‥‥引き金は、俺が引きます」
躊躇する詩音に言葉を紡ぐ。
万が一にも、殺人を忌避する詩音の手を汚す訳にはいかない。
だから、照準を詩音に依頼した。
「‥‥‥‥‥‥2人で、果たしましょう」
「‥‥‥‥‥‥ああ」
照準を合わせる詩音の背に回り、抱きしめるように小さな身体と手を包み込む。
―――引き金には、眞の指が掛かる。
「やめろ‥‥‥撃つなぁっ‥‥‥助けっ‥‥‥?!」
散々悪あがきをした悠生は、恥も外聞もなく、只々、命乞いを繰り返す。
そんな悠生に、眞は積年の怨みを言葉に乗せる。
「生きている限り‥‥‥何度でも、必ず‥‥‥お前を追い詰めてやる」
「お前だけは‥‥‥絶対に、許さない」
「ひぃっ‥‥‥?!」
眞の執念と怨念が、天樹悠生の魂に消えない傷を残す。
「‥‥‥先に地獄で待っていろ」
―――晴天の下、響き渡る一発の銃声。
詩音と眞が放った一発の銃弾が、長きに渡る復讐に幕を下ろした。




