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第1話 親友

穂積隆也は春樹の部屋のインターホンを押そうと伸ばした指を一旦止め、もう一度時計を確認した。

8時10分。

大丈夫、春樹はまだ出勤前。忙しい時間だとは思うが、彼なら嫌な顔せずにドアを開けてくれるはずだ。

隆也は手に持ったDVDの束に目をやり、何となく安心した後、再び指を伸ばした。


穂積隆也ほづみ・たかや、18歳。

春樹とは高校の時の同級生だ。高校1年生の「ある日」から、春樹は隆也にとって「親友」だった。

恥ずかしげもなく隆也は春樹にそう言ったことがあるが、確か春樹には、ただ笑って流されたような記憶がある。

特に誰かと連むわけでもなく、淡々としている春樹には隆也の「親友宣言」は重かったのかもしれないと割り切った。


現在隆也は大学浪人1年生。予備校通いの毎日だ。

身長は彼の理想に届かず172センチで止まった。

小動物のような円らな目元に小作りな鼻。短かめの髪。

そんな少々童顔なルックスのせいで、大人しい勉学少年に見られがちだったが、実は曲がったことの許せない熱血漢タイプだった。そしてその分、情に厚い。


そんな隆也が高1のある日、あるCDショップで万引きと間違われた。

ここ数年その店は中高生の万引きが後を絶たず、店長はピリピリしていた。

なぜ自分が間違われてしまったのか隆也には未だに分からないのだが、店を出たところを店長に呼び戻され、カバンを調べられた。

数日前別の店で買った新譜のCDを持っていたが、もちろん開封済みであり、盗品である証拠は何もなかった。

けれど店長は尚も厳しく追及し、隆也の名前と学校名を聞いてきた。

引っ込みがつかなかったのかもしれない。

もちろんそこで大人しく冤罪を被る隆也ではない。

逆に名誉毀損だと騒ぎたて、半ばひるんだ店長を睨み、店を飛び出した。


怒りと恥ずかしさが隆也を満たし、火のついたように赤い顔をして歩いているときにバッタリ出くわしたのが春樹だった。

頭に血がのぼっていた隆也は、狭い歩道の行く手に立っていた春樹を「どけよ」と乱暴に払いのけた。

なぜあんな乱暴な態度を取ったのかと悔やんでいるのだが、もしかしたらあの時、自分と対局な平和で安穏な空間に居る春樹の穏やかな表情にむかついたのかもしれない。


春樹は不意に隆也の手をつかみ、「ねえ、時間ある?」と訊いてきた。

「なんだよ」

かなりきつい調子で隆也は言った。

「そこのマック行かない?」

向かいのファーストフード店を指して春樹は言った。

学校では特に親しくしていたわけではない春樹にそう言われて隆也は驚いた。

「なんで?」

「家の鍵、無くしちゃってさ。家族が帰ってくるまで時間潰さなきゃなんないんだ」

「だから何だよ。勝手につぶせよ」

「頼むよ。一人で入るの嫌なんだ」

そう言って春樹はニコリと笑った。


渋々といった態度で隆也は春樹に付き合うことを承諾した。

何らかの気分転換が必要なのが、少し冷静になった隆也の頭の隅にあったのかも知れない。

そのまま家に帰っていたら、きっと自室で悶々として、のたうち回っていただろう。

春樹といると、不思議と気持ちが落ち着いた。

まるでその時、隆也が何に傷ついているのか、何を忘れようとしているのかを知っているように、春樹は他愛もない会話で隆也を落ち着かせてくれた。

普段、そんなにお喋りでは無いはずの級友が。

春樹を見ながら何度もついさっきあった出来事を語ろうと思ったが、その和やかな空間はもう、そんな愚痴を言って曇らせるべきでは無いような気がしていた。

その必要も感じなくなっていた。

隆也がその日受けた傷は、その級友のお陰で化膿せずに済んだのだ。

もしかしたら春樹は自分にとって特別な人間なのではないだろうか。そう思わずにいられなかった。


そしてそれは2日後、確信に変わった。

春樹が朝、まだ寝ぼけたようなボンヤリした声で隆也に伝えてきた。

「ほら、一昨日行ったマックの近くにCDショップあるだろ? あそこに昨日寄ったらさ、店長さんが僕の制服見てこう言うんだ。『君と同じ学校の男の子を昨日万引きと間違えてしまった。もしその子を見つけたら、本当に申しわけ無かったと伝えてほしい』って。そんな話、聞いたことある?」と。

隆也は、まだ心の隅でくすぶっていた苦い塊がスッと蒸発した感覚を覚えた。

ミントのような清涼感を残して。

目の奥がジンと熱くなり、思わずその友人に抱きつきそうになるのをぐっと堪えるのに苦労した。

自分の中にあった厄介なプライドは、傷つけられる事無く自分の中に残った。

たぶんあのままだと一生忘れることのない傷になるはずだった。


誤解が解けたことは春樹のせいではないし、すべて偶然だったのかもしれないが、隆也はそれ以来春樹をとても大切な友人だと思うようになった。

そう思わずにいられない何かが春樹にはあった。

2年前の秋、春樹の家族が春樹を残して全員亡くなってしまう、あの悲惨な火災が起きたあと、それは隆也の中で更に強く、大きくなっていった。



隆也がドアホンを押すと、ほどなく春樹はカチャリとドアを開け、眠そうに目を擦った。

「あれ? どうしたの隆也。こんな時間に」

声は眠そうだが、春樹はちゃんと出勤の身支度を整えていた。

堅苦しいスーツでは無かったが、すらりとした体躯にスラックスとボタンダウンのシャツ姿の春樹は、とても大人びた感じがした。

「寝込みを襲いに来たのに」

「遅かったみたいだね。もう出かけるところ」

「もう? ・・・早いな。辞めちゃえよ、そんな職場」

そのメチャクチャな提案に春樹は声を出して笑ったが、それはけっこう隆也の本心だった。



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