72.大型犬な主人は愛しの妻を愛でたい
結婚式当日の朝は、花嫁にとってまるで戦場だ。
「もう、無理……っ! 無理よ、メリ……!!」
「何よ、まだあと指一本分くらい……!!」
「くるし……、もういいってば……!」
胸から腰までコルセットはもう髪の毛一本だって入らないくらいぴったりなのに、メリはこれでもかと言うくらい足裏で私の背筋を押しながら紐を締めてくる。
死んじゃう……!
それ以上締め上げられたら、結婚する前に死んじゃうから……!!
息絶え絶えにベッドの天蓋の柱に掴まっていると、別のメイドが勢いよく部屋に入ってきた。
「お待たせしました!! 今お針子が針を抜いたばかりのできたてのドレスですよ!」
「わぁ……」
クレスの瞳の色と同じ深い青色の薔薇がモチーフになった、銀色がかった白から、青色へとグラデーションのかかったそのドレスは、思わず惚れ惚れしてしまうほどに美しかった。
「それ!」
「ぐえ……っ」
そしてドレスに見蕩れて気を抜いてしまった瞬間、メリが最後の一締めを行った。
*
「……君は女神か?」
あの後、死にそうな思いでドレスを纏い、髪も後れ毛の一本まで完璧にセットされ、仕上げにクレスの瞳と同色の薔薇の花を飾られ、その色合いに合ったメイクを施された。
鏡に映った私は、もしかしてメリって魔法使い? と思ってしまうくらい、確かに綺麗だった。
エーリッヒ様とリリアンの結婚式の時はまだ控えめだったらしい。
おかげで、クレスの前に出た途端、彼は目と口を開けたまま顔を赤くして固まった後、その言葉。
素直なその反応は嬉しいわ。でも、なんだかこっちまで照れてしまうくらい、クレスは赤くなっている。
「お待たせしました、旦那様」
「――あ、うん。はい」
クレスだって、これまでで一番素敵だわ。
それなのに、そんな顔をしてしまっては台無しよ?
「おほんっ、クレス様」
「あ、ああ! うん。ルビナ、とても綺麗だよ。それでは、行こうか」
「……はい」
執事のニコラスさんに肘でどつかれて、クレスはしゃんと背筋を伸ばして私に腕を差し出してくれた。
エーリッヒ様とリリアンの挙式と同じ、国一番の大教会で式を挙げ、その後はエンダース邸にて披露宴が行われた。
もちろんエンダース侯爵夫妻――クレスのお父様とお母様も領地から駆け付けてくれたし、エーリッヒ様とリリアンも、友人として来てくれた。
たくさんの人に「おめでとう」という言葉をもらい、ようやく私はクレスと結婚したのだと実感が湧いた。
ちなみに式の最中、声を上げて一番泣いていたのは妹のイナだった。
彼女は初めて〝ずるいわ〟と言う言葉を封印して素直に〝お姉様、おめでとうございます……〟と言いながら綺麗な涙と鼻水を流していた。
それを見て、隣で彼女の上司であるルッツがハンカチを差し出していた。
イナの次に泣いていたのは筆頭魔導師であるコンラートだった。彼も一応招待したけど、父親か。と突っ込みたくなるほど、おいおいと泣いていた。
怖いので目は合わせないようにした。
そんな父親を見て、彼の息子で魔導師のトーマスも、呆れ顔でハンカチを差し出していた。
彼は以前、クレスに憧れて魔導騎士を目指していたこともあったらしい。
挫折して今は魔導一本を極めることにしたようだけど。
ともかく、私は人生において間違いなく、一番幸せだと感じられる日をクレスの隣で迎えたのだった。
*
「お疲れ様。今日は疲れただろう?」
「でもとても幸せだったわ」
披露宴を終え、私たちは着替えを済ませてクレスの部屋でゆっくりとお茶を飲んでいた。
ずっとドレスに締め上げられていたから、確かにちょっと疲れた。
メリったら、本当に気合いを入れすぎよ。
今は緩めのドレスで、ようやく胸いっぱいに空気を吸い込めている気分だ。
「ルビナ……」
ふぅ、と息を吐いた私を見て、クレスはそっと身を寄せると私の左手を取り、指に優しく口づけた。薬指には婚姻の証の指輪がはめられている。このお揃いの指輪には魔力が込められていて、夫婦となった二人を固い絆で結びつけてくれる。
結婚指輪に魔力付与するのは魔導師の仕事のひとつである。
どんな魔力を付与するかは、その夫婦により様々だ。
一般的なのは、何かあった時、強く思えば相手がどこに居るのか感じ取れたりするものが人気。
浮気防止に使用する者もいるらしい。
だけど今回は、自分たちのためにこの指輪を作った。
クレスの指にはめられた指輪には私が魔力を込めた。私はまだ魔導師としては駆け出しだけど、どんなことからも彼の身を守ってくれるよう、私の持てる精一杯の力を込めた。一応上手くできたようだった。
クレスも「同じだよ」と言っていたけど、きっと私なんかよりよっぽど出来がいいと思う。
一般の者がクレス級の魔導師に魔力付与を依頼すれば、とても高額になる。
そんなクレスが惜しみなく魔力を注いだ指輪には、一体どんな力が込められているのかまだ私には計り知れない。
更に魔力を足しているのではないかと思ってしまうように指輪に口づけを送るクレスの温かい息が指をくすぐり、そのやわらかな唇の感触にくすぐったさを覚える。
「今日の君は本当に美しかった。いや、いつも美しいのだが、今日の君はまさに女神そのものだったよ。そのまま模型にして部屋に飾っておきたいくらい」
「怖いこと言わないでよ……貴方ならやろうと思えば本当にできそうで怖いわ」
クレスのことだからもちろん冗談だろうけど、魔導師はちょっと変わった人が多いから、少しだけ本気にしてしまった。……というか、少しは本気で言ったのかもしれない。
「君が怖がることはしないよ。でも、やっと正式に俺の奥さんになったんだ。もう何も我慢しなくていいだろう?」
「それは、そうだけど……」
手を離すと、今度は頬擦りするように私を抱きしめて顔を寄せてくるクレス。とても幸せそうな顔をしているから、ダメなんて言えない。
「俺はな、この日を本当に楽しみにしていたんだぞ? 君と出会って、恋をして、想いを通じ合わせて、婚約して――今までの日々もとても楽しかった。だが、これでようやく、正式に君は俺のものだ。君を独り占めしたって、誰にも文句は言われない」
「私が言うかも……」
「今夜だけは言わせないぞ? たっぷり甘やかしてやるからな!」
「…………っ」
クレスはお酒を口にしていたかしら?
祝いの席だけど、今日は飲んでいなかったような気がする。それは、やっぱり今夜のことを意識していたから?
クレスはその見た目と反してあまりお酒が強くない。いつか寝落ちしてしまったこともあるけど、今日はそうはいかないということね。
気合いの入りように、こっちが恥ずかしくなってしまう。
結婚するまで貞操を守り抜くだとか、結婚前にそういうことをしてはいけないだとかいう法律なんてない。そういう考えは古い。今は高位な貴族女性であっても働く者も多いし、婚約者となら結婚前にそういう繋がりがあっても珍しくはない。
だけど、私たちは結局互いを知らずに今日を迎えた。
どこか真面目なクレスには何度も心がくすぐられてきたけど、やっぱり我慢してくれていたのね。
確かに、これでクレスと正式に夫婦になれたのだから、もう邪魔するものはなにもない。
正当な権利を持って彼は私を抱くことができるのだ。
「愛しているよ、ルビナ。誰よりも、何よりも」
「私も、愛しているわ、クレス。貴方が私を救い出してくれたのよ」
素直に想いを伝え返せば、クレスはとても嬉しそうにしっぽを振って私の額に口づける。
「君に出会えて本当に良かった。心からそう思うよ」
「ええ……、私もよ」
言いながら、ちゅっちゅ、とわざと湿った音を立てて、クレスは頬と耳にも唇を滑らせて行った。
「クレス……まだ、日は落ちていないのよ?」
「わかっているよ。大丈夫、今は何もしないから」
「……」
既に何かしてると思うんですけど……。
湯浴みもまだだし、夕食だって一応これから。
メリかニコラスさんが呼びに来てしまう。
それでも楽しそうにソファーの上であちこちにキスされて、私の身体は既に蕩けてしまいそうになっている。
「ああ……今夜が待ち遠しいな! 早く日が落ちないかな!」
「……」
ブンブンと大きくしっぽを振って、顔中に口づけながらぐいぐい迫ってくる力強い旦那様は、まさに大型犬。
私はこのままソファーの上に倒れてしまわないよう、必死で体を踏ん張ってその愛に応えた。
結婚はゴールではなく、始まりだ。
これから待っている夫婦生活がどんなものになるのかと思えば、既に胸焼けしそう。
……でもとりあえず今夜のことを考えると、心臓が持ちそうにない。
第二章終了です!
クレス良かったね!お幸せに!続き待ってるよー!などと思っていただけましたら、ブックマークや☆☆☆☆☆を塗りつぶして二人に祝福の拍手を送っていただけると、しっぽ振って喜びます!
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