第2話 苦手な女
「相変わらず、僕の仕事が気に入らないみたいだね」
女子達がいつも羨ましがっていた、サラリとした質のいい髪を左手でかき上げながら春樹は笑った。
「100回でも言うよ。春樹は頭良いんだから大学に行くべきだ。なんだってこんなヤクザな仕事なんか」
「今、世の探偵業従事者を敵に回したよ? 隆也」
「いいよ。俺は一生世話になること無いから」
「ねえ隆也。朝からそんな話ししに来たの?」
春樹はさすがに少し困った顔をして隆也を見た。
この、何を言っても許してくれる友人と一緒に過ごしてきたお陰で、隆也はさらにズケズケ物を言う性格になってしまった。唯一の弊害だ。
けれど本当の核心部分は隠してある。それを言ったらさすがに春樹に嫌われるかも知れない。
本音を言うと、隆也は春樹の上司である女が苦手だった。
春樹の部屋の2軒隣という、信じられない近さに住んでいる戸倉美沙が。
美人だとは思うがガサツでだらしない。
一度開けっぱなしの部屋をチラリと見てしまった事があるが、男の自分だってあんなに散らかすことは出来ないというほど散らかっていた。
春樹の部屋から帰るとき、泥酔して千鳥足の美沙にバッタリ出くわしたこともあった。
つまり酒癖も悪いのだ。
そういう女はきっとどこか破綻してるし、男にもだらしないと隆也は思っていた。
家族ぐるみの付き合いだったこともあり、春樹は彼女を信頼しているようだが、大学を諦めて就職した先の上司としてふさわしいとは隆也には思えなかった。
それも経営も収入も不安定な小さな探偵事務所とくれば、尚更だ。
「なあ春樹。朝って、あの人と一緒に出勤するのか?」
別にどうだっていい質問だと思いながら隆也が訊いたその時、注目していたそのドアがガチャリと開いた。
スラリとした体をパンツスーツに包んだ美沙が現れると、悔しいことに、さすがの隆也も“綺麗な人だな”と認めざるを得なかった。
「あれー、隆也。こんな朝早くどうした?」
「何でいつも呼び捨てですか」
「長い付き合いなのに硬いよねー、隆也は。こんな早く家を飛び出すってことは、またお母さんと喧嘩でもした?」
「そんなんじゃないですよ!」
図星を突かれて赤くなった隆也に近づき、美沙はその頬をぷにっと摘んだ。
「ちゃんと勉強して大学合格して、両親安心させてあげなさいよ」
そしてそのまま顔を近づけ、
「勉強に疲れたら、またいつでも事務所に遊びにきなさいよ。コーヒーくらい煎れてあげるから」
そう言って艶やかなピンクの唇でニッと微笑むと、さっさと突き当たりのエレベーターに向かった。
ドアが閉まるほんの一瞬、初めて春樹を見て「じゃ、先に行くから」と手をあげて見せた。
「はい」
一連の言動にまだ顔を赤らめている隆也の横で、春樹が小さくそう答えた。
「な・・・なんだよあの人は! 会うたび人を子供扱いして。俺は小学生じゃないぞ!」
美沙につままれた左頬をドギマギしてさする隆也に春樹は言った。
「お姉さんみたいだろ?」
「お姉さん? あれは一歩間違うと痴女だ。すぐ触るし。ぜったいあれは男たらしだよ。間違いない。男いっぱいだまくらかしてる口だよ」
「酷い言われようだな」
春樹が可笑しそうに笑う。
「春樹も大変だろ。事務所でべたべたされてんじゃないか? 気をつけろよ?」
一瞬、間があった。
すぐに笑って返して来るだろうと思っていた隆也が不思議そうに振り返ると、エレベーターの閉じたドアをボンヤリ見ていた春樹がこちらを向いた。
「僕にはそんなこと、しないんだ」
そう言って、ほんの少し笑った。
そう言えば美沙は春樹の死んだ兄の恋人だった事を改めて思い出した。
不謹慎だっただろうか。春樹のあの一瞬の間は、そのせいだろうか。
隆也が反省して口を噤んだため、不自然な沈黙ができた。
春樹はさりげなく腕時計を見たあと、「僕も準備して行かなきゃ。悪いな隆也。また晩飯でも一緒に食べよう」と言って笑った。
「おう」と隆也が頷くと、春樹はゆっくりとドアを閉めた。
春樹が一瞬見せた表情が、隆也を動転させたのかもしれない。
自分がまだしっかり握っている水色の紙袋の存在を、すっかり忘れていた。
春樹が観たいと言っていた映画のDVDが何本か入っている。
朝っぱらから母親と軽い口げんかをしてムシャクシャし、春樹にDVDを渡す名目で家を出てきたのだ。
「まあ、またでいいか」
そうつぶやくと隆也はエレベーターへ向かった。
今まで何となく気付いていたことが、今のことも含め、隆也の中でそれは確信に近づいた気がした。
“春樹は美沙の事が好きなんじゃないか。”
そしてもう一つ。
“美沙は春樹を重荷に感じてるんじゃないか。”
後者のほうが本当だとしたら、自分は本気で美沙を嫌いになるに違いない。
そんなことを思いながら紙袋のヒモをグッと握り、隆也はエレベーターのボタンを押した。




