#23「あるパルクーラー」
とあるマチに、少年がいた。
親は物心ついた頃からいなかった。
少年は貧しく、生きる為にコソ泥をしていた。
少年の逃げ足は早かった。
パルクール、という体術がある。
手近にあるものを利用しつつ、ジャンプを繰り返しながら飛ぶ様に進む移動法だ。
少年は誰に教わるでもなく、それを身につけていた。
どんな高いビルでも、入り組んだ迷路の様な街並みでも、臆することは無かった。
自分が生きるだけのものを盗み、そして追っ手を着実に振り切った。
少年には生きる希望など無かったが、自在に体を動かし、風を感じるのは好きだった。
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「待てっ!」
その日も、少年はドラッグストアからサプリを盗んで逃げていた。
運悪く、逃げ出した先にバイクに乗ったポリスがいて追走劇になった。
狭い路地に逃げ込み、少年は屋根の上をパルクールで疾走していた。
ポリスはサーモスキャンデバイスを持っている。
相当引き離さなければ少年を見失うことは無い。
少年は限界を超えて跳んだ。
先へ、またその先へ。
「!!」
次の建物へジャンプしたが、少し距離が足りなかった。
目測の数メートル下の壁へ突っ込む羽目になった。
「く!」
少年は壁への衝撃を両手足で受け止め、すぐさま斜め上の窓枠へと跳んだ。
ーーー危なかった。
だが!
少年は素早く態勢を立て直し、またリズム良くパルクールを繋ぎ始めた。
早くーーもっと早く!
ポリスのサイレンが遠ざかっていく。
少年は全身に風を感じながら、それと同化しようとしていた。
その時、少年の目の端に何かが掠めた。
様な気がした。
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追っ手をまき、物陰でサプリを口にしながら、少年は考えていた。
さっき見たのは、何だ?
いつもよりも早いスピードで跳んでいたあの刹那、隣にユラユラとした人影の様なものが見えた気がした。
人影は、少年と同じか少し大きい位のサイズだった。
誰かが並走していたか?
いや、そんな気配は全く感じなかった。
なら何が?
「………」
だがその何かは、確かに少年の方を見ていた様だった。
少年には仲間という程ではなかったが、同じ様な境遇の顔見知りが数人いた。
彼らに聞いてみたが、そんなものは知らない、と言われた。
皆少年の様にパルクールを会得している訳ではない。
もしそれが関係しているのなら、彼らは出会うはずもない。
少年は、その謎の存在が気になって仕方がなかった。
またいつか、会えるだろうか。
少年は時々ではあるが、限界を超えて跳ぶことを試し始めた。
だが、それきりその影に出会うことは無かった。
同じ様にポリスに追いかけられたことは何度かあった。
それなりに限界を超えてパルクールを使わざるを得なかった時もある。
だが、その際もあの影は現れなかった。
何故なのだろう?
少年はそれを知りたかった。
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「それは死神だ」
ある日死にかけの様なホームレスが言った。
いつも通り逃げおおせた後の食事中に、側にいた彼に盗んだピタの半分を与えた時だった。
「あまり見ようとするもんじゃない」
彼はそれきり黙った。
少年はあまり気にしなかった。
どうせ生きていてもそういいことは無い。
むしろ死に近づいた時見えるというのなら、自分から近づいてみれば良い。
そう考えていた。
そしてその機会は、意外に早く訪れた。
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「くーーー!」
少年はポリスに追われ、高いビルから次のビルへと飛び移ろうとした刹那、撃たれた。
熱い何かが胸を貫いたのが分かった。
少年はバランスを崩し、落下し始めた。
だが少年は諦めなかった。
自分が会得したパルクールの全てを駆使し、指先だけがかかる出っ張りやつま先が触れるかどうかの壁を使い、落下しつつも僅かに方向を変えたり、少しだけブレーキをかけたりを繰り返した。
それは少年が今まで生きてきた方法と同じだった。
劇的に何かは変えられないが、進む先を、僅かでも良い方向に替える。
少年は最期まで、それを続けようとしていた。
凄まじい風圧が傷口に痛みを与える。
全体重を一瞬指で支えた時も、全身がバラバラになりそうだった。
それでも少年はパルクールを続けた。
「ーーー!!」
気がつけば、側に誰かがいた。
薄れゆく意識の中で、少年はその姿を見た。
ーーーあいつだ。
その姿を、ようやくーーーー。
それは、少年よりも幾分年上の、青年だった。
早く、力強く、少年よりも更に先のレベルのパルクールを身につけていた。
「ーーーーー!」
その体は、緑色の光を纏って神々しく輝いていた。
美しいーーー少年はそう思った。
自分も!
追いつきたい!
少年は最後の力を振り絞って、跳んだ。
地表が近づいてくる。
影の青年は、少年をリードするかの様に少年の前を跳んでいた。
凄いーーー強い!
少年は痛みなど忘れていた。
ただ全身を、自在に動かして風の様に移動する。
もっと、もっと早く!
それだけを続けていた。
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気がつくと、少年は白い霧に包まれた空間を走っていた。
パルクールの様に、一歩が長く、早かった。
体は何も無いかの様に軽かった。
ーーーー自分は、死んだのだろうか?
あの影の青年は?
少年は走りながら辺りを見回した。
白い霧の向こうに、人影が見えた様な気がした。
誰かが並走している様だ。
さっき見た青年か?
少年は軌道を少し変え、あちらの導線に近づこうとした。
その影は中々近づかない。
少年は地面を蹴って45度進行方向を変え、猛スピードでその影に向かって行った。
だが、影はいつの間にかまた遠くを並走していて、いくら方向を変えても全く近づくことはなかった。
「………?」
少年は不思議に思った。
焦りは無かった。
全てを達観している様な落ち着いた感覚だった。
自分はやはり、死んだのだろうか。
まぁ、いいか。
少年は再び、スピードを上げた。
今の自分なら、何処まででもスピードを上げられる気がした。
少年は跳んだ。
何処までも跳んでーーー風に近づこうとしていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「!」
気がつけば、隣に誰かがいた。
少年は走りながらその顔を見た。
「………!」
何処かで見たことがある様なーーー少年は気がついた。
その顔はーーー年を経た、自分?
彼はこちらに気がついている様だ。
優しく笑いかけている。
まさか、本当にーーーー?
「!!」
少年の周りには、彼だけではなく、無数の人影がいた。
皆、緑色の光を纏い、パルクールで跳んでいる。
それらは全て、自分なのだろうか。
それとも、同じ様にパルクールを得た、幾多の人達なのだろうか。
いやーーーそれらは全て、今は同じだ。
それを少年は知っていた。
少年も今は緑色の光を纏っている。
そして霧の中、自分たちが目指す方向に、小さな緑色の光が瞬いていることにも気がついた。
それが目指すもの、導くものだということも何故か知っていた。
やはり、自分は死んだのかもしれない。
少年は思った。
だが、年を経た自分もいるということはーーー
少年はフッと笑った。
そんなことはもうどうでもいい。
今は、風の様に跳べるのだ。
それだけでいい。
少年は走り続けた。
それが、自分という存在なのだ。
……なら、いいじゃないか。
少年は笑った。
笑いながら、走った。
緑色の光に向けて、何処までも。
( 終 わ り )




