ようこそ、桜庭探偵事務所へ。 ⑬
「あー……生き返る……。」
戻ってきた探偵事務所で、ソファに深々と身を預けた桜庭さんが冷たい水を飲みほして呻くような声を上げた。
空になったグラスにすかさずおかわりを注いでからカウンターの奥へ引っ込んだ柊野君が、その手にトレイを乗せて舞い戻ってくる。
お待たせしました、との言葉と共に、湯気を立てる紅茶と焼き菓子が並べられていく。
「ありがとー……お前も座って。一件落着したところで乾杯でもしようか。」
「先生、ティーカップで乾杯はあまりよろしくないかと。」
「そか。じゃあやめよう。いただきます。」
「いただきます。……椿木さんも、是非。」
「あ、はい……いただきます。」
向かい合う僕と桜庭さんの真横に椅子を出した柊野君が腰を下ろし、上品な仕草で紅茶を飲んでいく。
会社に出向く前に淹れてもらったのとは少し違う、甘い香り。
それでいて味はすっきりとしていて、香ばしいクッキーとよく調和している。
甘いものなんて、もうずいぶんながいこと食べてなかった気がする。
「それじゃ、今後のことでも話し……美味そうに食うなぁ。」
久しぶりの幸せに浸りすぎていたんだろうか、体を起こしていた桜庭さんがまじまじと僕を見つめていた。
慌てて口の中のものを飲み込んでから、居住まいを正す。
「す、すみません。」
「いやいいよ、好きなだけ食べてくれれば。なぁ?」
「はい。そんなに嬉しそうに食べていただけると、作り甲斐があります。」
「えっこれ柊野君が作ったの!?」
「趣味の一環ですが。お気に召したのなら、俺も嬉しいです。」
柊野君の顔が小さくほころぶ。
紅茶を淹れるのもうまくてお菓子が作れて、調べ物も早くて正確で、その上これだけ控えめなんて。
喜ぶ声もまるで春に小さなつぼみが開くようで、あたたかな心が伝わってくる。
「何か一人置いてけぼり食らってる大人が水を差すようで悪いんだけど、進めていいか?」
「はいっ、すみません!」
「先生には全て見えているかと思いますが、おおむね異存ありません。」
「では続けまーす。」
さくさくとクッキーをつまみながらぼんやりと僕たちのやり取りを見つめていた桜庭さんが口を開いた。
二人揃って頷くのを見届けて、桜庭さんの瞳にくっきりと僕が映る。
「椿木君さ、この先どうするつもり?」
「仕事、なくなっちゃいましたし……職探し、ってやつですかね。あ、家も探さないとか。住み続けられるのかな。その場合家賃どうなるんでしょう。」
「んー……一応住めないってことはないけど……。大家さんには話するつもりだし、家賃は通常通りに下がると思うよ。」
「話、ですか?」
「うん。椿木君が多く払ってた分の分け前は大家さんにも入ってたはずだからね、それは返してもらわないと。君が望むなら詐欺として訴えることもできる。」
「いや、そこまでは! むしろ、お金が帰ってくるとは思ってなかったし、十分です。」
どれだけ割り増しされていたのかはわからないけど、家賃が下がってお金も帰ってくるのなら、少しの間住み続けることは可能だろう。
とはいってもそう安いところじゃないだろうし、無職の身ではいずれ破綻するのは目に見えている。
運よくすぐに仕事が見つかったとしても払っていけるだけの給料がないと辿る道は同じだし。
それを考えるなら早めに安い家に引っ越したほうが良いのかもしれないけど、引っ越し代もバカにならないしなぁ……。
どうしたものかと首を捻る僕に、桜庭さんの手が上がる。
ごめん、と掠れた声に目を向けた先で、項垂れた頭。
「話す順番を間違えました。と、いうか、あくまで俺の個人的な意見なんだけど……今の家に、住み続けるのはやめたほうが良いと思う。」
「え……どうしてですか?」
「大家さん含め、社長さんが君のことをどこの誰に、どんな風に言ってたかが絞り込めないから。君のことを利用しようと考える人が押しかけてこないとは言い切れない。」
「そ、う……か。そう、ですよね。」
確かに、言われてみればそうだ。
社長は僕に利用価値があると思っていたんだし、何処かでそんな話をしていてもおかしくはない。
社長が捕まったことが広まれば、自分の番だと手を出してくる人もいるだろう。
だとすると、少しでも早く居場所を変えたほうがいい。
数日の猶予くらいはあるだろうか。だけど、その隙に何かがあったら後悔してもしきれない。
就職先より先に探すべきは、すぐに入居できる家。引っ越し業者にも頼んで……。
出来れば安価な方がいいけど、この際四の五の言ってはいられない。
いや、それよりひとまずネットカフェなんかに身を隠したりするべき?
「それでさ。」
「でも家の近くで待ち伏せされてたら引っ越しするときにつかまるかもしれないし……あ、すみません。」
「いや、考え込んでるところ悪いんだけど……うちの事務所に来た時君が言ったこと、覚えてる?」
「え、っと……?」




