76.いざ南の楽園へ
馬車に揺られて数日――。
途中の町で休憩しながらも急ぎ足でアマローレの地に着いたのは、日が暮れる頃だった。
「ルビナ、疲れただろう」
「ありがとう」
国王が手配してくれた宿に到着すると、クレスはいつものように先に馬車から降りて手を差し出してくれる。
結婚しても変わらず優しい旦那様の手を取り、馬車から降りた私は小さく伸びをして固まった背中を伸ばした。
それにしても……。
ここが今夜の宿だよ。と言われて、私は恐縮してしまう。
さすが、国王が手配してくれただけのことはあるというか……。この界隈で一番高価な造りであろうその宿を前に思わず息を呑む。
案内された部屋も、まさに王族が泊まるようなスイートルーム。煌びやかな調度品で揃えられ、大きな窓からは海が見えた。ちょうど海に日が沈んで行くその様は、なんとも幻想的でずっと見ていられそうなほどだ。
「……こんな贅沢、本当に良いのかしら」
「新婚旅行なんだ。ありがたく頂戴しよう」
クレスもその豪華な部屋に満足気だけど、さすがはエンダース侯爵家の嫡男。
この部屋に見劣りしない堂々とした風格。
私はそんな彼の妻になったのだから、ビクビクしていてはダメね。
……でもやっぱりまだ貧乏貴族だった頃の感覚が抜けきらない。
その後、部屋に運ばれてきた夕食はどれも最高の一言だった。
さすが、海が近いから魚介類が豊富らしい。
キリッと冷えた塩味のある白ワインに、白身魚や貝や蟹などをトマトと一緒に煮た料理がとてもよく合った。
他の料理も香草や香辛料の使い方がとても上手で、ハーブやレモンの味付けに、辛口の白ワインとの相性が良い。
すごく美味しくて、私でもつい飲みすぎてしまいそうになるけど、クレスは大丈夫かしら?
酔い潰れるわけではないけど、あまり飲むと彼は感情がストレートになるから少し厄介なのよね。
あまり可愛く甘えられては、私の心臓がもたなくなってしまう。
途中、何度も「美味いな」と言って微笑みかけてくるクレスに、私も心から笑顔を向けて頷いた。
食後の紅茶を飲み終わったら、クレスはニコラスさんに連れて行かれて湯浴みに行った。
その姿を眺めながら私もメリと共に湯浴みに向かう。
「せっかくなんだし、メリも一緒に入りましょうよ」
「ご冗談を。貴女はクレス様の奥様なのよ? もう本当に使用人ではないのだから、私などとは一緒に入れません」
浴場までも、特別客用の貸切風呂であった。
しかも広いし、とても綺麗。
せっかくの旅行なのだから、一人で入るなんてもったいない!
だけど私がクレスと結婚して以来、メリもニコラスさんも今までのように私に接してくれなくなった。
これからは私が女主人となるのだから、立場を弁えなければと彼らは言うけど、私としてはいきなり態度を変えられるとなんだか悲しいものがある。
きっと立場が逆だったら同じことをするだろうから、二人の言っていることはわかるけど……。
「せめて二人きりの時は今までどおりにしてちょうだいと言っているじゃない。どうしても聞いてくれないなら、命令しましょうか?」
「……もう。わかったわよ」
だけど、メリは私の友人。
私は今でもそう思っているし、きっとメリもそうだと信じてる。
それにメリだって今回の旅行を楽しみにしていたのはなんとなく感じている。
だからせめて誰も見ていないところでは今までどおり接するようお願いしているのだ。
ここは屋敷じゃないし、今は女二人きり。だから楽しく二人で入りましょう!
そう言って、メリと浴室へ向かった。
「本当にいいところね」
「ええ、陛下には本当に感謝しなくちゃ」
「……だけどそもそも婚姻の夜に突然の呼び出しだったものね。それも泊まりで。フランツ殿下の命を救ったのだから、当然の褒美ではあるわね」
いつもより少し穏やかな表情を見せていたメリだけど、やっぱりいつものような無表情……いや、ちょっと怒ったような顔でそう言ったのは、彼女の主はあくまでクレスだからだ。
「仕方ないわよ、王子のピンチだったんだから。それに、泊まって様子を見ようと言ったのは私だし」
「わかってるけど、クレス様が不憫で……あ、ルビナ。オイルを持ってきているから、後でマッサージしてあげるわ」
そう言って、メリは意味深にニヤリと口元だけに笑みを浮かべて両手をわきわき、と怪しく掲げて見せた。
「……ええ、ありがとう」
馬車での旅は疲れたから、マッサージは単純にありがたい。だけど彼女が言っている意味はたぶん別のところにある。
婚姻の夜に執り行う夫婦の儀は交わせなかったけど、だからといって今夜それがあるともわからない。
ここまで来る間に立ち寄った町でもクレスと同室で数泊したけど、クレスは手を出してくることはなかった。
初夜に浪漫がどうとか言っていたし、雰囲気を大切にしたいのだろうか。
……乙女みたいで、相変わらず可愛い人だ。
であればあの部屋は最高にロマンチックな雰囲気がある。
日暮れの海も美しかったけど、夜の海を見るのも楽しみ。星もよく見えそう。
「――ねぇ、ところでメリには好きな人とかいないの?」
せっかく女二人、裸の付き合いをしているので、今まで気になっていたことを思い切って聞いてみた。
「たとえばニコラスさんとか、素敵だと思わない?」
タウンハウスの執事長、ニコラスさんはクールな男前。仕事ができる優秀な男性なのでメイドから人気がある。それに、クレスより五歳も上なのに未だに独身だ。
「あり得ないわよ、彼はエンダース家の執事よ? 私はメイドよ? 絶対あり得ないから!」
「……ふぅん」
職場恋愛がダメなんて決まり、あったかしら?
クレスがダメなんて言うとは思えないし、メリもニコラスさんもそのせいで仕事に支障をきたすタイプとも思えないけど。
貴族の娘のように結婚を急かされるわけではないけど、メリだって年頃だ。恋の一つや二つしていてもおかしくないと思うんだけどなぁ。
「私のことはいいから! ルビナはクレス様とのことだけ考えていればいいのよ!! ……まぁでも、今夜はワインを結構飲まれていたから、ダメかもしれないけど」
「うん、そうね」
彼女の真意を探ろうとじぃっと見つめていた私の視線に、誤魔化すように珍しく大きな声を出したメリの顔が、ほんのりと赤くなっていたことには気づかないふりをした。




