7話 奴隷
『黙れよオーディン、公平に人間へ勝利を分けえないくせに
勝利を与えるべきでない人間にに、よくそれを渡したくせに』
-ロキの口論-
アキがテーブルの上を片付けるのに、大した時間はかからなかった。これはなかなかイケる。これは最悪だとかを心の中で品評しながら、食べているときもずっと、オーディンは考え込んでいるようだった。アキがデザートが食べたいなと思っているとき、突然オーディンが立ち上がった。
「ハール様?」
オーディンは立ち上がるとアキには一瞥もくれず、隣のテーブルに歩いていった。あまりに突然のことで、アキは座ったまま動けずにいた。
オーディンは隣のテーブルで、座っている男たちに何か話しかけ、手に持った羊皮紙を見せながら説明をしている。腰掛けた男たちは胡散臭そうな目で主神を見つめていた。男の一人が羊皮紙に手を伸ばすと、羊皮紙は炎上し、次の瞬間、轟くような音を立てて爆発した。
「な!!?」
爆発の規模は小さかったが、テーブルを一つと、そこに座るものを吹き飛ばすには十分だった。酒場は突然の爆発に騒然としていた。
気づけばオーディンはカウンターの奥にいる店主に懐からいくつかの巾着を取り出し渡しているのが見えた。店主が顔を固まらせたまま頷くと、オーディンは踵を返し、アキの前で一歩だけ止まった。
「行くところがある。ついてこい」
爆発など何もなかったかのように、オーディンは酒場の扉から出て行った。アキは遅れて立ち上がった。オーディンが通りの向こう側にいるのが見え、走って追いついた。
「オーディ…ハール様!なにがどうなって、どこに行くんですか?」
「宇宙樹との接続を文字列に代替される実験は成功した。ふむ、お前のいう通り、ルーン文字と名付けることにしよう。今からは奴隷を買いに行くところだ」
「奴隷?奴隷がいるんですか?」
「さよう、フレイルとその眷属によって数は減らしているが、まだ残っている」
息を切らしながら、質問するが内容は理解できないものだった。オーディンは上機嫌そうに歩いている。落ち着いて今起こったことを考えてみよう。
歩きながら思案した。ルーン文字が神話とは全く異なる形で開発された。酒場での爆発はルーン文字の実験だろう。今から奴隷を買いに行くのは?ルーン文字を奴隷を使って実験するのか?というか、奴隷階級がこの世界には存在していることにアキは驚いた。
いくつかの狭い路地を抜けると、目的の場所にたどり着いた。オーディンは扉を何度かノックすると。のぞき窓から冷たく光る目が見えた。
「私だ、早く開けろ」
扉は素早く開いた。中から現れたのは禿げた頭の中年男性、でっぷりとした体型で血色が悪い。アキは直感した。この男はいい人間ではないと。
「灰色髭の旦那様、こんなお時間にいかがなさいましたか?」
「ここは何屋だ?奴隷を買いに来たに決まっておろう。今いる者を全て並ばせろ」
「わかりました。どうぞお入りください。準備をしますので、少々お待ちください」
通されたのは古びた部屋の一室だった。壁は薄汚く、床の石材はひび割れている。しばらくすると、太った男が十数人の男女を連れて部屋に入って来た。
年齢は様々だが、若い人間、成人ごろが多い、中には十代半ばだろう少女の姿もある。皆、腕を枷で繋がれており、薄汚れたボロをまとって、十分な食事が与えられていないのか青白い顔をしている。
「今いるのはこれで全部です。おすすめなのはーー」
「黙っていろ」
オーディンは横に並んだ奴隷たち一人一人に、先ほどとは違う羊皮紙を見せながら回った。どの奴隷も書かれたものが理解できず、首をかしげるか、無反応なだけだった。その中でたった一人、最も若い、十代半ば程の少女が口を開いた。
「…『燃える』『紙』」
羊皮紙が燃え上がった。オーディンは満足そうに微笑み、尋ねた。
「お前の名は?」
「スノリ…」
「…ッゴボッゴホッ」
アキは突然咳き込んだ。スノリの名前に聞き覚えがありすぎたからだ。北欧神話における重要な文献の一つ、賢者スノリ書いたとされる『スノリのエッダ』書庫で読んだ『古のエッダ』と対をなすものだ。
「すいません、なんでもないです」
オーディンが振り返り、何事だという目を向けていたため釈明した。そんなはずはない、たまたまだ。奥にいる少女もじっとアキを見つめている。
「この子をもらう」
「は!料金の方は…」
「取っておけ、枷を外せ」
オーディンは金貨を数枚、男にに放り投げた。そして枷を外せといったのは明らかに、アキに向けての言葉だった。
ゆっくりと少女に近づき、錠に触れると、静かな音を立てて枷は外れた。少女は自由になった。
「行くぞ」
上機嫌そうなオーディンに、状況がいまいちのみ飲めていないアキ、不安そうなスノリの三人は扉から出た。鍵を持って唖然とする奴隷売りを残して。