77.幸せな時間
「ルビナ、おかえり」
湯浴みを終えて部屋に戻ると、クレスは窓際に置かれた重厚な椅子に座って外を眺めていた。
「ただいま。……素敵な眺めね」
おいで。と手招きされて、真っ直ぐクレスの隣に足を進めると、腰に手を回されてストンと彼の膝の上に座らせられる。
「……」
「ルビナとこの夜景を見ることができて、俺はとても幸せだ」
右手は支えるように背中に回されて、左手が私の指を絡めとって繋がれる。
なんだか、いつかのシチュエーションにとても似ている。
あれはクレスのご両親に挨拶をしにエンダース侯爵家の本邸に行った日の夜だ。
あの日もこうしてクレスの膝の上に座らせられて、イチャイチャして……ベッドに押し倒されたのよね。まぁ、そのあと彼は寝落ちしてしまったけど。
薄手の寝衣から彼の熱が伝わってきて、ドキドキする。
あの時と違うのは、私たちはもう正式に夫婦だということ。
「ほら、今星が流れたよ。見えたかい?」
「……見逃してしまったわ」
外に目を向けているクレスの視線を追って、高鳴る鼓動を抑えつつ私も夜空へ目を向ける。
部屋の明かりは控えめに灯されているから、夜空と夜景がよく見える。
王都の街ほど明るくはないけれど、海沿いに建った建物からちらほらと光が零れ、夜の海をうっすら照らして型どっている。
空には王都の街では見られないような星が瞬き、一つ一つが宝石のようである。
「……綺麗ね」
これは、本当に美しい。
ずっと見ていられそう。
クレスとの新婚旅行の思い出として、しっかり胸に刻んでおこう。
そう思い、身体を彼に預けてうっとりと景色に目を向けていたら、ふと彼から視線を感じた。
クレスも真っ直ぐ外を見ていたはずなのに。
どうしたのかとその視線と目を合わせると、クレスは蕩けた瞳で小さく微笑み、そっと頬に口づけを送ってきた。
「……本当に綺麗だ」
「……」
じっと私を見つめて囁かれたその言葉に、一瞬にして胸が熱くなる。
「俺の奥さんは本当に綺麗だ……」
そう言って愛おしげに頭を撫でられ、ぎゅっと胸に抱きついてくるクレス。
「……」
ドキドキするけど、まったりとした穏やかな時間が流れた。
そっとクレスの顔を覗き込むと、彼は幸せそうに目を閉じている。
「……クレス、もう寝ましょうか?」
「ん……いや、まだ起きてるよ」
「でも、眠そうよ?」
声をかければ顔を上げて私を見上げてくるけど、その瞳はまたすぐにでも閉じてしまいそうになっている。
「しかし、寝てしまったらこの楽しい時間が終わってしまうだろ?」
「大丈夫よ。これからもずっと続いていくわ」
「だが、せっかくの新婚旅行なんだ……もっと二人きりの時間を味わいたい」
そう言いながらも、その瞳は蕩けていて、うとうとと長い睫毛が揺れている。
頑張って起きていようとしてくれているのは嬉しいけど、無理はしないでほしい。
日頃から鍛えているとはいえ、クレスだって馬車での旅で疲れているのよね。ずっと私を気遣ってくれていたし。
本当に、私はどうしようもなくこの可愛い旦那様のことが好きで堪らない。
幸せを感じて、胸がキュンと疼く。
「わかったわ、それじゃあ、こっちへ来て」
「ん……」
クレスの膝の上から立ち上がり、彼の手を取って寝台へと誘導する。
先に彼を座らせてから、優しく押し倒す形で横にさせると、そのまま寄り添うようにそのたくましい胸板の上に頭を乗せた。
「ルビナ……」
その状況にクレスは一瞬目を覚ましたように私を見たけど、すぐに頭を枕に乗せて、ゆっくりと私の髪を撫でてくれる。
確かに、とても幸せな時間だ。終わってほしくない。
「……」
しばらく抱き合うように身を寄せ合い、互いの温度が馴染んで心地よくなった頃、クレスから静かな寝息が聞こえてきた。
「……おやすみなさい、旦那様」
その可愛い寝顔に頬が緩んだ。銀色の前髪を撫で、額にそっと口づけを送った。
*
翌朝の目覚めも、とても素敵だった。
ふかふかの寝具の中で、隣には幸せそうに眠っている旦那様と、大きな窓からは一面に爽やかなブルーの海。
本当に幸せな時間だ。もう少しゆっくりこうしていたいけど、それはそれでもったいない。せっかくなのだから、この南の楽園を楽しまなければ。
「クレス、起きて」
「ん……」
「もう朝よ」
「んん……」
ぼんやりとした顔でうっすら目を開くクレスに微笑めば、彼は私と目を合わせて一瞬驚いたようにしたあと、状況を理解して「あー」と息を吐いた。
「俺は昨夜また先に寝てしまったのか……」
「いいのよ、疲れていたのだから」
「……すまない、君の温もりがとても心地良くて」
「ふふ、それは良かったわ」
身体を起こすと、クレスは一度私を抱きしめて「おはよう」と囁き額に口づけを送ってくれた。
穏やかで、平和で、とても幸せなひとときだ。
朝食には採れたての新鮮なフルーツが出された。
温かい気候の実り豊かな土地ならではの珍しい果実もあって、とても美味しかった。
エンダース邸の使用人たちにも是非食べてもらいたい。お土産に買っていけるだろうか。
食後には深煎りの珈琲を飲み、クレスの誘いで今日は海辺へ行ってみることにした。
「凄いわ、見てクレス!」
「ああ、本当に美しいな」
海の近くまで馬車を走らせ、砂浜に降り立つ。
間近で見るアマローレの海は透き通るような青色で、とても綺麗だ。砂浜もサラサラで、汚れが混じっていない白い砂が延々と広がっている。
近年では観光で栄えている街だけど、しっかりと管理が行き届いているようだ。
この国にこんなに美しい場所があったなんて、知らなかった。
「ルビナ、足下気をつけて」
「海ってとても広いのね。この向こうはどうなっているのかしら。先の国がまったく見えないわ」
砂浜の上で逸る気持ちに駆け出してしまいそうになった私の手をぎゅっと強く握ってくれるクレス。
「そうだな。世界はとても広いんだよ。いつか一緒に海の向こうの国にも行きたいな」
「ええ、そうね」
波打ち際を沿うようにクレスと少し歩いて行くと、海に入って遊んでいる子供たちを見つけた。
現地の子供だろうか。とても楽しそうにはしゃいでいる。
「いいわね……こんなに美しい海だもの、私も入ってみたいわ」
「海にか? うーん、しかしさすがにその格好では難しいな……着替えはあっただろうか……」
「冗談よ。こうして眺めているだけで十分」
本気で考えてくれたクレスに笑顔で答えて、足を止める。
いくら濡れても魔法ですぐ乾かせるとはいえ、このまま入るわけにはいかないし、かといって靴を脱いで、スカートをたくし上げるわけにもいかないのは貴族令嬢として心得ている。
「見てごらん、ルビナ」
「あら、とても綺麗ね」
そんな私に、クレスはふと足下を見ると屈んで何かを拾い上げた。
「貝殻だ。波に洗われて少し丸みを帯びているんだな」
「そうなのね。すごく可愛い」
うっすら桃色がかった可愛らしい貝殻を私の手のひらの上に乗せるクレスは、にこりと笑って言った。
「これは持ち帰っても大丈夫だよ」
「本当? それじゃあ思い出にいただいていくわ!」
「うん」
それからもう少し浜辺を歩いて、時々落ちている貝殻を拾って、欠けていない特に綺麗なものを少しだけもらって帰ることにした。
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