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神学校が有る街は国内有数の大都市だ。
人口は多いが、女神への信仰を極める為に集まった人達なので、基本的に犯罪は少ない。
そんな街を散歩の様にのんびりと歩く三人の少女。
放課後の夕日に照らされている歩道はボランティアによって掃除されていて、ゴミひとつ落ちていない。
「何だか不思議な気分だな。この作法を習っていた私が、まさかあっち側候補になるとは」
神学校の制服を着ている若者に向けて、お祈りの形で組んだ手を胸の前に置く礼をする大人は結構な割合で居る。
女神の教えを学ぶ若者は尊い存在だからだ。
そんな大人に同じ礼を返してから懐かしそうに目を細めるセレバーナ。
「アハハ。そうだね。もしもそうなったら、世界中の人に祈られるのかな?変だね」
新品の制服を着ているイヤナにも礼をされたので、見よう見まねで礼を返す。
本当に女神になった時は、礼ではなく、偉そうな頷きを返せば良いのだろうか。
「何の話?魔王様、の話じゃないわよね?彼は世界中の人には祈られないし」
クレアは不思議そうに魔王の弟子達を見詰める。
誰かに聞かれても分からない様にボカして会話しているので、分からなくて当然だ。
「こちらの話だ。しかし、この街に魔王信仰が潜んでいたとはな。いつから有ったんだろう」
「大分昔から有ったみたいよ。でも表に出て来たのは最近。最果ての遺跡から弟子募集の手紙がバラ撒かれた時だって」
「アレのせいか」
セレバーナは歩きながら腕を組む。
『辻褄合わせ』と言う現象のせいで、たった今観測した概念でも数百年の歴史が付与される。
きっと手紙がバラ撒かれた時にいきなり発生した団体だろう。
そんな無茶がそこら中で起こっているから、この世界は不安定になっている。
そこの部分を解決する知識はまだ得ていないので、今取っている行動がどんな状況に繋がるかは全く予想出来ない。
良い結果に収まれば良いのだが。
「セレバーナが学校を辞めたのは、その手紙のせいなんでしょ?イヤナさんも魔王様からの手紙に応えたのかしら?」
クレアは考え込んでいる黒髪少女から目を逸らし、落ち着き無く周囲の街並みを眺めている赤髪少女に訊く。
天才である友人がこの状態になったら、思考に関係有る質問にしか反応しない。
「うん、そうなんだ。その時の私は、魔王ってのが何なのかは分かってなかったけどね。呼ばれたから行っただけ」
「その召集が、世界を変える下準備だって噂になったの。それを阻止するために勇者様がセレバーナと王女様を奪還しに行ったから」
「世界を変える下準備、か。間違ってはいないな。そんな概念が昔から有ったとは考え難いから、やはり我々が知覚した時に発生した物か」
「何を言ってるか分からないけど、つまり、その噂は事実だったって事?」
「事情を知っていれば事実になるが、知らない者が言っている噂は間違っている」
「セレバーナがそうやって誤魔化すって事は、解決が難しい問題が起こっているのね」
「その通りだ」
クレアは、セレバーナの無表情の裏を探る様な目付きになる。
「最果てで色々有ったのね」
「ああ。色々有った」
そして三人は賑やかな大通りから外れる。
こちらは図書館が有る静かな通りで、民家や商店は全く無い。
その代わりに街路樹や柵が有るので、意外と見晴らしは良くない。
「この裏が支部よ」
クレアは神殿の様な建造物を指差す。
かなりの量の蔵書を誇っているので無駄に広く、大きい。
この街にはこれ以外の図書館が無いので、特別な名前は付いていない。
「図書館の裏にそんな集団が巣食っていたとは……。同じ様に、最果ての村近くにも隠れ家が有るんだよな?」
「私は聞いただけだから。セレバーナはそこで魔法使いの修業をしていたんだから、貴女の方が詳しいはずよ」
「総本部と言う話だったから、それなりの人数が居るのではないか?人口の少ない村だから、少人数でも知らない顔が居たらすぐに分かる。そうだろう?イヤナ」
「そうだね。って言うか、昔から有る教団なら村人の一員になってるんじゃない?秋祭の時とか、妙に人出が多かったし。知らない顔は無かったけど」
図書館を珍しそうに見上げながら言うイヤナに頷くクレア。
「その通りだと思うわ。何世代も前から最果ての村で活動していると言う話だから」
「活動とは、何をするんだ?」
「それは勿論、魔王様の助けになる事をするのよ。貴女達への助けも陰ながらしていたはずだわ」
「ふむ。心当たりが無い訳ではない。あの村の人達にはかなり良くして貰っていたからな。しかしそれだと村人のほとんどが闇の牙の関係者になるんだが」
セレバーナの言葉を笑い飛ばすイヤナ。
「アハハッ、そんな無茶な。田舎の村は、大体があんな感じだよ。よっぽど貧しくない限りはね。排他的な村だったら始めから闇の牙も入れないし」
希代の天才少女にそんな態度を取る人を初めて見たので、クレアは表情に出さずに驚いた。
黒髪の友人は、魔王の許での修行では普通の友好関係を作れていた様だ。
向こうでも孤立して本を読みふけっているのではないかと心配していたので嬉しいが、唯一の友人ではなくなった事には少々の寂しさを感じた。
「お師匠様は闇の牙が動いていた事を知ってたのかな」
イヤナの疑問にセレバーナが首を傾げる。
「知らないと思うな。そもそも外界と時間の流れが違っていたと仰っていたし」
「時間の流れが違う、とは何ですか?興味が有りますわ」
クレアは足を止め、セレバーナに顔を向ける。
誤魔化しのきかない訊き方をされたら正直に応えると決めていたので、ツインテール少女は無表情のまま真実を言う。
「我々の魔法の師であるシャーフーチは五百年前から生きている。五百年前に魔王が王女を誘拐した伝説が有るからな。つまり五百歳だ」
「そうなるわね」
「しかし彼の話を聞く限り、彼が封印の丘で暮らしていたのはほんの僅かの時間らしい。つまり彼は……あれ?彼はいくつだ?」
師を知っている赤髪少女に視線を送るセレバーナ。
金色の瞳を向けられたイヤナは顎に指を当てて考える。
「そう言えば、実年齢を聞いた事無いね。二十代?三十代?まぁ、見た目そのままの年齢だって感じ」
「そんな感じだ。我々にとっては五百年前は大昔だが、彼にとってはついこの間の出来事だった様だ。そこら辺の感覚は私には分からん」
「ふぅん。やっぱり魔王様は人知を超えているって訳ね」
残った右目を輝かせるクレア。
セレバーナは、友人の夢を壊さない様に注意しながら続ける。
「弟子入り直後はだらけたお兄さんって感じだった。今もその印象は変わらないんだが、彼の魔力を感じられる様になったらその強大さに恐れを抱いたな」
「素晴らしい。畏れ多いけど、機会が有ればお会いしたいわ。あ、こっちよ」
図書館の裏に回る一行。
職員専用の裏口みたいな雰囲気の古ぼけたドアにはカギが掛かっておらず、クレアは慣れた感じでそこを潜った。