『異常なし!』と言うために
子供の頃から所謂『やらかす』タイプの人間だった。
忘れ物、物を失くす、壊す、etc
しかしまあ、多くの人間がそうであるように大人になるにつれ成長し、少しずつマシにななって行く。それがまあ、成長というもんだ。
しかし、みんなと同じくらいの成長であるとすれば、俺の注意力は絶対的には向上しているが、その年齢の中では不注意な方なのかもしれない。注意力の世代別のランキングが変わることはあるのだろうか?
身長や勉強、スポーツ等はどうだろうか?
身長で言えば早熟、晩熟の違いで小学生で第二次成長を迎えた子を、中学以降で迎える子が逆転する、ということは割とあることだ。スポーツも成長の早い遅いで逆転する事も多い気がする。
しかし、勉強は小学校で出来る子が中学校でも出来て、そのまま良い高校良い大学に行くパターンが主流だ。
注意力はどっちなのだろうか?
イメージ的には勉強に近い気がする。
注意力≒集中力と考えたらスポーツの方かな、とも思う。
様々な仕事やスポーツで、それ以上に日常生活で怪我や最悪の場合は死んでしまう事がある。
そりゃあ、生きていれば怪我もするし、病気にもなるし、死ぬこともある。
そんな一般論は今は置いておこう。
消防の仕事も怪我をする事もあれば、とても悲しい事だが亡くなる人もいる。
俺の周りでも亡くなった人は居る。
その人達が不注意だったとは思わない。
燃焼の急拡大や事故、ウイルスに感染する等、想像も出来なかった場合もあるだろう。
上手く考えをまとめるのは難しいが、どうしても防げないことはあるとは思う。
可能性の話はさておき、不意に隕石が落ちて来るのを避けることは出来ないだろう。
でも過去の災害等で学んだ経験から、ある程度の対策というか注意点は分かってきているものをあるはずだ。
アクシデントがある度に組織としては対策をしなければならない。
それは基本的に本部の人間が対策を考えるのだが、現場の実態に即していないと感じることもある。でもアクシデントがあったのに対策を何もしない訳には行かない。違和感を感じることもあるが、よくよく考えてみると理に適った対策だと思い直す事もある。
そして個人的な経験による、危険度判定も出来るだろう。さらに野生の勘みたいなのも役に立つことがあるかもしれない。
そんな先人達の経験や自分の経験、自分の勘を総動員して危険を回避しなければならない。
自分の注意力、集中力を最大限に研ぎ澄ませ、高めなければならないのだ。
ええカッコで言っているみたいに聞こえるかもしれないが、自分は死んでもいいと思っている。いや、もちろん死にたい訳ではないが少なくとも自分の死を想像してみても、そんなに悲しいとは思わない。
そりゃあ、子供の成長を見たかった、とか嫁さんに申し訳ない、とか親より先に死ぬのは‥‥
とか考えないでもない。
俺が死ぬことによって組織にもダメージを与えるのは申し訳ない気持ちはある。
でも自分の場合もいろいろと死にたくない理由があるにはあるが、若い隊員が死ぬことに比べたら全然マシだ。
一度、殉職した若い子の家族を見る機会があった。
でも可哀想過ぎて見てられなかった。
自分も人の親となったからわかる。
何が一番悲しいかって、我が子が死ぬことより悲しいことはない。
若い職員にもいろいろな子が居て頑張ってる子、サボってる子、よく出来る子、アホな子、可愛い子、そうでない子‥‥
いろいろ居るが、どんな子でも死なせたくない。
毎日、元気な身体で帰してあげたい。
そんな気持ちで日々、勤務している。
意味があるか無いかは知らんけど、出勤中に通る神社で毎日無事を祈ってから出勤している。
って、ええカッコし過ぎか?
そんなええカッコでもないか?
基本的にはテキトーに過ごしているボンクラが何を言うてんねん!
でもみんな、ホンマに無事で家に帰ってほしい。
『異常の有無の報告!』
『1番員、異常なし!』
『2番員、異常なし!』
『3番員、異常なし!』
以上!
何となくまとまらん感じになりましたが、これで終わります。
読んでくれておおきに。




