去来
第三者視点です。
「まさか少ない兵を分け、三方向から攻めるとは…」
「何を感心しておられるのです!」
日比野清実が遠くを見ながらいうのを聞いた彼の部下である神戸将監は思わず怒鳴った。
それを無言で見つめる長井衛安は再び外に目を向ける。
戦場の全貌を見渡せる場所に彼ら三人はいた。
戦況は厳しく、もはやここからの勝利は不可能であろう。
そのようなことを戦場にいる皆がうっすら思い始めた。
そう思い始めることが本当は良くないことだが。
「…甲斐守殿!ここからどうするおつもりで!?」
主君に問いかけるのを諦めた将監が衛安に問いかけた。
ここからどうするか。正確には二択である。
逃げるか、戦うか。
勝算がない今、すべきことはここからの退避だ。
衛安の冷静な頭はその答えをすぐ導いた。
しかしその案を口に出す前に日比野の家臣が転がり込んできた。
「と、殿…」
「何事だ」
息も絶え絶えになりながらその男は外を指す。
よく見ると彼の背中には数多の矢が刺さっていた。
「織田の兵が…迫ってきています。お逃げを…」
「だそうだ、甲斐守殿」
日比野が振り返りながら言う。
退避という選択肢はなくなった。
もはやここで身命を賭して戦うしかない。
この場にいたものが声に出さずとも一致した答えがそれだった。
「はぁ…まさかこのようなことになろうとは」
日比野が腰を下ろしながら言う。
「勝てると思っていたのですか?」
「勝てぬと思っていたのか、其方」
しばらく見つめ合った後、溜息をついた衛安が答える。
「いえ、そういうわけではなく…容易くいくまいとは思っていましたが」
「後悔しているか?」
「まさか」
己から名乗り出たのだ。
後悔など一つもない。
心当たりなども…
「…殿」
今頃自陣の最奥にいるであろう主君を思う。
ここから自陣までは少し距離がある。
それにあの方の周りには沢山の切れ者たちがいる。
おそらくあの方は逃げ切れるだろう。
出会ってから八年。
あの方を立派な斎藤…一色の男にお育てしたつもりだ。
胸を張ってあの方の傅役は自分だと言える。
半兵衛、六郎と三人で稽古をよく抜け出してはいたが。
ただ一つ悔やむならば、最後のあの方のお顔だ。
まだ自らが当主であることを受け入れ切れていない顔だった。
おそらく自身の中では決心がついているのだろう。
しかしまだ頭以外がついていけてない。
衛安は大きな家の当主になったことなどない。
よって彼では主君の心情を完全に理解することは難しいだろう。
幼い主には頼れる人が必要だ。自分がそれになろう。
そう衛安は思っていたが、もはや己にはそれも難しそうだ。
「織田軍が来ます!」
「甲斐守殿!」
将監が叫ぶ声が聞こえる。
どうやら戦わねばいけない時のようだ。
ふと稲葉山の城にいた時のことを思い出した。
まだ義龍が生きていたころだ。
皆が笑い、酒を飲み交わしている。
その中心にまだ元服していない主はいた。
とても幸せそうな笑顔で。
衛安は思わず笑みがこぼれた。
「いかがした」
日比野がいぶかしそうに問う。
衛安はいえ、と否定しながら刀に手をかけた。
「ただの、思い出し笑いです」




