22.高鳴る鼓動
殴る気!?
さすがにこんなクズ野郎でも、女に手を上げるとは思わなかった。
歩み寄り私に右手を振り上げたワルターに、衝撃が降ってくるのを覚悟してガードするように自分の腕を上げた。
「何をしている……!」
「……!?」
けれど、痛みは降ってこなかった。
代わりに、クレスの怒気を含んだ声が扉の方から聞こえてきた。
「彼女は今うちで面倒を見ています。何か、貴方に失礼を?」
「……っ」
そこに立っていたクレスは見たことがないほど怖い顔でワルターに向けて手をかざしていた。
ワルターは手を振り上げたまま固まったように動かない。
「ちなみに彼女はここへ来た時、持ち物は何もありませんでしたよ。銀貨の一枚も、着替えの一枚すらも持たせずに、貴方はルビナを追い出したんだ」
「それは……」
ツカツカとこちらまで歩いてくると、クレスは庇うように私の隣に立ち止まって手を下ろした。
魔法を解除したようで、反動でワルターの体がガクンと揺れる。
「まだお疑いなら彼女の部屋を見ていただいても構いませんよ。その代わり、もしもうちの物がひとつでもなくなったら――騎士の名の下に貴方を盗人として捕らえさせていただきます。まぁ、さすがにそのようなことはしないと思いますが」
そう言う彼の瞳や表情は、いつもの愛くるしい大型犬ではなく、獲物を捕えて料理する寸前の狼のようだった。
「……っ、失礼する!」
まさか、図星だったのだろうか。
ワルターはぶるぶると唇を震わせ、顔を耳まで真っ赤にしてバタバタと無作法に部屋を出ていった。
「……申し訳ありません」
二人でこの部屋に取り残されたクレスと私。
深く息を吐いたあと、私はクレスに向かってワルターの代わりに深々と頭を下げた。
「なぜ君が謝る。顔を上げるんだ」
「私のせいでご迷惑を……それに、クレスの手まで煩わせて――」
「いや、やはり最初から俺も付き添うべきだった。ルビナこそ大丈夫だったか? 怪我は?」
〝騎士〟の顔になっていたクレスは表情を少し緩めると私の頬に手を伸ばし、距離を縮めて怪我がないか確認するようにじっと見つめてきた。
「大丈夫、クレスが来てくれたから……」
「良かった」
その真っ直ぐな視線と近すぎる距離にドキリと胸が跳ね、熱くなる顔を見られないようパッと逸らしてクレスの手から逃れる。
少し距離を取ってからクレスの表情を確認すると、心配そうに私を見つめていたその顔が、やわらかく緩んだ。
先程までの、騎士としての厳しい表情のクレスとの落差が激しくて、胸の鼓動がおさまらない。
何ドキドキしてるのよ!
クレスはこの家の主として当然のことをしただけよ、私じゃなくても同じことをしたわ!!
「……ルビナ?」
高鳴る鼓動を落ち着かせようと胸に手を当てて彼から距離をとる私に、何を勘違いしたのかとても優しい声でクレスは言った。
「怖かっただろう……」
「……!」
そして、ぽん、と私の頭に手を置いて、優しく撫でるように小さく動かす。
その温かいぬくもりに、じわじわと胸の奥が疼きだす。
「……」
クレスは優しい。
大きくて、一見怖くて、ハンサムで。ワイルドな雰囲気なのに、笑うととても可愛くて、気を許してくれたら感情豊かにころころとその表情を変える素直な男。
「……」
「……ルビナ?」
思わずそんなクレスの綺麗で濃い青色の瞳をじっと見つめてしまっていたことに気づいたのは、クレスが私の名前を戸惑った声で呼んだから。
ハッとすると、クレスの頬がほんのりと赤くなっていた。
「ごめんなさい……! 本当にありがとう。それに、クレスって本当に凄いのね、あんな魔法が使えるなんて。さすがは魔導騎士様! あんな魔法、私初めて見たわ!」
高鳴る鼓動を誤魔化すように少し興奮して喋ってしまった。
けれどクレスはその言葉に切なげに瞳を細めて口を開いた。
「そうか……初めてか。そうだよな……」
「……?」
その反応に、〝ああいうのは初めてだけど、簡単なものなら私も使えるのよ〟と言ってしまおうかと思ったけど、威張れるような魔法が使えるわけではないことに思い留まる。
クレスの傷を手当てした際に薬草に魔力を織り交ぜて使用したけど、瞬時に傷を治せるほどのものでもなければ、母や父の病も治せなかった。
私も魔法が使えるの! なんて、自信を持って言えるほどのものではない。
「……それにしても君はあんな男と婚約していたなんて、大変だっただろう?」
「ええ、本当にそう。だから多少のことでは音を上げないわよ。なんでも遠慮なく言ってよね!」
「……ああ、そうさせてもらうよ」
またいつもの笑顔に戻ったクレスに、ほっと胸を撫で下ろし、私もにこりと微笑む。
大丈夫。勘違いしたりしないわ。クレスは違うと言ってくれるけど、私はクレスの使用人なのだから。立場を弁えなければ。
「さて、それではせっかくの休みだし、気分転換にどこかへ出かけようか」
「え? 私と?」
「なんでも遠慮なく言えと言っただろう?」
「ええ、まぁ……」
「それじゃああと半日、俺に付き合ってくれないか?」
「……いいわよ」
「よし! じゃあ急いで支度をしよう!」
頷けば、彼はとても嬉しそうににぱっと可愛い笑みを浮かべて私の手を掴み、自室へと向かった。
「……」
そんな私たちの背中を、ニコラスさんたちが黙って見つめていた。
まるで子供のようにはしゃいで……私と出かけるのがそんなに楽しみ?
そこまで嬉しそうな顔をされたら、やっぱり勘違いしてしまいそうになるわ。
素直に喜んではいけないと思うと少し胸が痛んだけど、ここは私も純粋に楽しむことにした。
クレスと出かけるのはどうせ楽しいに決まっているのだから、楽しまなきゃ損よね!
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