第6話-③
外で最後の絶叫が響いた。
住民の誰かが声を上げる。歓声ではない。安堵とも違う。ただ、生き残ったことを確かめるような震える声だった。
家の中央でテアが膝をついていた。
彼女の前にも別の体が崩れている。短剣が深く突き立ったままだった。テアは肩で息をしていた。こちらを振り返ろうとして振り返れずにいる。動かない小さな体を見たくないのだろう。
「......外、片付けてくる」
「ロイ」
「後は任せてもいいかしら」
「......分かった」
「すぐ戻る」
「ええ」
「ミラを見ててやってくれ」
「うん。一人にしないわ」
テアはそれ以上は何も言わなかった。ただ小さく頷いた。
広場へ戻る。
残っていた敵が三体。それをほとんど機械のように切り伏せた。何も考えていなかった。剣が振られて相手が崩れる。効率など考えず、ただ剣を振り続けた。
最後の一体が崩れたとき、東の空がぼんやりと白み始めていた。夜が終わろうとしていたのだ。
あの家の屋根に視線を向ける。さっき観察しているかのように見えた何かがいた場所だ。
先ほど何かがいた気配はもう消えていた。撤退したのか最初から見ていただけなのか分からない。
『殲滅を確認』
(……)
『他の反応、なし』
(……ああ)
広場には人々が出てきていた。
生き残った者たちが地に倒れた仲間の側へ膝をついている。誰かの夫、誰かの妻、誰かの子。集落の数十人のうち確かに減っていた。
見渡したところで地に転がったまま動かない者は三人だった。
白銀の刀身が柔らかく光の粒に分かれた。
俺の隣にイリスが人の姿で形作られる。彼女は何も言わずにじっと俺の顔を見ていた。返り血で汚れた頬の方を長く見ていた。
「……ロイ。さっきは厳しいこと言ってごめんなさい。ロイの気持ちをわかっていながら...」
「謝らなくていい」
「でも...」
「イリスは俺の隣にいる。それだけで十分だ。それに俺も戦争から離れて心が弱くなった気がしてな。イリスがいなかったら俺は既に動けなくなっていたかもしれない」
彼女は口を閉じた。
代わりに俺の手を繋いだ。今は何も言わない。それが彼女にできる最大限のことだった。
繋いだ手の指先がわずかに冷たく、手はやや汗ばんでいる。彼女自身も平気ではないのだろう。
里長がこちらに歩いてきた。
足取りが重い。彼の周りでは人々が一人、また一人と倒れた者の側へ膝をついていた。
「......ロイさん。礼を、言わせてくれ」
「俺は守りきれなかった」
「三人だ。あんたがいなければここの集落は全滅していた。それは間違いない」
「だが、三人は失った」
「あんたのせいじゃない。気負うな」
里長の声は震えていた。感謝と悲しみともう一つ、名前のつけられない感情がその声に混じっていた。
「死んだ者の中に子供が一人含まれてる」
「あの子の名前はリオだ。覚えておいてやってくれ」
「……ああ。忘れない」
「頼む」
「家族はミラだけなのか」
「ミラを知っていたのか...。あの子達の両親はもう」
「そうだったか」
「あの姉弟はこれまで二人で生きてきた。このことはあんたが背負うことじゃない」
「そうだな。両親がいないことは俺に関係ないことだからな」
「だが、あんたは背負うんだろう。自分自身に関係のないことだとしても」
「……」
「そういう目をしてる」
里長はそれ以上は何も言わなかった。ただ長く息を吐いて、自分の集落の者たちの方へ戻っていった。
名を口にした瞬間、里長の声が一段落ちたのを思い出した。それはもう一度その人の存在を確認するような声だった。
家の中から小さな影が出てきた。
ミラだ。
彼女はリオを連れていなかった。
代わりにその小さな手は何も握っていない。空のままだった。両手がぶら下がるように、体の横で揺れている。さっきまで確かに弟の手を握っていた手は寂しそうにしていた。
目元は赤く、少女の服には暗い色の染みがいくつかついていた。自分の血ではない。弟の体を抱いた時についたものだった。それをミラは拭おうともしていなかった。気づいていないのか、気づいて拭いたくないのかそれは分からなかった。
ミラがまっすぐにこちらへ歩いてくる。足取りはしっかりしていた。泣いていない。ただ、その目だけが何も見ていないように虚ろだった。十歳の子供の目にこれだけの空白を見たことは戦場でも何度かしかなかった。
「お兄ちゃん」
声は思っていたよりはっきりしていた。
「守ってくれてありがとう」
一瞬、息が止まった。
最初に出てきた言葉がそれだった。責める言葉でも、泣き叫ぶ言葉でもなく、礼の言葉だった。
「......ミラ」
「ありがとう。本当に」
少女の虚な目はこちらを真っ直ぐに見ていた。そしてその口がもう一度、開いた。
「でも、お兄ちゃん。どうしてリオは助けられなかったの」
時間が止まった気がした。
いや、止まったわけではない。ただ頭の中でその問いだけが何度も繰り返されていた。
どうして助けられなかった。
どうして。
距離は五歩だった。
ほんの半歩足りなかった。
ミラが弟を庇おうとしたあのほんの一瞬の動きが距離を、未来を変えた。あの動きがなければ間に合った。だがそれをミラに説明することなどできるはずがなかった。
「すまない」
ようやく出てきたのはその一言だった。少女はそれを聞いて少しだけ目を伏せた。
「……うん」
「本当にすまない」
「お兄ちゃんが悪いわけじゃないことはわかってる。わかってるけど聞きたかったの」
少女はそれだけ言って踵を返した。家の方へゆっくりと戻っていく。背中は小さかったが大きく見える。今はまだ歩く力が残っているのがせめてもの救いだった。
イリスが俺の手を握り直した。
細い指が俺の指の間にしっかりと差し込まれる。何も言わずにただ握っていた。彼女の指先はいつもより冷たかった。
「ロイ、あの子は責めてこなかったね。それが一番きついね。外に出せず、ただ内側に封じ込めておくことしか出来ない。自分自身が全てを背負わなきゃいけない」
「お前は背負う必要はない」
「無理よ。私も隣で見てたんだから」
彼女はそれ以上は何も言わなかった。握った手の力がほんの少しだけ強くなった。
テアはすこし離れた場所でこちらに背を向けて立っていた。
彼女が何を考えているのか見えなかった。ただ、その肩がわずかに震えているのだけが分かった。
夜が終わり、東の空はもう完全に白んでいる。雲の縁が淡い橙色に染まっていた。どこかで鳥の声が一つ。
また目の前で失った。
守ると決めた、目の前のものを。
それでも空はいつものように明けていく。
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