プロローグ
指先に伝わる、澄んだ空気の感覚。
すべての時が止まったような場所。
風もなく、暑さも冷たさもない…
どこまでも水平に広がる真っ白な空間。
そこに、取って付けたみたいな青い空。
どうしようもなく、虚無である。
その中ににひとり。
ひときわ綺麗な純白のワンピースを着飾った少女がいる。
穏やかな表情でこちらを見つめている。
優しく微笑んだその口からは、透き通った声が流れた。
「…やっと会えましたね」
ゆっくりと、それでいてはっきりとした声で、彼女は別の言葉を送る。
「約束通り、殺しにに来ましたよ」
そう言い終えると、ただにっこりと笑った。
まだ何者でもなかった彼女は、約束を守りにきてくれた。
ーあの日の約束を。
……。
意識が朦朧としている。
視界の淵で、何かが動いているのが見える。
それに、後頭部から背中全身に感じる包容感。
…ベッドの上だ。
体を起こしながら気がついた。
「ったたた…」
…痛い。
頭痛がとても痛い。
ガンガンでもなくズキズキでもない感じ。
例えるならグラグラと脳みそごと揺らされているような。
とにかく気分が悪い。
頭痛のせいで薄目になっているが、この目でもある程度の周囲は把握できる。
先程から動いていた人影は、どうやら病院のナースさんのものだった。
彼女はパッチリ目を開いて、こちらを見ている。
…やりづらい。
こうもガン見されると変な汗が出てくるのだが。
ここは思いきって話しかけてみよう。
「あの…何か?」
「ハッ…!」
一瞬驚いたように体を跳ねる。
そして反射的に自分も同じく驚く。
しかし彼女はまたフリーズする。
「え?…え?」
ちょっと意味がわからない状況に動揺が隠せないのだが、また何か言えば良いだろうか。
「ちょ、ちょっと説明を求めたい…」
「……ゴメンナサイ、私、ハジメマシテノ人ト話スノ苦手デ…」
声ちっさ!
あと初対面でこれならどうしてナースになったんだろう。
あんまり向いてない気がするんだけど。
見た目は清楚で少し余裕のあるお姉さんみたいな雰囲気を持っているのに…もったいない。
でも、会話はできることがわかって安心した。
「それで、僕はどうしてここに?」
「…アウ…アウ…アウ……ゴメンナサイ」
え何、何かした!?
何で今謝られたの?
というかそれ、こたえになってないよ。
なんかこの人、故障したロボットみたいだな。
「大丈夫。ちゃんと聞いてるから、教えてくれないかな」
「…ハイ……」
彼女は小さく頷いた。
・・・・・・
あれ?
どうしたんだろう。
また固まって…っ気を失っている!?
「ねえ、ホントに大丈夫?」
「………」
無視は辛いな!?
えー、このままだったら今どういう状況なのか全くわからないんだけど。
助けになるものを探して、ふと視界に入ったものを手に取る。
ボタンだ。
片手に収まるぐらいの小ささ。
それから長い管が伸びて、何かの機会に繋げられている。
もしかしなくてもこれはナースコール。
一応今の格好的に自分は患者であっているだろう。
ならば選択はひとつだ。
倒れた先にあった杖を掴むつもりで、しっかりと押し込む。
ここではなにも聞こえないが、恐らくどこかに信号が届いているはず。
じきに廊下側から忙しそうな足音が近づいてくる。
スタスタとスリッパの擦れる音がドアの前で止まり、静かに開かれた。
「あのっ、呼びましたか?」
そこからは小さな女の子が顔を出している。
それをみてまずはじめに思ったことは、一体ここの病院(?)はどういう採用基準なんだろう。だった。
まだ中学生ぐらいに見える少女が働くところ。
なにやらいわく付きっぽくて怖い。
目が合うなり、少女はこちらへと向かってくる。
両手で抱えた診療書類とバインダーが目立つ。
「どうされました?」
「ええと…彼女は、大丈夫なのかなと」
視線だけを隣の女性に送る。
「わああっ!?ちょっ、トーナちゃん!!」
白目をむいて泡をふいている彼女はトーナという名前らしい。
慌てた様子で少女は診療書類を机に置く。
それからトーナの肩を掴んで頭を揺さぶっている。
その度に頭がガクガクと不規則に揺れて怖い。
「ねえ、そろそろその辺に…」
「あっ、患者さんの前でこれは失礼を」
少女はペコリと頭を下げた。
礼儀正しいしっかり者のようだ。
「全然大丈夫だよ、それよりここは?」
ようやくこの質問ができた。
正確には知れる、だが。
「ここはヘルスです…」
ヘルス…?
「ただの病院ですが」
少女はそう言い直した。
やはりと思った。
ここは診療施設で間違いなさそうだ。
「それで、僕はどうしてここに?」
「あなた、救急依頼の患者でしたよね」
「救急依頼…?」
身に覚えがない。
道で倒れたのを誰かが助けてくれたのならわかるけど。
残念ながらさっぱりその記憶はない。
「どうして僕が?」
「倒れていたんです、道の端で」
まじか。
「もしかして頭でも打った?」
「どうでしょう」
「知らない」というように、少女は両手をあげて見せる。
「混乱しているだけかもしれません。一度、検査を受けてみては?」
「そうさせてもらうよ」
「では、書類を手配します。お名前は?」
「名前?」
「ええ、救急だったので聞けてませんから」
「そっか、僕はトリトだ。」
「私はこの部屋で副担当医を任されていますウイカです」
「優秀なんだね…」
「…そんなことは」
「よろしくね、ウイカ」
「はい、こちらこそ」
この時、ウイカがここの副担当医だということを聞いて驚いたことは内緒にしておこう。
「ところで…彼女はどうしよう」
「あ、そうでしたっ!」
慌てながらウイカはトーナを抱える。
子どもながら怪力だ。
「私はとりあえずトーナちゃんをつれていきます」
「わかった、お大事にね」
「それはトリトさんもです」
ぶっきらぼうにそれだけ言い残して、少女は出ていった。
その後ろ姿を見て、なんだかこの病院は騒がしいな。などと思ったりした。
ウイカが戻ってくるまですることもないので、再び周囲をよく観察してみた。
改めて見るとこの部屋、すんごいな。
病院なのになにもない。
ベッドや必要最低限の機会、
そして椅子と机。
もちろん机の上はいろんな書類でごったがえしている。
「なんだか昔の保健室を思い出すなあ」
「保健室とはなんでしょうか」
「ウイカ、早かったね」
「トーナちゃんを運ぶだけなので…それより保健室ってなんですか?」
「保健室をしらないの?」
「だからなんですか、それ」
「えっと、学校にある病室みたいなものだよ」
「学校?」
「そこから!?」
「と言われましても…」
驚きの事実が発覚した。
この場所(?)には学校がないのだ。
「学校というとのはね、勉強をする施設だよ」
「アフターみたいなものでしょうか」
「うーん…アフターが何かわからないんだけど」
「えっ、それこそ勉強を教わる施設ですよ!!」
「ここでは学校をアフターと言っているのかな」
「わかりませんが、恐らくは」
「ひとつ訊いてもいい?」
「…どうぞ」
「ここは、どこ?」
「ここは―――」
この日。
目覚めたそこは見知らぬ病院だった。
記憶が混乱しているのか、それともここは別の世界なのか。
これまでの人生で、初めて聞いた場所の名前は不思議と違和感を感じなかった。
それでも、何かの歯車が動き出すような。
そんな気がした。




