第18話 淵
「もしかして春樹、何か病気なんですか?」
「え?」
唐突な意外な隆也の言葉に、美沙は高い声を出した。
「その・・・触っちゃダメな病気とか。なんか、感染力の高いウイルスとか・・・」
「ウイルス?」
美沙が呆れたようにそう言うと、隆也は眉間に皺をよせた。
あまりにも的はずれな幼稚な予想に、美沙の緊張が一気に緩む。
「まさか。そんなことあるわけないでしょ? 隆也はそんな風に思ってたの? そんなことだったら私はいくらだってあの子を・・・」
そこまで言って美沙はハッとした。
取り返しの付かないミスに気付いたが、遅かった。
隆也が真剣な、咎めるような目つきで美沙をまっすぐ見つめている。
「そんなことだったら・・・何です?」
偶然なのだろうか。それとも、ハメられたのだろうか。
次第に美沙は、隆也が春樹を思いやる気持ちの強さに、気迫のようなものを感じ始めた。
同時にそれは美沙に対する嫌悪感なのかも知れないと思った。
どうしていいか分からなかった。
これほどまでに春樹を気遣う隆也に、隠す必要があるのだろうか。
何よりも、もう美沙は考えることに疲れ果てていた。
何が最善なのか、もう分からなかった。
「美沙さん」
隆也が問いつめる。
「春樹は・・・」
美沙は座ったままうつむき、喉の奥から絞り出すように小さく呟いた。
「春樹は大事な友達を一人、失うかもしれない」
それはもう拒否する言い訳ですらなく、言ってしまったも同然の言葉だった。
「それを聞いて俺が春樹を避けるようになるとでも思ってるんですか? バカバカしい。逆に聞きたいですよ。大事な友達を嫌いになる、どんな理由があるってんですか」
真っ直ぐな眼差しをこちらに向けてくる隆也に、美沙は温かい安心感を覚えた。
彼に話すことで開放されたい。誰かに理解されたい。
けれど、もしダメだったら?
もし隆也が春樹を避けるようになったら?
その両極の二つが美沙の中で対立した。
けれど隆也の性急な厳しい目は、ゆっくりと考える猶予を与えてはくれなかった。
「美沙さん!」
ごめんね、春樹。
美沙は、ゆっくりと口を開き、その言葉を口にした。
決して誰にも言わずに封印するはずだった、春樹の秘密。
◇
春樹は1階エレベーターを降りてすぐの、薄暗いエントランスの壁に体を預け、ボンヤリ外を眺めていた。
タクシーを止めて病院へ行く。
その事に何の意味もないような気がして、もう15分、そこに佇んでいた。
隣のビルの1階は若い子に人気のファーストフード店になっている。
学校帰りの女子高生達がそこへ向かうため、制服の短いスカートをフワリと揺らしながら、楽しげに春樹の前を横切ってゆく。
男子高校生が3人かたまり、肩を組んでふざけあいながら通り過ぎてゆく。
退屈すぎるほど平穏で当たり前だった世界が、自分とはプッツリと切り離されて、今では別の世界のように感じる。
切り離されたこちら側。
このエントランスのように、薄暗く無機質で何もない世界に居るのは、この世で自分だけのような気がした。
美沙は?
春樹の胸がドキリとした。
兄の元恋人。春樹を弟のように思い、世話をやいてくれる美沙。
けれど、美沙にとって春樹がどんどん重荷になっていることを、春樹自身イヤになるほど感じていた。
昨日あんな風に自分の辛さを美沙に訴えたことを、春樹はとても後悔していた。
どうして自分の胸にだけ収めておけなかったのだろう。
自分で判断してやったことではないか。
あんな事を言っても美沙が苦しむだけだ。
そして、勝手な調査をして、危ない目に会ったことも、知られてしまった。
春樹は大きく息を付いた。
そして自分に問いかけてみた。
仕事を辞めさせられ、そして「サヨナラ」と美沙が言ったら、その時僕は、どうすればいいだろう、と。




