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妙に量が多い黒髪をツインテールにしている少女が、木で出来た窓を半分だけ開けた。
背が低いので手頃な大きさの木箱に乗り、小さな顔を外に出す。
冬の早朝なので、外の空気はピンと張り詰めている。
「風は冷たいが、雪が降りそうな様子は無いな。降っても積もらないと思う」
外の様子を窺った後、手早く木の窓を閉めるセレバーナ。
少女が暮らす最果ての遺跡は全てが石で出来ているので、気温が下がるとなかなか暖まらない。
だから余計な換気をしたくない。
「外に出られないなら、降っても降らなくても同じだけどね」
暖炉の火でスープを掻き回している赤髪少女が言う。
防寒の為にリビングの出入口を布で塞いでいるので、なるべくこちらで火を使う事にしている。
今は二人暮らしになっているから、キッチンで激しい火を焚くほどの量の食事を作る事も無い。
「同じだが、やはり雪の存在は大きい。気分的に」
「まぁね」
イヤナの返事を聞きながら円卓にスープ皿を並べるセレバーナ。
食器も冷え切っていて持つのが辛い。
「今日はシャーフーチが来る日だったか。あの事を訊くが、構わないな?」
セレバーナも暖炉に当たる。
数本の薪が赤く燃えているので温かい。
氷の様に冷えていた指先に感覚が戻って来る。
リビングには絨毯が敷かれてあるが、そこ以外は石の床なのでかなり冷たい。
これからは靴下を重ねて履かないと霜焼けになるかも知れない。
「うん。でも、また急ぎ過ぎだって怒られるかもよ?」
「良いさ。怒られたら春まで隠居するまでだ」
円卓に着いた二人の少女が野菜スープだけの侘しい朝食を取っていると、二階のドアが開く音がした。
そして階段を降りる足音の後、灰色のローブを着た長身の男がリビングに入って来た。
「おはようございます。お変わりありませんか?」
シャーフーチは、一週間分の薪と食料をリビングの端に置いた。
彼は少女達の師匠で、少女達の修行の終わりと共に遺跡を出て行った。
それと同時に、とある事情から、少女達は遺跡から出られなくなってしまった。
なので、週に一回、生活物資を運んでくれている。
「シャーフーチ。質問と提案が有ります」
黒髪少女はスプーンを置き、座ったまま師に向き直る。
「はい、何でしょう」
「私達はここを出ると二度と戻れないので、シャーフーチに食料を運んで貰っています。そこに疑問が有ります」
「その疑問とは?」
「シャーフーチは女神候補ではないのに、なぜ普通に出入り出来るんですか?」
「それは女神になりかけたソレイユドールの許可を得ているからです。彼女と従者契約をしたから、と例えれば分かりますか」
腕を組む黒髪少女に向けて説明するシャーフーチ。
新しい女神になろうとしてなれなかったソレイユドールは、最後の手段としてドラゴンに転生した。
女神の能力を放棄した訳ではなく、命を落とした訳でもないので、姿が変わっても彼女はこの遺跡の主人のままだった。
転生直後は卵になる事が決定事項だったので、シャーフーチはそれの保護と管理を事前に命じられていた。
「世話をしろと言っておいてここに入れないんじゃお話になりませんからね」
「ふむ。過去の映像を見せられた時、女神の世話を仰せつかったメイド達が居ました。彼女達と同じ立場だから出入り出来る、と言う訳ですね?」
「その映像は私には見る資格が無いので詳しくは知らないんです。話には聞いていますけどね」
「この世界で産まれた女性達が女神の世話をしていたんですよ。それと同じく、女神に立ち入りを許可された者なら自由に女神の領域に入れるのかなと」
「そうですね。しかし、同時に魔王である私は、ここから出られなかった。ここには大量の魔物が封印されていますから、その封印を護る為に」
シャーフーチは暖炉の近くに行き、立ったまま火に当たる。
「でも今は本来の住人であるソレイユドールが、不完全ながらも復活した。なので、その封印は初期の頃の強固さを取り戻しています」
「なるほど。だから魔王はもうここに居続けなくても良い、と」
「その通りです。まぁ、何が起こるか分からないので、念の為に魔王役としての制限を守り続けますけどね」
「では、私達がシャーフーチの弟子だった時、私達が自由に出入り出来た理由は?」
「従者の小間使い、と言った感じでしょうかね。貴女達は魔法使いの弟子で間違いありませんが、この遺跡的には違っていた、と言う訳です」
「我々はシャーフーチの食事の世話をしていましたし、シャーフーチの部屋が無い一階部分の掃除もしていましたから、その理屈は通りますね」
「しかし、私の弟子の証である指輪が無くなってしまったので、その理屈の外になってしまった訳です」
黒髪少女は組んでいた腕を解いて左手を見る。
半年間嵌めていた指輪の跡は、日焼けの境目が曖昧になって来ている。
ここに閉じ込められてから、それだけの日数が経っている。
「どうして今更そんな事を訊くんですか?セレバーナ。外に出たくなりましたか?」
「いえ。私は本さえ有れば平気です。――と、そう思っていたんですが、一昨日の夜、少々心臓に違和感を覚えまして」
セレバーナは胸に手を当てた。
そこには心臓の手術を受けた時の大きな傷跡が有る。
「閉じ込められたストレスと最近の寒さの影響ではないかと思うので、実際は大した事は無いのでしょう。しかし、万が一発作が起きたらと思うと」
「怖いですねぇ」
「エルヴィナーサ国で一番の名医の治療を受けたので、今まで目立った発作が起こった事はありません。しかし、診察を受けられない不安は測り知れません」
セレバーナは徹底的に無表情だ。
だが、わざわざこんな事を言うのだから、心中は穏やかではないだろう。
ふと赤髪少女の方を見てみると、縋る様な視線を師に送っていた。
退屈なので、二人で色々と話し合っているんだろう。
「それは困りましたねぇ」
呟く様に言ったシャーフーチは暖炉の火を見た。
薪を節約しているのか、その火は小さかった。
これでは寒いはずだ。
次からは持って来る薪の量を増やしてやるか。




