27話
「どうしましょう‥‥‥」
眞はカウンターに突っ伏す。
こんな事になっている原因は、黒羽製薬で働いていた『梶原』の調査を依頼するために『パワースラップ』という荒々しい大会に参加せざるを得なくなったからだ。
「‥‥‥はぁ‥‥‥安請け合いなんかするからだ‥‥‥」
詩音は呆れた様子で話しかける。
「••••••ですが『梶原』という元社員の情報も欲しいじゃないですか‥‥‥‥‥‥詩音さんは穂積さんには依頼しなかったんですか?」
「頼んだ事はある‥‥‥だが、無理だったんだ」
「え?‥‥‥詩音さんでも、ですか?」
詩音と朱鷺の間柄でも、無理だったという事実に驚く。
「ああ‥‥‥前も言ったが、あいつは情報屋ではない。それに眞も見たと思うが、あいつは極度の人見知りだ。足で稼ぐことはできん」
「でも、インターネットで調べたり、人に依頼して情報を集めるとか‥‥‥」
冷泉家での依頼の際は、屋敷に関する細かい情報を調べてくれていた。その事が眞の記憶に残っている。
「‥‥‥眞がそう考えるのも無理はないが、あれは大金を積まれた以上、引くに引けなかったからああやって細かな調査をしたんだろうな。あれは特別だ」
「••••••まあ、ハッキングはできるかもしれんが専門家ではないんだ。••••••そもそも手に入れた情報が正しいものなのか、そうではないのかといった見極めが出来ない。あくまであいつは『偽装』に特化した奴なんだよ」
「偽装‥‥‥ですか」
何の専門家であるか聞いたことはなかったが、詩音は『偽装』と話す。
「ああ、以前のように清掃業者に偽装させたり、会員証を偽造したり‥‥‥戸籍やパスポートなんかも偽造できるな」
「それ、凄いですね‥‥‥」
「だからこそ大金を要求される‥‥‥そういったのもあいつ1人で作るからな」
「では穂積さんがいた所も、そういったものを作る場所なんですか?」
「だろうな」
詩音が同意する。眞が想像していた通りであった。
「そういう奴だから、専門外のことでは法外な額と条件を提示される。特に私の弱みになることであれば、どれだけ足元を見られるか‥‥‥」
さすがの私も開発は困る、と呟く。
眞は聞かなかった事にして、更に質問を続ける。
「でも、穂積さんって‥‥‥詩音さんの‥‥‥」
「だからといって、あれもこれもしてくれるとは限らん。それに、そんな女はこちらから願い下げだ‥‥‥朱鷺みたいに、隙あらば反抗する気概のある女が好みでな‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
詩音も朱鷺も、大分屈折した嗜好と関係の持ち主であると再認識した。
「何を心配しているのよ?」
2人の会話を見守っていた四条が間に入る。
2人の間に煮詰まった雰囲気を感じ取ったのだろう。眞は四条にも事情を話すことにした。
「そうだったの••••••大体は分かったけれども‥‥‥その情報は必要なのかしら?‥‥‥捏造の情報だけでも得ることができれば良いんじゃないの?」
「‥‥‥それだけでは足りない気がするんです‥‥‥『梶原』は、詩音さんの父親が信頼していた人みたいですから‥‥‥何か手掛かりを持っているのかもしれません」
黒羽製薬の新薬捏造データを手に入れることが出来たが、それだけでは武器にならない。中身が信憑性のあるものかまだ分からないからだ。
それに、捏造データだけでは決め手に欠ける。捏造した事実に関与したという証拠が欲しい。そのためには詩音がもっていた遺書に記されていた『梶原』の調査を行う必要があった。
詩音の父、黒羽幹久に信頼されていたようだ。何か手掛かりを持っているかもしれないと眞は考えていた。
「手掛かりを得られる可能性はあるのね‥‥‥そもそも赤城さんはその大会とやらに参加して大丈夫なの?‥‥‥‥‥‥だって素人でしょ?」
カウンターに突っ伏していた理由に戻る。
「‥‥‥‥‥‥そこなんですよね」
「後悔しているの?」
「いえ、それは全く‥‥‥」
朱鷺の依頼を受けたことに対しては全く後悔はしていない。痛い思いをすることは分かってはいるが覚悟の上だ。
ただ‥‥‥
「‥‥‥人を叩くとか、そういった暴力的な事はしたことが無いので‥‥‥」
「そこなのねぇ‥‥‥」
眞にとって、そこが最大のネックであった。詩音には度々ナイフの扱いは教えて貰ってはいるがそれだけだ。格闘技の経験はおろか、人と取っ組み合いの喧嘩経験すらない。
「‥‥‥ま、そのくらいなら協力できるかもしれないわ」
「えっ?バーテンダーさんが?」
意外な返答に思わず聞き返す。
「ええ、こんな場所でこんな商売をしていると、たまーに厄介事に巻き込まれるのよね。だから護身術程度なら身につけている訳」
「では‥‥‥」
「空いている日にちがあれば平手打ちの仕方くらいなら教えてあげるわよ」
「ありがとうございます。落ち着いたらお礼をさせて頂きます」
「お礼は、ここで飲んでくれるだけで良いわ。常連さんだものね」
「‥‥‥日にちはマスターに合わせる。好きな日に教えてやってくれ」
会話を聞いていた詩音が口を挟む。
上司からも許可が出た。
「詩音ちゃんからも許可が出たみたいだから‥‥‥この日はどうかしら?私のお店もお休みだし」
「ええ、お願いします」
日にちを決め、四条から最低限の護身術を教わることに決めた。
「じゃあ、悩みの種も無くなったし、何か飲みましょうよ」
「はい、では何かおすすめを‥‥‥」
「‥‥‥先にこっちだ。••••••あのボトルを」
「はいはい、久しぶりだからって飲み過ぎちゃ駄目よ?」
「‥‥‥」
詩音が指定したボトルをカウンターに出しながら、グラスに注ぐ。
グラスを受け取った詩音は四条の話しを受け流しながらそのまま飲んでいた。
「そのボトルはなんてお酒なんですか?」
「ああ、これね。グレンファークラスの25年ものよ」
「‥‥‥どんな味がするんですか?」
「濃厚な果実感にハチミツとチョコレートの香り、それと長期熟成もの特有の円熟味があるのよ‥‥‥飲んでみる?」
「では、それをお願いします」
「そうこなくっちゃ、はいどうぞ」
濃い琥珀色の液体が入ったグラスを受けとる。
四条の言う通り、甘い果実やはちみつの香りがする。
口に含むとレーズンやマンゴーなどの果実と、ダークチョコレート系の風味。オレンジが後味に続く。味全体の裏側に焼けた土が薄く伸びており、シェリー樽由来のぶどうのニュアンスと、木香が混じる長期熟成のモルトが円熟味を作る。
全体的にアルコール感は薄く、穏やかに口から喉へ進むが余韻は長い。
「‥‥‥美味しいですね。穏やかなのに濃い味がします」
「シェリー香が嫌味にならないのよ。長期熟成の銘酒、って感じよね」
「おっしゃるとおりです」
四条と酒の味や特徴などの話題で盛り上がる。
その影で詩音は静かに飲み続けていた。
「‥‥‥‥‥‥っ‥‥‥」
詩音のグラスが一瞬止まる。
額に薄っすらと汗が浮かぶが、2人に悟られないように袖で拭う。
グラスの液体を飲み干し、水で流す。
一息ついたところで煙草を吸い始めた。
汗は引いていたが、違和感は少し残る。
「••••••••••••」
煙を肺に入れながら、今の感覚について考える。
記憶の底に答えがある様な気がしたが、気づかないふりをする。
そんな詩音の小さな変化に、向こう側の2人は気が付いてはいなかった。




