90.末っ子王子が望むもの
「……」
目が覚めたら、見覚えのない豪華なベッドの上だった。
まだ少しぼんやりとする頭で思い出す。
フランツ様について行って、霧吹きを吹きかけられた……。
その直後、身体が床に沈められるように力が抜けて、意識を手放したのだ。
「ん……」
身体は動かせるけど、両手の自由が利かない。
手首に視線を向けると、白い紐で両腕を纏められているのが映った。
「――目が覚めたか」
「……」
動いた私に、起きたと察したのかこちらへゆっくり歩み寄ってくるフランツ様。
「手荒な真似をしてごめん。護身用の睡眠スプレーをかけた。身体は平気かい?」
「……」
いつものような笑顔がないことに警戒しながら、ベッドの上で身体を起こす。
睡眠スプレー……。
身体に異常はなさそうだから、おそらく本当に睡眠の効果しかないものだろうけど、この拘束は……。
「……この紐を解いてください」
ベッドの前まで来ると私の顔色を窺うように自らもそこに腰を下ろして少し身を寄せてくるフランツ様。
「魔法を使われると困るから、拘束させてもらった。こうでもしないと、君は僕と二人きりになってくれないから」
「……」
言われて、試しに手に魔力を込めてみたけど、確かにうまくいかない。
この紐には魔力を封じる力があるらしい。
王子だから、こういう護身道具を持っているのは当然か……。
でも、どうして――。
「殿下。このようなことはおやめください」
「フランツと呼べと言っているだろう?」
「……私と殿下は友人ではありません」
「もちろん違う。僕は君と恋仲になりたいのだから」
「……私が戻らなければ皆心配します。騒ぎになる前に戻らなければ」
きっとクレスが心配している。今何時だろう。私はどのくらい眠っていたのだろう。
窓の外は暗くなり始めているけど、そこまで長い時間が経っているわけではなさそうだ。
あの薬は、即効性はあるけれど効果は長続きしないものか……。魔導師が作ったものだろう。
「殿下、どうかこの紐を解いてください」
「フランツだ」
「……っ」
お戯れが過ぎる。
少し苛ついたように顎を掴まれ、無理やり視線を合わせられる。
怒ったようなその表情に、少しだけ男が見えた。
「……クレスがそんなにすぐ騒ぐような男か?」
それでも目を逸らさずに強く見つめ返せば、先に視線を外したのはフランツ様の方だった。
「彼は私の夫です。心配するに決まっています」
クレスもだけど、戻ってこない私に気づいてコンラート様が先に騒ぎだしそうな気もするけど……。
「……まぁ、そうか。クレスは君のことになると必死だからな。ではクレスが来てしまう前に、君を僕のものにしてしまおうか?」
「冗談はおやめください」
「ここまでされても冗談だと思っているのだな。僕が子供だからか? だが僕はもう子供ではない」
「……」
言いながら、ギシリと音を立ててこちらに体重をかけ、一層身を寄せてくるフランツ様。
確かに彼はもう子供ではないのかもしれない。だけど大人の男性でもない。
クレスやエーリッヒ様と比べると細いし、まだまだ背も低い。
「……怯えないんだな」
「私が殿下を恐れると?」
狼狽えずに彼から注がれる視線を逸らさず、冷静な態度を一貫した。
そうすれば私の顎に手を置いたまま、フランツ様の方が少し困ったように眉を動かした。
「僕は男だぞ? こう見えても君よりは筋肉だってついている。あまり馬鹿にするなら力の差を見せてやろうか?」
言うなり、フランツ様は私の顎に触れていた手を離し、肩を強く掴んで力ずくで押し倒してきた。
「ほら……、僕は簡単に君のことを奪えるんだ」
「……」
けれど、やっぱり怖くない。
だってそう言っている彼の手が、小さく震えていたから。フランツ様の方が、緊張しているのは明らかだったから。
フランツ様は私に酷いことなんてできない。できるような方じゃない。コンラート様と私のことを取り合った時も、私を気遣って手を離してくれたのだから――。
それを察すると、思わず口元が小さく緩んだ。
「なぜ笑う……! 馬鹿にするなら本当に――」
「馬鹿になどしていません。ですが、私のことを好きだと言ってくださる貴方が、私に酷いことをするとは思えないのです」
「な……っ、好きな女をものにしたいと思うのは男として当然のことだ!!」
「……ですが、フランツ様の目的は私を傷つけることではないですよね?」
「……っ」
穏やかに彼を見つめながらそう述べると、フランツ様はかっと頬を赤く染めて私から手を離してくれた。
「……ずるいぞ、そこで名前を呼ぶなど」
「魔法は使いませんから、これを解いてください」
「……」
上体を起こし、括られた手を彼に向ける。
フランツ様はばつが悪そうに一度視線を逸らしてから、じっと私の顔色を窺ってきた。
「本当です。これでは対等に話し合えません。貴方は私にご自分のことをもっと知ってほしいのですよね?」
「……わかった」
その表情はまるでいたずらをしたあとの子供のようだった。
悪いことをしたという自覚はあるのに、素直に謝罪を口にできないのだ。
もちろん身分の違う王子殿下に謝罪を求めるつもりはない。
結果フランツ様は私に危害を加えなかったし、きっと心の中では悪かったと思ってくれている。それは表情を見ればわかる。だからその気持ちを感じられただけで十分。
だけど、フランツ様が私の言葉に頷いて紐を解こうと手首に手を伸ばしてくれた時だった。
ドゴォォ――! という轟音が鳴って、この部屋の扉が勢いよく開けられた。
いや、開けられたというより、壊されたという方が正しかったけど。
「ルビナ……!!」
「クレス……」
驚き、二人で同時にそちらに目をやると、慌てた様子のクレスがすぐさま私の名前を呼んだ。そこには彼と共にエーリッヒ様も立っていた。
「フランツ……! やはりお前だったか!!」
「ルビナ……!」
エーリッヒ様はフランツ様を見て怒声を上げた。
その隣で、クレスは私を瞳に映したのと同時に走り寄ってきた。
「ルビナ……っ、すぐに解いてやるからな!」
泣きそうな顔をしながらそう言って手首に括られた紐を解いてくれるクレス。
クレスを追うように駆け寄って来たエーリッヒ様は、フランツ様の身体を私から引き離すように強く掴んだ。
「お前、自分が何をしたのかわかっているのか!? いくら王族でも女性に無理やりこんなことをして、ただで済むと思っているのか!!」
エーリッヒ様はかつて見たことがないほど怖い顔で弟を怒鳴りつけた。
まだ彼より身体の小さなフランツ様は、兄の怒号にびくりと身体を揺らした。
「お待ちください、エーリッヒ様! 私は無事です。何もされていません!」
「……!」
手首を拘束されてベッドの上にいたのだ。最悪の事態を想像されてもおかしくはないかもしれないけど、私の服は一切の乱れがない。だからきっと信じてくれるはず。
「ルビナ、本当か? 本当に何もされていないか?」
「ええ……、本当よ。この紐だって今フランツ様が解こうとしてくれていたところで――」
エーリッヒ様ではなくクレスに確認されて、目の前にいる旦那様の瞳を見て答えたら、言葉の途中だったのにクレスは口を開けたまま言葉にならない声を漏らし、私の身体を力一杯抱きしめてきた。
「良かった……!」
「……クレス」
クレスの身体は小さく震えている。
私本人より、クレスの方が恐怖を抱いていたのだ。大きくたくましい身体を震わせて。こんなに不安だったのだ……。
私はフランツ様を前にして、彼が私を無理やりどうこうするためにこんなことをしたのではないと理解できていたから平気だったけど……。
十四歳とはいえ、私に気がある王族の男に閉じ込められていたと思ったら、確かに気が狂うほど不安になるだろう。
もし逆の立場であったら、私だって凄く心配すると思う。
……ごめんなさい。
痛いほど強く抱きしめてくるクレスの鼓動がドクドクと大きく脈を刻んでいて、私の胸はそれ以上にぎゅっと締めつけられる。
漏らすように「良かった……」と呟いているクレスの背中に腕を回し、安心させるようにゆっくり撫でた。
「……見ろ、フランツ。この二人の間に、お前の入る隙があると思うか?」
「……」
そんな私たちを見て、エーリッヒ様がフランツ様に言った。
「お前は、自分の惚れた女性を不幸にしてでも手に入れたいと思うのか?」
ようやく落ち着きを取り戻したクレスは、ゆっくり身体を離すと最後に至近距離で私と目を合わせ、小さく微笑んでくれた。クレスももう大丈夫だということだろう。
「……っ兄さんに、何がわかるんだよ。あんなに綺麗な人と結婚したくせに……!」
諭すように言ったエーリッヒ様だったけど、フランツ様は拳をぎゅっと握ってそう言い返した。その言葉は、おそらくエーリッヒ様の胸に鋭く突き刺さったはずだ。
彼の妻、リリアンはクレスのことが好きだったのだ。
けれどその想いを諦めさせ、自分と結婚しなければならないリリアンのことを、エーリッヒ様は十年も見てきたのだから。
リリアンの場合は片想いで魔力もなかったからクレスと結ばれることはなかっただろうけど、それでもエーリッヒ様は苦しい思いをしただろう。
お二人の十年間に比べれば、フランツ様が私を想う気持ちがどれほどのものだったのかわからない。
本気で私と結婚したいのかすら――。
「僕は……僕は、いつも邪魔者なんだな。ごめんね、ルビナ。君を騙して薬を吸わせ、眠らせた。僕は最低なことをした。こんな僕が愛してもらえるはずはない」
「フランツ……」
残念ながらこの場に自分の味方をする者はいないのだと察し、彼は開き直ったように息を吐いて続けた。
「わかってるよ。ルビナは僕のことなんて男として見てくれていない。僕は、ルビナに相手にしてもらえるような男じゃないからな」
言いながら、フランツ様の目はどんどん充血していった。
それでも涙を流すのを必死で堪えているのがわかって、フランツ様はただの我が儘王子ではないのだと、そう感じた。




