フェリエン1/アレンの山小屋
Ferien
休暇
目的地までの道のりは長かった。
休憩をはさんで5時間といったところ。
車に乗り慣れていないロッテはお尻が痛くなり、休憩のたびにほっとした。
走りに走って、車はある山の麓にたどり着いた。
緑の匂いが濃い、静かな場所だった。
「さあ、ここからもうひと踏ん張りだ」
アレンはそう言うと、大きなバックパックを背負った。
それから、約30分の山登りが続いた。
ハンスと森で暮らしていたので慣れていたつもりだったが、久々の登山には骨が折れた。
途中何度も休憩をして、アレンとロッテは登り続けた。
ようやく目的地に到着かというとき、ロッテは目を閉じて下を向くよう言われた。
アレンは、彼女をびっくりさせたいらしかった。
その気持ちを汲んで、彼女は言われたとおりにした。
目を閉じている彼女を、アレンが導く。
そんなに長い距離ではなかった。
閉じた瞼で光を感じたとき、目を開けてもいいと言われた。
ゆっくりと、瞼が劇場の幕のように上がる。
ロッテの目に飛び込んできたのは、小さな可愛らしい家だった。
*****
「実はここ、うちの別荘なんだ」
「まあ別荘っていうほど大したものでもないんだけど……」
「子どものときは、よく遊びにきたんだよ」
そう言って、アレンはロッテを小屋に案内した。
外観もよかったが、部屋の中も素敵だった。
室内はこじんまりとはしていたが、過ごしやすそうな造りになっていた。
寝室のベッドには、新しいマットとシーツが用意してある。
シャワールームのフックには、ふわふわとしたバスタオルが掛けられている。
彼が家族と最後に訪れたのは、もうずいぶん前だったという。
しかし、室内はきれいに掃除が行き届いていた。
ロッテはようやく理解した。
アレンはうちを留守にして、ここの準備をしていたのだと。
「気に入った?」
荷物を運び入れながら、アレンはロッテに尋ねた。
「うん、すごく……」
「信じられないくらいに素敵」
ロッテは、嬉しくて胸がドキドキしていた。
その日は移動の疲れもあってか、食事を取ってすぐに寝てしまった。
明日から本格的に遊ぼうと、アレンはベッドで言った。
翌日、簡単な朝食を取った後に散歩に出かけた。
久々の草の匂い、木々のざわめきにロッテはハンスとの生活を思い出した。
ハンスとロッテ、彼らだけの静かな生活。
そして今は、アレンとロッテ、彼らだけの静かな時間。
ロッテは、胸いっぱいに懐かしい空気を吸い込んだ。
この辺りに来る獣はいないのか、どこへ行っても誰に会うこともなかった。
まるで世界には自分とアレンしかいないような錯覚に、ロッテはしばし襲われる。
彼らは連れ立ってあちこちを歩き、疲れれば適当に休憩をした。
森は夏の中で命の爆発を起こし、すべてが青々としていた。
最初の2日間はそんな感じで過ぎた。
3日目は少し暑かったので、アレンは湖に行こうと提案した。
ロッテに水着を用意させたのは、このためだったのだ。
そこは大きな湖ではなかったが、底からこんこんと水が湧く美しい場所だった。
プライベートレイクなわけだが、ロッテはなかなか水着姿になることができなかった。
夏の太陽はじりじりと照りつける。
思わず浸した手に感じた水の爽やかな冷たさに惹かれ、彼女はとうとう服を脱いだ。
初めて日の元にさらす白い肌には、日焼け止めを念入りに塗り込んだ。
ロッテの選んだ水着は、彼女にとてもよく似合っていた。
ビキニというほど面積が小さいわけでもなく、ほどよく体を覆っている。
濃紺に白い水玉の入ったロッテの水着は、彼女の肌によく映えた。
ひとしきり水の中で遊ぶと、アレンとロッテは岸辺でランチを食べた。
ロッテの作ったサンドイッチと、フルーツやクッキー。
ポットには熱い紅茶を入れてきたが、それが冷えた体に染み込むように感じられた。
水に入った後の、心地よい疲れ。
アレンとロッテは、草の上に寝転んで空を見上げる。
茂る木々の間から、夏の青い空が顔をのぞかせている。
生まれて初めての水着、生まれて初めての湖遊び。
彼女の傷ついた体を見ても、何か言うものはどこにもいない。
ロッテは、これまでにない解放感に包まれていた。
相変わらず、1人と1匹の間にはわずかながらも距離があった。
彼らの手は、いつも触れそうで触れない場所にある。
そんな状況に変化が起きたのは、最初の1週間が終わろうかというときだった。
その晩、アレンとロッテは少し早めにベッドに入った。
この日も1日中あちこちに出かけ、少し疲れていたのもあった。
柔らかなベッドに横になると、すぐに瞼が重くなってくる。
うつうつとまどろみながら、アレンはロッテに手を伸ばした。
かつてよくそうしていたように、彼に背を向ける彼女の腰に手を回した。
それはほんのわずかな時間のことだったが、アレンははっとしてすぐにその手を引っ込めた。
ロッテの背中は、何も言わない。
彼女は、もう寝てしまっていたのだろうか。
アレンはそう思い、自分も眠ることにした。
しかし、そうはならなかった。
「どうして?」
身動きこそしなかったが、ロッテが静かな声で聞いた。
「え?」
その問いかけの意味が分からず、アレンは聞き返す。
「どうして、手を離したの?」
「え? それは……」
つい寝ぼけて触れてしまっただけだったので、アレンは返答に困った。
彼女に拒まれるのをあれだけ怖がっていたくせに、何とバカなことをしたのだろう。
ここで開放的になっているのは、ロッテだけではなさそうだった。
「わたしは、嫌じゃないよ」
次に返ってきた言葉は、アレンを少し驚かせた。
「わたし、アレンのこと嫌いじゃない」
「前と同じように、ずっと好き」
ロッテは、彼に背を向けたまま話している。
枕に乗せられた彼女の頭は、短くなった髪が金色の綿毛のように見えた。
アレンが答えないままでいても、ロッテは話し続けた。
「ずっと気にしてたよね?」
「それは、あの事件があったから?」
「うん」
アレンは、正直に言った。
そして、ロッテに胸の内を明かした。
「多分、そうなんじゃないかって思ってた」
ロッテはくすくすと笑った。
「そんなこと、気にしなくてもよかったのに」
内に秘めた自分が、ロッテを傷つけるかもしれないと恐れていたことを指しているようだった。
「確かに、わたしは怖かった」
「でもそれは、あなたのことじゃないの」
「あなたをそんな風にしてしまう、自分がなの」
それは、アレンがまったく予想もしていなかった答えだった。
「わたしが面倒ごとに巻き込まれることで、あなたをそんな風にしてしまうのが怖かった」
「あなたが彼らを殺さなくて、本当によかったと思ってる……」
3匹のブタたちは、重症こそ負っていたが命に別状はなかった。
回復すれば逮捕されて罪を追及されるので、社会的には死んだも同然ではあるのだが。
「同時に、自分のこともよく考えたの」
「人間である、自分という存在について」
「やっぱりわたしはあなたに相応しくないんじゃないかって思いもあって」
「それで、何となく距離ができてしまった」
「相応しくないと思っても、離れたくないとも思ってるの」
「これからどうするか結論を出すのが怖くて、それでずっと知らないふりをしてたのね」
「もしそれであなたを傷つけていたら、悪いことをしたなって……」
ロッテがそこまで話したとき、アレンは再び彼女に手を回した。
今度は、体全体できつく抱き締めた。
ロッテに、抵抗する様子はない。
アレンは、事件後ずっと抱えていたものがゆっくりと溶けていくのを感じていた。
体中に、久しく味わっていなかったロッテの温かさが広がる。
そして、そこから感じる大きな安心感も。
「よかった、嫌われてなくて」
アレンは心底そう思っていた。
「わたしも、嫌われてなくてよかった」
アレンの腕の中でロッテはくるりと向きを変え、彼の首にしがみついた。




