91.末っ子王子の事情
僕は生まれた時から失敗作だった。
現王の三男として生まれた僕は、生まれつき身体が弱かったのだ。
それでも死なずに成長したけど、上の兄二人のように幼い頃から武術や剣術を習うこともできず、部屋で静かに過ごすことが多かった。
身内の者も、従者も、誰も……僕に期待する者はいなかった。
上に兄が二人もいて、それも優秀。
だから僕なんていなくてもいいんだ。
父上も母上もいつも僕を心配して疲れていたし、医師たち大人も僕を厄介に思っていたはずだ。
強く、格好良く、張り合うように育っていく兄たちの姿を、僕はいつも安全な部屋の中から窓越しに見ていた。
僕は小さいから仕方ない。
身体が弱いから仕方ない。
弱く産んだ母が悪いのだ。
僕は何も悪くないし、兄が二人もいるから、別にどうなったって――。
そんなふうに自分に言い聞かせることで王族に生まれてしまった己の心を保ち、やがて成長するに従って少しずつ身体は強くなっていった。
外に出られることも増えたけど、スタート地点が他の者たちと違う。
それにあまり長い時間外にいるのは許されなかった。
護衛の目を盗んで一人で森に行くようになったのは、好奇心と自立したいという気持ちからだった。
やってみたら、案外うまくいったのだ。
そのあと僕に付いている護衛騎士はとても困っていたが、関係ないと思った。
騎士のくせに僕に隙を見せるからいけないんだ。
おかげで僕の護衛は何度も交代させられていた。
だからエーリッヒ兄さんのように側近と仲良くなることもなかった。
エーリッヒ兄さんの側近、クレスは魔導騎士だから魔法も使えるのに剣の腕も良い優秀な男だった。
クレスなら或いは僕も隙を突くことができなかったかもしれないが、クレスが僕の護衛に付くことはなかった。
クレスのような優秀な男は、第一王子であるエーリッヒ兄さんの護衛で忙しいのだ。僕なんかを守ってくれるはずがなかった。
クレスは僕がまだ幼い頃から兄さんと仲が良くて、二人で剣術の稽古をしているところをよく見ていた。
兄とは違う親近感のあるこの男を、素直に格好良いと思った。
礼儀も弁えているが、クレスは気さくで、良い奴だ。
僕が頼んで剣の扱い方を教えてもらったこともあった。
クレスのことを兄のように慕う気持ちを持った。いや、他人だからこそ、実の兄よりも素直に甘えられたのだ。
優秀な兄と自分を比べるのが嫌で、僕はクレスを憧れの対象にした。
クレスのようになりたくて、クレスの真似事をしていた時期もあった。
クレスの好きなものを好きだと言ったり、立ち振る舞いを真似てみたり。
僕には魔法が使えないが、剣術の先生も付けてもらい、少しずつ強くなっていった。少しずつクレスに近づいていった。
そして、僕だってもう一人で大丈夫なのだと父たちに知らしめたくて、結界外だとわかりながらも森の奥へ入った。
毒を持つ巨大な蜥蜴を前に剣を抜いたのは威嚇するためだったが、却って刺激してしまったようで、右腕に毒を喰らってしまった。
なんとか城の方へ戻ろうと足を動かしたが、途中で力尽きた。
身体が熱く、大量に汗をかき、膝が震え、目眩がした。
毒を喰らった右腕は変色し、感覚がなくなっていた。
――僕はここで死ぬのだと、覚悟した。
護衛の目を盗んで一人で行動することを、いつも兄に怒られていた。
近衛騎士団の副団長であるクレスを困らせていたことも知っていたが、あのクレスを困らせていることになんとなく優越感を覚えていたのかもしれない。
優秀であるはずの護衛の目を、この僕がすり抜けるのだ。
唯一の特技であるように、大人をあざ笑うように、何度も繰り返した。
その結果がこれだ。
僕の最期には相応しいかもしれない。
僕はただ、もっと自由に外の世界が見たかった。
護衛の者が呆れていたのは知っている。
昔から、皆僕のことをお荷物だと思っているんだ。
僕のお守りから解放されて、きっと皆清々するな――。
意識を手放す寸前、そんなことを考えながら僕は地面に倒れ込んだ。
最期まで皆を困らせて……僕の人生はなんだったのだろうか。
次に意識が戻ったとき、僕はとても心地良い感覚に包まれていた。
目は開けられないし、身体も動かせなかったが、身体の中に力強いエネルギーが入ってくるのを感じた。
意識を手放す前の気持ち悪さはなく、痛みも痺れもない。
あるのは、まるで雲の上にいるような、ふわふわとしてやわらかく、あたたかい感覚だけ。
身体の中から力がみなぎってくるようだった。とても癒やされた。
遠くで声が聞こえた。
女の声だ。
直感でわかった。
彼女が僕を助けてくれたのだと。
父や兄の声もする。
だが、身体はまだ動かない。目も開かない。
――君は誰だ? どんな顔をしているんだ。
見たいのに、聞きたいのに、叶わない。
いかないでくれ……!
やがて声は遠くなり、彼女の温もりもなくなった。
結局僕が目を覚ましたのはそれから二日後で、その時彼女はこの城にはいなかった。
新婚旅行に行ったらしい。
彼女は、あのクレスの妻なのだとか。
さすがクレスだ。解毒魔法が使えるような女と結婚するなんて、凄いな。
最初は素直にそう感じ、帰ったら礼がしたいと従者に伝えた。
それから数日、ベッドの上で退屈に過ごしながら、たまに見舞いにきてくれるエーリッヒ兄さんにクレスの妻がどんな女性なのか聞き、想像を膨らませた。
あのクレスがメロメロらしい。
クレスはモテるから、どうせ女の方がクレスに迫ったのだと思ったが、どうやらそうでもないらしいのだ。
クレスがそこまで惹かれた女性はどんな人だろうかと想像を巡らせ、あの時の心地良い感覚を思い出した。
そして実際会ってみたルビナは、僕の想像を超えるほどに美しい女性だった。
つい結婚したいと言ってしまったのは、本心だ。
クレスの妻であるのはわかってる。
だが、あのクレスがそこまで惹かれたこの美しい女性を、僕の命を救ってくれた女性を、自分のものにできたら……そう考えてしまった。
クレスは困っていた。だが、幼い頃憧れたあのクレスを困らせていることに、僕はなんとも言えない気持ちになった。
余裕のないクレスを見て、僕もクレスと対等な男に育ったと勘違いしたらしい。
実際、クレスに余裕がなかったのはルビナのことだったからなのだ。
僕は関係ない。クレスは、ルビナのことになるとただひたすら必死になるだけなのだ。
そしてルビナもまた、そんなクレスのことを心から愛していた。
金や権力にはまったく靡かない女性だった。
クレスのことを心から信頼しているのだとわかった。
クレスもルビナも幸せそうで、羨ましかった。
僕もあんなふうに愛されたいと、願ってしまった。
そして少しだけ、そんなクレスを妬ましく思った。
僕はいずれ父上が決めた隣国の王女と結婚しなければならない。
三男で出来損ないの僕ができる、唯一の役目だ。
だから逆らうことができないのはわかっているが、一度くらい、自分で誰かを好きになってみたかった。
ルビナは強い女性だった。芯の強い女性だ。けれど強さの中に優しさがあって、そのあたたかみが雰囲気に出ている、美しい女性だ。
一度で良いから僕を見てほしくて。少しでいいから僕に靡いてほしくて。
それでもクレスを想う気持ちに一切隙のない彼女に、手荒な真似をしてしまった。
優しい彼女を騙し、薬で眠らせて、無理やり近くに置いたのだ。
ほんの数時間だが、大人しく僕の横にいてくれたルビナは、やはりとても美しかった。
だが、魔力を封じる紐でその細い手首を括り、薬で強制的に眠らされてここにいる彼女に、すぐに虚しさが僕の胸を支配した。
眠っている彼女のなめらかな頬に手を伸ばし、汚い僕が美しいルビナに触れることへの恐怖に身体が固まり、彼女から離れた。
結局彼女を手にすることはできないのだ。
僕にはそんな勇気も度量も自信もない。
彼女を傷つけて、また皆を困らせるだけなのだ。
とても虚しい。僕は結局何がしたいのだろう。どうなりたいのだろう……。
兄上やクレスのような、強い男になりたかったのだ。
ただ、周りから認めてほしかったのだ。
それなのに、足掻けば足掻くほど、自滅してしまう。間違えてしまう。
――ねぇ、僕はどの道を歩いて行けばいいの?




