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#23「あるパルクーラー」



 とあるマチに、少年がいた。

 親は物心ついた頃からいなかった。

 少年は貧しく、生きる為にコソ泥をしていた。

 少年の逃げ足は早かった。

 パルクール、という体術がある。

 手近にあるものを利用しつつ、ジャンプを繰り返しながら飛ぶ様に進む移動法だ。

 少年は誰に教わるでもなく、それを身につけていた。

 どんな高いビルでも、入り組んだ迷路の様な街並みでも、臆することは無かった。

 自分が生きるだけのものを盗み、そして追っ手を着実に振り切った。

 少年には生きる希望など無かったが、自在に体を動かし、風を感じるのは好きだった。 


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


「待てっ!」

 その日も、少年はドラッグストアからサプリを盗んで逃げていた。

 運悪く、逃げ出した先にバイクに乗ったポリスがいて追走劇になった。

 狭い路地に逃げ込み、少年は屋根の上をパルクールで疾走していた。

 ポリスはサーモスキャンデバイスを持っている。

 相当引き離さなければ少年を見失うことは無い。

 少年は限界を超えて跳んだ。

 先へ、またその先へ。

「!!」

 次の建物へジャンプしたが、少し距離が足りなかった。

 目測の数メートル下の壁へ突っ込む羽目になった。

「く!」

 少年は壁への衝撃を両手足で受け止め、すぐさま斜め上の窓枠へと跳んだ。

 ーーー危なかった。

 だが!

 少年は素早く態勢を立て直し、またリズム良くパルクールを繋ぎ始めた。

 早くーーもっと早く!

 ポリスのサイレンが遠ざかっていく。

 少年は全身に風を感じながら、それと同化しようとしていた。

 その時、少年の目の端に何かが掠めた。

 様な気がした。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 追っ手をまき、物陰でサプリを口にしながら、少年は考えていた。

 さっき見たのは、何だ?

 いつもよりも早いスピードで跳んでいたあの刹那、隣にユラユラとした人影の様なものが見えた気がした。

 人影は、少年と同じか少し大きい位のサイズだった。

 誰かが並走していたか?

 いや、そんな気配は全く感じなかった。

 なら何が?

「………」

 だがその何かは、確かに少年の方を見ていた様だった。


 少年には仲間という程ではなかったが、同じ様な境遇の顔見知りが数人いた。

 彼らに聞いてみたが、そんなものは知らない、と言われた。

 皆少年の様にパルクールを会得している訳ではない。

 もしそれが関係しているのなら、彼らは出会うはずもない。

 少年は、その謎の存在が気になって仕方がなかった。

 またいつか、会えるだろうか。

 少年は時々ではあるが、限界を超えて跳ぶことを試し始めた。


 だが、それきりその影に出会うことは無かった。

 同じ様にポリスに追いかけられたことは何度かあった。

 それなりに限界を超えてパルクールを使わざるを得なかった時もある。

 だが、その際もあの影は現れなかった。

 何故なのだろう?

 少年はそれを知りたかった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎ 


「それは死神だ」

 ある日死にかけの様なホームレスが言った。

 いつも通り逃げおおせた後の食事中に、側にいた彼に盗んだピタの半分を与えた時だった。

「あまり見ようとするもんじゃない」

 彼はそれきり黙った。


 少年はあまり気にしなかった。

 どうせ生きていてもそういいことは無い。

 むしろ死に近づいた時見えるというのなら、自分から近づいてみれば良い。

 そう考えていた。


 そしてその機会は、意外に早く訪れた。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


「くーーー!」

 少年はポリスに追われ、高いビルから次のビルへと飛び移ろうとした刹那、撃たれた。

 熱い何かが胸を貫いたのが分かった。

 少年はバランスを崩し、落下し始めた。

 だが少年は諦めなかった。

 自分が会得したパルクールの全てを駆使し、指先だけがかかる出っ張りやつま先が触れるかどうかの壁を使い、落下しつつも僅かに方向を変えたり、少しだけブレーキをかけたりを繰り返した。

 それは少年が今まで生きてきた方法と同じだった。

 劇的に何かは変えられないが、進む先を、僅かでも良い方向に替える。

 少年は最期まで、それを続けようとしていた。

 凄まじい風圧が傷口に痛みを与える。

 全体重を一瞬指で支えた時も、全身がバラバラになりそうだった。

 それでも少年はパルクールを続けた。


「ーーー!!」

 気がつけば、側に誰かがいた。

 薄れゆく意識の中で、少年はその姿を見た。

 ーーーあいつだ。

 その姿を、ようやくーーーー。


 それは、少年よりも幾分年上の、青年だった。

 早く、力強く、少年よりも更に先のレベルのパルクールを身につけていた。

「ーーーーー!」

 その体は、緑色の光を纏って神々しく輝いていた。

 美しいーーー少年はそう思った。

 自分も!

 追いつきたい!

 少年は最後の力を振り絞って、跳んだ。

 地表が近づいてくる。

 影の青年は、少年をリードするかの様に少年の前を跳んでいた。

 凄いーーー強い!

 少年は痛みなど忘れていた。

 ただ全身を、自在に動かして風の様に移動する。

 もっと、もっと早く!

 それだけを続けていた。 


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 気がつくと、少年は白い霧に包まれた空間を走っていた。

 パルクールの様に、一歩が長く、早かった。

 体は何も無いかの様に軽かった。

 ーーーー自分は、死んだのだろうか?

 あの影の青年は?

 少年は走りながら辺りを見回した。

 白い霧の向こうに、人影が見えた様な気がした。

 誰かが並走している様だ。

 さっき見た青年か?

 少年は軌道を少し変え、あちらの導線に近づこうとした。

 その影は中々近づかない。

 少年は地面を蹴って45度進行方向を変え、猛スピードでその影に向かって行った。

 だが、影はいつの間にかまた遠くを並走していて、いくら方向を変えても全く近づくことはなかった。

「………?」

 少年は不思議に思った。

 焦りは無かった。

 全てを達観している様な落ち着いた感覚だった。

 自分はやはり、死んだのだろうか。

 まぁ、いいか。

 少年は再び、スピードを上げた。

 今の自分なら、何処まででもスピードを上げられる気がした。

 少年は跳んだ。

 何処までも跳んでーーー風に近づこうとしていた。

 

   ✳︎    ✳︎    ✳︎


「!」

 気がつけば、隣に誰かがいた。

 少年は走りながらその顔を見た。

「………!」

 何処かで見たことがある様なーーー少年は気がついた。

 その顔はーーー年を経た、自分?

 彼はこちらに気がついている様だ。

 優しく笑いかけている。

 まさか、本当にーーーー?


「!!」

 少年の周りには、彼だけではなく、無数の人影がいた。

 皆、緑色の光を纏い、パルクールで跳んでいる。

 それらは全て、自分なのだろうか。

 それとも、同じ様にパルクールを得た、幾多の人達なのだろうか。

 いやーーーそれらは全て、今は同じだ。

 それを少年は知っていた。

 少年も今は緑色の光を纏っている。

 そして霧の中、自分たちが目指す方向に、小さな緑色の光が瞬いていることにも気がついた。

 それが目指すもの、導くものだということも何故か知っていた。


 やはり、自分は死んだのかもしれない。

 少年は思った。

 だが、年を経た自分もいるということはーーー

 少年はフッと笑った。

 そんなことはもうどうでもいい。

 今は、風の様に跳べるのだ。

 それだけでいい。

 少年は走り続けた。

 それが、自分という存在なのだ。

 ……なら、いいじゃないか。

 少年は笑った。

 笑いながら、走った。

 緑色の光に向けて、何処までも。



                ( 終 わ り )


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