決戦前夜
そして、伊織たちの旅を始めてから約3年ほどが経った。
襲い掛かる魔族、四天王を薙ぎ払い、魔王討伐の旅は佳境へと差し迫っていた。
無論、何も全てが上手くいったわけではない。
多くの人が涙を流し、数多くの別れをしなければならなかった。
当たり前のことだが、これは戦争。
人族と魔族がお互いの存続をかけて戦わなければならない生存競争だ。
和解の道など、あるはずがなかった。
しかし、伊織とサーシャは諦めなかった。
魔族の説得、交渉、色々な手段を行ってきた。
結果は惨憺たるものではあるが手ごたえはある。
戦いたくない魔族も確かにいるのだと、平和を望む者もいるのだと知った。
だからこそ、例の『魔術』の完成を急いだ。
魔族嫌いなルシフィナやリューザスにバレないように隠れながら。
だが、時間は結局有限で魔王城の直前にまで全員が辿り着いてしまった。
もう激突するまでに時間は残されていなかった。
◇◇◇
決戦前夜とのことで酒の席が設けられたが、伊織とサーシャはすぐに退席をした。
お酒が好きではないという理由もあるが、単純に魔族を殲滅する話が聞きたくなかったこともあるからだ。
2人は魔王城が見える小山へと登り、そこに腰を下ろした。
「…」
「…」
ただお互いに座ったまま、しばらく過ごしていた。
しかし、最初に沈黙を破ったのはサーシャの方であった。
「もう二年ですか……私とアマツさんが出会ってからそんなに立つんですね」
「ああ。がむしゃらに突き進んできただけの毎日だったがな」
伊織はあまりに濃密な二年間に自分ながら、良く生きてこれたと嘆息してしまう。
迷宮に四天王、エルフィスザーク・ギルデガルドという魔族が次々と襲い掛かってきたのだ。
命がいくらあっても足りない場面が目白押しであった。
「私は皆さんについていくだけで精一杯でしたよ?アマツさんなんて、全部倒してしまっているじゃないですか」
「倒す、か」
「……結局あの『魔術』未完成ですよね」
そう話すサーシャの語尾のトーンが落ちる。
二年かけて、ゼロから作り始めた魔術。
人族だけでなく、魔族の魔術をも研究することでようやく形になり始めた大魔術。
だが、ほとんど独学で学んできたサーシャと魔術知識が皆無な伊織には魔術の創作というのは無理がありすぎた。
実現さえすれば現状をひっくり返せる自信があるほどの大魔術だ。
魔王との戦いまでに完成すれば、戦争も早く終わるはずだと考えていたが……
「そうだとしても努力を続けていくしかないだろ」
「分かっていますよ。でも、このままじゃ魔族さんたちが全員殺されてもおかしくないですよ?」
「……」
現在の戦況は、人族の方がやや有利へと傾いて来ている。
伊織という勇者本人の強さもあるが、『勇者が魔族を倒している』という噂だけでも士気高揚を高めている。
亜人や魔族を忌み嫌う『教国』が勢いのままに投降した魔族すらも虐殺してしまう始末だ。
もしこのまま伊織が魔王を討伐した暁にどうなってしまうのかは自明の理である。
「だったらどうするんだよ?今この流れを下手に崩せば、魔王討伐への士気が下がるだろ?」
士気が下がるだけでなく、最悪の場合伊織とサーシャが敵視される恐れがある。
魔族云々の前に自分たちが後ろから刺される可能性だって起きる。
それを承知の上で、神妙な面持ちでサーシャは答える。
「確かにそうです……ですが、一つだけ頼みの綱があります」
「なんのことだ?」
「エルフィスザークという魔族さんです」
「あいつか…」
エルフィスザーク。
稀に伊織たちの前に出てきては殺しにかかってくる銀髪を持つ魔族の名である。
幾つもの魔眼を持ち、確認するだけでも十数は下らない能力を保有していた。
それだけならばまだしも体術にも優れ、魔術に関しても一線級を超える。
情け容赦ない戦い方はまるで悪鬼羅刹の類だと言ってもおかしくない。
その様子からはまず交渉の余地はないはずなのだが。
「あの人がアマツさんと戦っている時、気のせいかもしれませんが躊躇っている様子が見られたんです」
「……どこにあった?」
「単純なことかもしれませんが、二度ほど戦う前に一度アマツさんが剣を弾かれたときのこと覚えてます?」
「ああ」
伊織たちが四天王を全て打ち倒し、疲労困憊なところにエルフィスザークは現れた。
その戦いの際にエルフィスザークの腕によって、剣がかなり遠くまで吹き飛ばされてしまった。
その時に体勢を崩した伊織を攻撃する際に少しの間だけ動きが止まっていたことがあったのだ。
そのおかげでサーシャの防御魔術で伊織は事なきを得た。
動きが止まったと言っても1,2秒のことなので、伊織自身はそんな気にはしていなかったのだが。
「あの時にアマツさんを殺さないということは、何か考えがあったのじゃないですか?」
「……」
「……私はあると思いたいです。もし相手側も人と魔族の和平が望みであるならば交渉できるかもしれません」
正直なところかなり無茶な考えである。
だが、まだ彼女が生きているため、交渉の余地はなくはない。
それに魔王との戦いまでに必ず出てくるはずである。
決着をつけるときは目前に迫っているのはあちらも同じなのだから。
しかし、同時にサーシャは顔を曇らせた。
「ただ交渉材料はありませんし、約束を必ず守るという保証も確約はできません。あちらにも当然こちらにも」
「……最終的には戦いで話を聞いてもらう流れになってしまうことになりそうだな」
戦争を止めるために戦わなければいけないという皮肉が発生していた。
だが、例えそうだとしても手段など無いに等しい。
サーシャもそれを理解しているので、顔は暗いままだ。
「何をするにしても結局戦いは止められないってことなんですね……」
「そうだな」
あの日夢見た『幸せな世界』を作ることはあまりにも難しい。
サーシャ自身も理解していることだ。
(せめてこの魔術が使うことができればな……)
伊織は帯剣していた剣を鞘から抜くと、黒い刀身に描かれている複雑な魔術の紋を眺める。
サーシャとの二人がかりで作成した魔術であるが魔力が圧倒的に足りなかった。
『勇者の証』も込みのフルパワーであったにもかかわらず、魔術の起動の『き』すらもしなかったのだ。
現在では、その魔力不足の解消及び魔力の消費を抑える方法をサーシャが研究している。
ちなみにサーシャはリューザスには魔力量では負けているものの、魔術の腕はリューザスに追いつく勢いで成長しており、防御魔術、結界魔術、回復魔術を中心に伊織たちのパーティの治癒士としての地位を確立している。
無論、攻撃魔術が苦手という訳でなく、オールラウンドで魔術が放てる。
伊織よりも遥かに魔術の腕は上である。
そんな彼女ですら、魔術の作成に成功しないのだ。
もうしばらくは完成を見ないだろう。
「それに……明日には魔王と戦うことになるでしょうね」
「ああ、そうだな」
「アマツさんは勝てると思いますか?」
「……え?」
サーシャの言葉はかなり重かった。
だが、伊織は気づいた。
サーシャは戦いたくないというわけではなく、誰かが死ぬのは嫌なのだろう。
これまでも目の前で多くの人数を失くしてしまった彼女ならば尚更だ。
パーティ内では幸か不幸か死んだ人間はいない。
だからこそ、サーシャは伊織に尋ねているのだ。
お前は死なないでいてくれるのか、と。
その言葉を暗に言われたのに気付くと、伊織は優しく返す。
「安心しろ、俺は死なない。色んな奴との約束もあるしな」
レンヒやガッシュ、旅の道中で助けてくれた人たち。
その人たちがまた会おう、と送り出してくれた。
頼まれたから始めた勇者だ。
でも、流されているなりにも大切なものができた。
サーシャ、リューザス、ルシフィナ、ディオニスの仲間たち。
そいつらがすむ世界を平和な世界にするために全力を尽くしたい。
例え、『幸せな世界』がはるか遠い未来でも。
「……良かったです!私の決意も固まりましたし、そろそろ寝るとします。お先です、アマツさん」
「おやすみ」
サーシャは伊織の答えに満足したのか、笑顔になると一足先に小山を降りて行った。
伊織は後ろ姿を見送ると、もう一度背負った剣を抜く。
(明日は終わりの日だな)
この剣が魔王を討つ、もしくは伊織が討たれるのだろう。
どちらにしても明日に全てが何かしらの形で大きな変化が起こる。
良い意味でも悪い意味でも。
「……とりあえず、俺も寝るか」
それ以上考えても仕方ないので、剣を鞘へと納める。
そして、サーシャに続くように下山をした。
―――――――魔王との決戦はもう目前だ。