74.クレスの事情16
「…………」
「……エーリッヒ様?」
その声にルビナも目をまん丸に見開いて〝それ〟を見つめた。
これは、緊急時のためにエーリッヒに渡してある通信用の魔法道具だ。
紙で折った鳥の形をしており、何かあれば瞬時に俺のところへ飛ばすように言ってある。
……いやいやいや、しかし、いくらなんでも今夜はないだろう。
わざとか? 嫌がらせか? あいつ、リリアンがいるくせに、ヤキモチか?
『クレス? 応答しろ!』
「……なんでしょうか。殿下」
――興醒めだ。
なぜ、よりによって今なんだ。
深く、深くため息をついて、上半身を起こす。返事をした声につい怒気を含んでしまったが、許してほしい。
『至急ルビナと来てほしい! 弟のフランツが大変なんだ!』
フランツ様は第三王子だ。末の王子で今年十四になったが、彼は昔から身体の弱い子供で、度々体調を崩していた。
「フランツ様がどうしたのだ? 熱を出したのならいつものように早く医師に――」
『王宮医師がこれは強い毒だと言っているんだ。応急処置で解毒薬を使ったが、すぐにでもルビナに解毒してもらうべきだと、コンラートと父上も言っている』
「……」
それが本当なら不味い事態だ。確かに一刻を争うかもしれない。
だが、今日は婚姻の夜だぞ?
どうしてもルビナでなければならないのか……?
末っ子のフランツ王子は身体は弱いがイタズラ好きで、体調の良い時は勝手に抜け出しては森まで行き、毒草に触れて熱を出したりしていた。
だから毒草程度のものなら解毒できる薬は用意されているはずだが……。
〝コンラート〟の名前に、本当に筆頭魔導師でもどうにもできないものなのかと、少し疑いの念が湧いたが、王子の危機に、騎士である俺が無視をすることなんてできない。
「……わかった。すぐに向かう」
『悪いな、待っているぞ』
そこで、エーリッヒとの通信は切れた。
はぁ……。なぜ今日なんだ。だが、王子のピンチだ。仕方ない。
「ルビナ、聞いたな? 悪いが俺と一緒に来てくれ」
「もちろん。すぐ行きましょう」
ルビナの方は既に気持ちが切り替わっているようで、まったく名残惜しい様子を見せずに、着替えをするためバタバタと俺の部屋を出て行った。
「…………」
その後ろ姿を見ながら、俺はまた深く息を吐いて一度枕に顔を埋め、「ああぁぁ゛ーーー!!!」と叫んだ。
*
――城に到着し、案内されるままフランツ様の元へ向かうと、上半身を晒している彼は大粒の汗をかいて寝台に横たわっていた。確かに辛そうだ。すぐに来て良かった。
「クレス、待っていたぞ!」
エーリッヒ、コンラート、医師、そして陛下がその部屋に集まっている。
「挨拶は良い、早く診てやってくれ!!」
陛下を前に俺とルビナは立ち止まり礼をしたが、末の王子をとても可愛がっている国王は焦った様子で手招きをした。
「では、失礼します。ルビナ」
「はい」
二人でフランツ様の元へ歩み寄る。
彼の右手は肩の辺りまで紫色に変色していた。
これは確かに、毒草などよりも強い毒を浴びてしまったようだ。
「熱がとても高い。痙攣も起こしていたし、手足があまり動かせないようだ。君の力で解毒できそうか?」
「やってみます」
コンラートの言葉に、ルビナは緊張を表しながらそっとフランツ様の右手に触れた。
皆が見守る中、ルビナの身体から魔力が溢れていくのを感じる。
俺の時のように、フランツ様にも魔力を流しているのだ。そしてその毒を浄化している。
改めて見ると、とても凄い力だ。
「……おお」
ルビナの魔力がフランツ様の身体に流れていくと、やがて変色していた腕が徐々に健康的な肌色へと戻っていく。同時に、苦痛に歪んでいたフランツ様の表情が和らいでいくのを見て、国王が安堵の声を漏らした。
「――おそらく、成功したと思います」
俺の時よりもっと早く、ルビナはフランツ様から手を離した。
魔力を使いすぎて自らが倒れるということもなさそうだ。
「失礼します」
顔色の良くなったフランツ様を、医師が念の為に診察する。
「……うむ。鼓動も脈拍も落ち着いているし、熱も引いたようだ。異常はなさそうですね」
「本当か! 良かった……!」
その言葉に一同はほっと息を吐き出した。
「本当にありがとう。クレス、それにルビナよ」
「恐れ入ります、陛下――」
「凄いよルビナ!! こんなに早く、簡単に解毒してしまうなんて、さすがだね!! いや、しかし君は本当に凄い! 天才だ!!」
「……ありがとう、ございます……」
しかし、それを見て誰よりも大袈裟にルビナを褒め称えたのは、筆頭魔導師のコンラートだった。
俺の言葉に被せるように言ったのは、わざとか?
「ルビナがいなかったらどうなっていたか。本当に素晴らしい! 可愛いし、優秀だし、美人だし、可愛いし、まるで聖女だね!」
「「……」」
ルビナが可愛く、優秀なのはもちろん俺も承知だ。しかし、この男に言われるとなぜか癇に障る。
「う、うむ。本当に助かった。そなたには褒美を取らそう。望むものを何なりと申してみよ」
彼女を絶賛する筆頭魔導師を見て国王は頷き、ルビナに声をかけたが、ルビナは突然国王に褒美と言われて、戸惑っている様子だ。
「とんでもないことでございます。私は魔導師として当然のことをしたまでですので……」
「……父上、実は――」
深く膝を折り謙遜するルビナの様子を見て、エーリッヒが気まずそうに国王に何かを耳打ちした。
「……なに!?」
息子から何かを聞いた国王は、ハッと声を上げて俺とルビナを交互に見やった。
「そうか、今宵は婚姻の夜だったな。それはすまなかった。……よし、クレスよ、お前にはまとまった休みを取らせよう。もちろん妻であるルビナも一緒にな。二人でゆるりとハネムーンを楽しむと良い」
「ハネムーン……」
国王の言葉に俺とルビナは顔を合わせて目配せし、これはありがたく頂戴しておいた方が良いだろうと頷いて、陛下に深く頭を下げた。
コンラートだけは思っていた褒美と違ったのか、「え……っ」と声を漏らしながら顔を青ざめさせ、おろおろと動揺していたが。
ともかく、解毒は無事成功した。フランツ様も落ち着いて眠っているので、彼の従者と護衛を残してその場は散り散りとなった。
その後、俺とルビナは一旦エーリッヒの部屋へと寄っていくことにした。
「本当にすまなかったな」
「いいえ、フランツ様がご無事で何よりです」
エーリッヒの言葉に、ルビナは小さく微笑んで答えた。
もちろんルビナが解毒した方が早かっただろうが、正直あの程度の毒ならば解毒薬と筆頭魔導師の力でもなんとかできたのでは……? とも思った。
まぁ、王子にいつまでも苦痛を味わわせておくわけにはいかないから、ルビナが来れるなら呼んだ方が良いのは確かだが、コンラートのあの大袈裟な反応は、まさか国王の前でルビナの力を示すチャンスだと思ったのだろうか。
……いや、やっぱり俺たちの邪魔をしたかっただけか。
そう、今夜は婚姻の夜だ。大事な夜だったのだ。俺たちはとても良いところを邪魔されてしまった。
ルビナが魔導師団に入る前であれば、間違いなく自分で何とかしていたはずだろうに、コンラートが敢えてルビナを呼ぼうと提案した気がしてならない。
そして俺はまんまとお預けを喰らわされたのだ。
「この埋め合わせは俺も必ずするから」
「いいえ。エーリッヒ様には助けていただいていますから。お役に立てて本当に良かったです」
謙虚に微笑むルビナに、エーリッヒは「そうか、そう言ってもらえると助かる」と頷いた。
「……フランツ様が無事で良かったのは確かだが、あれは一体どうしたんだ?」
感謝合戦が終わったのを見て、俺がエーリッヒに問う。
あれは、毒草に触れたにしては強い毒だった。まさか何者かに毒を盛られたとなると、そっちの方が重要案件だ。
「ああ、あいつはよく護衛の目を盗んでいなくなるからな……。今回もまた一人で城を抜け出していたらしい。彼の護衛騎士がようやく見つけ出したら、ぐったりと倒れていたようだ。もしかしたら、毒を持つ生き物に触れたのかもな。まぁ、目を覚ましたら聞き取りが行われるだろう」
「……そうか」
フランツ王子の兄であるエーリッヒは、困ったように息を吐いて言った。
本当に、あの末っ子王子には皆手が焼ける。
これまで何度も彼の護衛は交代させられてきた。優秀な者を付けても、フランツ様は目を盗んで抜け出すのがとても得意で、誰を付けてもダメなのだ。
十四歳になり、少しは身体も丈夫になって自分の身は自分で守れるようになったと言っているのを俺も聞いたが、今回のようなことがあっては困る。
近衛騎士団副団長として、頭を悩ませていることの一つだ。
「とにかく、二人には本当に感謝している。大事な夜にすまなかった」
「いや、いいさ。夜はまだ長いしな。よし、それでは俺たちは帰ろうか」
少し遅くなってしまったが、明日は休みをもらっているし、夜はまだまだ長い。
フランツ様が大事にはいたらなくて本当に良かった。今から帰ってルビナとの甘い初夜をやり直そう。
そう思って彼女に声をかけたのだが、ルビナは未だ不安そうな顔をエーリッヒに向けて言った。
「私、今夜はお城に泊まってもよろしいでしょうか?」
「え?」
声を上げてしまったのはエーリッヒではなく、俺だった。
そんな俺に一瞬目を向けてから、エーリッヒはルビナに言葉を返す。
「しかし、君たちは今日結婚したばかりだろう?」
「そんなことは関係ありません。クレスとはこれから毎日一緒にいられます。万が一フランツ様の容態が悪化しても、すぐ対応できるよう近くにいたいのです」
ルビナ……。
そんなことは関係ない、か……。く、泣けるな。
彼女は父と母を病気で亡くしている。
あの頃は自分にそれ程の力があると知らなかったし、そもそも魔力というのは十八になる成人を機にその者が持つ本来の力が開花されるものだ。
だから、自分の両親を救うことができなかったことを彼女は悔いているのかもしれない。
本当に、泣ける話だ。……くっ。
いつも明るく毅然としているが、母を想って泣いていたルビナを思い出し、俺も静かに頷いた。
「そうだな。そうしよう。その方が安心だ」
「クレス……」
俺の同意に、ルビナは嬉しそうに頬を緩めた。
うん、いいのだ。俺はルビナが安心して俺の隣に居てくれさえすれば、それで、いいのだ……。泣いてなんていないぞ。うん。
「……わかった。ありがとうルビナ。ではお前たち二人に客室を用意させる。何かあれば呼ぶから、ゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
そうして、俺とルビナは客室の中でも位の高い者のための一室を用意され、ありがたく使わせてもらうことにした。




