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ヴァッシェン/魂の洗濯

waschen


洗う


久しぶりに訪れたその山小屋は、アレンの記憶にあるよりやはりくたびれていた。

周囲をぐるりと歩き回り、小屋の中も見て回る。

やらないといけない仕事、買わなければいけないものを、持ってきたメモに書き込んだ。


「さあ、忙しくなるぞ」

汗ばんだ首筋をさっとタオルで拭うと、アレンは大きく伸びをした。


*****


アレンはチャドからもらった薬を使い、何とかロッテの居場所にたどり着くことが出来た。

それから意識を失った後のことを、彼はフローリアンとチャドから聞いたのであった。


「へっ! 格好つけて出てった癖に、結局オレ達の助けが必要だったな!」

ようやくベッドに起き上がれるようになったアレンに、チャドはニヤニヤしてそう言った。

アレンは、不思議と腹は立たなかった。


ロッテは、街の郊外にある廃墟に連れ去られていた。

フローリアンが事の次第を上司に話し、彼のパイプを使って警察に協力を仰ぐ。

万が一のことも考えて、救急車も手配する。

万全の体制を整えて、彼らはアレンを救いに来てくれた。


「ぼくたちも大変な現場を見てきたけど……あれは酷かったな」

フローリアンは、その大きな目を伏せて静かに言った。


廃墟の中で、救出チームは凄惨な現場を目の当たりにした。

遺体は2つ。

腹を食われて絶命した者、壁に逆さ吊りにされて血を抜かれた者。

後にロッテが警察に当時の様子を話したことで、彼女らが誘拐された被害者だと分かった。


見張り役のハイエナとオオカミ、そして首謀者であるブタたちにアレンが手を下したことは明白だった。

しかし、フローリアンもチャドも、そのことには触れなかった。

2匹とも口には出さなかったが、アレンのことを労わってくれている。


「アレン、調子はどう?」

病室のドアを開けて入ってきたのはロッテだった。


彼女は肋骨にヒビが入っていたが、命に別状はなかった。

顔には、かすり傷の跡が残っている。


同じ現場に居合わせた女性たちの末路を思うと、彼女は奇跡的に軽症だったと言わざるを得ない。

とはいえ、それはアレンにとって大した慰めにはならなかった。

彼女があの場で経験したことを思うと、息が詰まりそうになる。


「この髪、何とかしなきゃね」

ロッテはそう言うと、千切られて不揃いになった髪の毛に手を触れる。


「アレンは明日退院できそうなんでしょ?」

「うん、お先に」

「いいなー」


ロッテはうらやましそうにそう言う。

彼女も、病院での生活には飽き飽きしているらしい。

それ以上に、彼女には早く家に帰りたい理由があるのだ。


「ごめん……」

目を覚まし、アレンと再会したロッテが初めて口にした言葉だった。


アレンはそれが、自分を事件に巻き込んだことへの謝罪だと思っていた。

しかし、そうではなかった。


「プレゼント」

「エプロン……」

「え?」


一瞬、何のことか分からなかった。

しばらくして、あの晩プレゼントしようとしていた包みのことを思い出す。


「知ってたの?」

「お店のおばあさんに聞いちゃったの」

「ごめん……びっくりできなくて」


「そうか」

「失敗したな……」

「サプライズは、また今度におあずけってことにしよう」


あんな目に遭ったというのに、アレンのサプライズに驚けなかったことを謝ったロッテ。

それがなぜか、無性に悲しかった。


「でも、包みを開けるのは楽しみにしてるわ」

「早くうちに帰りたい」


ロッテは、そう付け加えた。

アレンはその場は明るく返したが、後でこっそりと泣いた。


いろいろ無茶もしたが、何とか収まりを付けられた感じはした。

しかし、ひとつ疑問は残る。


3匹目のブタを、アレンは打ちのめすことが出来なかった。

ロッテが止めてくれなかったら、今頃は彼を手にかけたことを後悔していたかもしれない。


すんでのところで踏みとどまったはよかったが、その後意識を失ってしまったのだ。

フローリアンの話によれば、ブタは3匹とも気絶していたという。

では、誰が3匹目に手を下したのか……。


しかしながらその疑問は、いつの間にかアレンの中で薄れていった。

ロッテはまた帰ってきてくれた。

それ以上のことは、彼には重要ではなかった。


*****


アパートの一室で、再び1人と1匹の生活が始まった。


アレンは、事情を知った職場から2週間の自宅療養を言い渡されていた。

使用許可のない薬物を用いた件については、療養終了後に何らかの処分があるとも言われた。


ロッテはあのような目に遭ったにも関わらず、事件前とほとんど変わらないように見えた。

変わったところといえば、その髪型ぐらいのものだ。


不揃いになった髪は、手先の器用なフローリアンが整えてくれた。

一番短くなったところで揃えても、肩までくらいの長さを残すことはできた。

しかしロッテは、短くしてくれるようフローリアンに頼んだ。


おそらく彼女は、髪をさっぱりとさせることで事件の記憶からも逃れたかったのだろう。

そんな気持ちを察したフローリアンは、それもいいかもねと優しく微笑んだ。


いずれにしてもロッテは、急に怯えたり悪夢でうなされることもなかった。

そういうことすらできないくらいに、彼女は疲れ切っている。

アレンはそう思っていた。


アレンとロッテの関係も、まったく今まで通りというわけにはいかなくなった。

相変わらず、夜はアレンの大きなベッドで一緒に眠った。


しかし、触れ合うこともキスすることもなかった。

互いに互いの温かみを求めてはいても、それぞれにそうできない理由があった。


ロッテはアレンに対して、決して壁を作っているわけではなかった。

少なくとも彼自身は、そのようには感じていなかった。


ただ、彼女の全身をくるむように薄いヴェールがかかっている。

それが、アレンを寄せ付けないでいた。


アレンは、薬の効果もあったとはいえ、あそこまで暴力的になってしまった自分をどこかで恐れていた。

子どものときの記憶は、否が応でも呼び返される。


あの人間の子を傷つけたように、自分もいつかロッテを傷つけてしまうのではないか。

ツォーで彼女を蹂躙した、欲望にまみれた獣たちのように。

そう思うと、ひたすらに恐ろしかった。


そして同時に、彼女に拒まれるのを恐れてもいた。

獣に食われかけた彼女が、再び自分をやすやすと受け入れてくれるとは思えなかった。


背を向けて眠る彼女を、何度抱き締めようと思ったことだろう。

その髪に触れて、キスをしたいとどれほど思ったことだろう。

しかし、気持ちに任せて行動を起こし、彼女が自分から離れていくのが怖かった。


彼女を退けておいたほうがいいのではないかという気持ちと、それでも彼女の傍にいたいと思う気持ち。

アレンもまた、疲れていた。


このままでは、自分たちはだめになる。

アレンはそう確信していた。


どこかで、ゆっくりと休みたい。

どこか静かな場所で、ロッテと俺と……。


そんな思いは、彼をある場所に連れ出した。

本当に久々に記憶の底から浮かび上がってきた、山の上の小さな小屋。


*****


この計画を思いついてすぐ、アレンは職場に連絡をした。

そして、自宅療養に続き、夏の休暇を取る許可を得たのであった。


休暇は3週間もある。

今から準備すれば、きっと間に合うだろう。


その翌日から、アレンは精力的に動き出した。

まずは、レンタカーだ。

荷物がたくさん運べるよう、ピックアップタイプの車種を選んだ。


免許はあるがほとんど運転はしていない。

走るのはほとんどが田舎道だから何とかなるだろうと、アレンは楽観的に考えることにした。


「え?」

アレンの説明に、ロッテは最初驚いたようだった。


アレンは、しばらくうちを留守にするとロッテに伝えた。

彼女は少し不安そうな顔をしたが、休暇の準備をするという彼の言葉に納得はしたようだった。

説明した後すぐに、彼は車である場所に向かった。


目的地は、彼の実家より少し遠くにあった。

何度も地図と記憶を頼りに、彼は車を走らせた。

その日は車中泊をし、翌朝山を登ってその場所に着いた。


少し埃臭いその場所は、同時に懐かしくもあった。

部屋を隈なくチェックし、必要なものをメモに書き足す。

大がかりな修繕が必要な箇所は、幸いにもないらしい。


ドアの建付けや水道の水漏れ程度なら、アレンにも修理はできる。

数日間そこに寝泊まりをし、修理をしたり、必要なものをふもとの街に買いに出たりした。


そうして出掛けてから5日目の午後、アレンはようやくアパートに帰ってきた。

彼は疲れた様子ではあったが、充実した顔つきをしていた。


「ロッテ」

「明後日から休暇に出かけよう」

明日はその準備に追われるだろうからと、彼は一足早くベッドに倒れ込んだのだった。


アレンの言う通り、翌日は忙しかった。

荷造りに、食料の買い出し。


ロッテは、水着を買いに街へ出掛けた。

体の傷があるので、自分には一生縁のないものだと思っていた水着。

アレンに必要になると言われ、訳が分からないままに買いにきたのであった。


店員に体を見られないように試着し、それなりのものを選んだ。

休暇は、海辺にでも行くのだろうか。

ロッテはそんな風に想像した。


休暇に出かける朝、空はさっぱりと晴れ渡っていた。


「絶好の休暇日和だな」

たくさんの荷物を積み込んだアレンは、そう言って笑った。

動きやすい格好をして、彼らは車に乗り込んだ。


「これから、どこに行くの?」

ロッテは運転席のアレンに聞いてみた。


「さあ、どこでしょう?」

予想通り、アレンははぐらかして答えてくれない。

サングラスを取り出してかけると、ロッテに笑ってみせる。


「魂の洗濯に行こう!」

そう言って、車のエンジンをかけた。

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