第3話 行方調査
「家出少女を捜すの?」
春樹はいつものように美沙のデスクに自分の回転スツールを近づけ、美沙の取りだした調査依頼書を読んだ。
「谷川理紗、16歳、高校1年生。家出常習犯らしいわよ」
美沙が言った。
これは本社、つまり立花聡〈たちばな・さとし)局長の元に来た案件だが、行方調査専門にやっているこの鴻上支店に回されてきた。
時間と手間を取られる割りに成功率が低いやっかいな行方調査は、専門にやっている美沙に任せた方が効率が良い。
公式ではないが、美沙と立花局長の間で、そういう取り決めが行われていた。
すでに昨夜、美沙は依頼人である母親同席の元、立花局長と打ち合わせをしてきていた。
未成年の家出人調査は一番厄介だ。
子供に無関心な親からの情報はとても少ない。
子供部屋から無くなっている物、その日の服装。失踪の原因はおろか、交友関係者のリストアップもまともに出来ないケースが多い。
今回の谷川理紗に関してもそうだった。
辛うじて分かった少ない友人や知人のリスト、そして予想される立ち寄り先のリストだけが頼りだ。
「警察に捜索願いは出してるんでしょ?」と、春樹。
「もちろん。1ヶ月も前にね。今までも家出の度に捜索願いを出してるのよ、この母親。中1の頃から谷川理紗の家出実績は数知れず。そのほとんどが、ぶらっと1、2週間で自分から帰ってくるパターンでね。警察も届けを出す度に失笑よ」
美沙も少し苦笑を混ぜながら言った。
春樹はじっと少女の資料写真を見つめた。
自分と2つしか違わないその少女は、幼い顔立ちの上に濃いメイクを施し、冷めたような眼差しは見ているこちらを落ち着かない気分にさせる。
「今度もまたぶらりと帰って来るんじゃないかな」
希望を込めて、春樹は言った。
「そうなれば良いんだけどね。だけど今回はもう2カ月になるらしいのよ。だから本気で心配になって母親がうちに依頼に来たって訳。警察が家出娘を本腰入れて捜してくれる機関じゃないって、今頃気付いたのね」
美沙は腕組みをして、回転イスの背もたれに身を預けた。
「2カ月かあ。それはお父さんもお母さんも心配だね」
春樹は写真に言い聞かせるようにそうつぶやくと、しばらく黙って依頼書を読んだ。
堅実な父、母、兄を持つ、普通の家庭のお嬢さんに見える。
「幸せそうな家庭なのに、どうして家出なんかするのかな」
春樹は再びボソリと言ってみた。
しばらく美沙が奇妙な沈黙を作ったので不思議に思い、目線を上げると、じっとこちらを見ていた美沙と視線が合った。
「・・・外からじゃ分からないんじゃない? 問題のない家庭かどうかは」
美沙は表情を変えずに春樹にそう言うと、ジャケットのポケットからタバコを取りだした。
「タバコ、辞めるんじゃなかったの?」
「やめるの、やめた」
「意志薄弱」春樹が笑うと、
「うるさい、クソガキ」と、すぐさま帰ってきた。
美沙はくわえたタバコに火をつけるとすぐに立ち上がり、2カ所ある窓を全開にした。
秋のヒンヤリした空気が流れ込んで来る。
大通りに面した3階に位置しているために、普段は喧噪と埃を気にして開けない窓だ。
ガサツなように見えて、美沙は春樹に対して、さりげない心配りを忘れなかった。
そういう部分に春樹はいつもドキリとする。
自分が頼ってしまった為に、きっと迷惑をかけているだろうこの女性に。
今はもういない自分の兄の恋人。そして、今は姉のように春樹を安心させてくれる存在だ。
時々湧き上がる美沙に対する奇妙な感情に、春樹はいつも戸惑った。
振り払わなければならないと分かっていた。
そうでなければもう、この人の側にはいられない。
自分は、人に触れてはいけない化け物。
“そう言う感情”を持つことは随分前に諦めていた。
ただ、今は側にいたい。他に望まない。重荷になっていると知りつつも。
甘ったれで、行き場を見いだせなかった自分をここに置いてくれる美沙に報いる方法があるとすれば、仕事で役に立つことだけなのだ。
その後の打ち合わせで、美沙はリストアップされた交友関係者を当たり、春樹は谷川理紗の行きつけの場所での聞き込み調査、及び、各店経営者への通報協力依頼に当たることにした。
「失踪から時間が経ちすぎてるから、聞き込みもかなり望み薄かもしれないわね」
美沙が言うと、
「そういう状況のほうが、やりがいあるよ」と春樹は返した。
「それは結構。私も後から応援にまわるから」
「大丈夫だよ、僕一人で。若い子が集まる場所は僕だけの方が警戒されなくていいでしょ?」
「変な真似しないでよ?」
そう言った後で美沙がハッと失言を恥じる表情をしたが、春樹は気が付かないふりをした。
美沙に“そのこと”で気を遣われるのが一番辛かった。
いつものように笑って、出来るだけ冗談っぽく答える。
「大丈夫だよ。誰にも触ったりしないから。痴漢容疑で捕まりたくないもん」
春樹の言葉に、美沙が笑った。
いや、笑ってくれた。
・・・冗談は成功しているのだろうか。
『僕は美沙に何を言われたって、平気なんだよ』という、メッセージ。
そしていつもと同じ。
ひたひたと春樹を満たすのは、今のまま、彼女の側にいられる平穏な日々が、一体いつまで続けられるのだろうかという、耐えがたい不安だった。




