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20.先触れ

「これは……」


 エンダース邸にお世話になるようになって、ひと月程が経っていた。

 その日クレス宛に届いた手紙の中に、知った名前の差出人が目に留まり、私は顔を顰めた。


 そしてクレスが帰宅したあと、本日届いた手紙を渡すと、クレスも同じように顔を顰めて困ったような表情で私に目を向けた。


「これは……、君の元婚約者からだよな?」

「ええ……」


 そう、〝ワルター・スタントン〟とは、紛れもなくあの男の名前だ。

 彼のことなど忘れかけていたというのに、今更クレスに一体何の用だろうか。


「開けてみるぞ?」

「ええ」


 クレスは自室で上着を脱ぎ、少し楽な格好になると腕まくりをして執務机の前に座って封を切った。


「……ふむ。なるほどなぁ」

「彼はなんて?」


 手紙に目を通すと、クレスは息を吐きながら唸るように頷いた。


「どうやら君を探しているようだ」

「え?」


 フッ、と小さく笑って私に見えるように手紙をかざしてくれるクレスに一歩歩み寄って、私もその内容に目を通した。


「……今更何の用かしら?」

「概ね、君がいなくなって大変なんだろう。追い出したことを後悔しているんだろうさ」

「ああ……なるほど」


 そうか。やっぱりそうか。今まで家のことなどしたことのない二人が、いきなりそれをやれと言われてもできるはずがない。


 きっと家の中は荒れて、食べるものもなくなって、困っているのだろう。


 ああ……かわいそうに。だから言ったのよ。いい気味ね。


「どうする?」

「自分が悪かったと非を認めてどうしてもと言うのなら――」

「帰るのか!?」

「……帰らないわよ、あんなとこ」

「ああ、良かった」


 すべて言い終える前に焦ったように言葉を被せてきたクレスに少し驚きつつ、否定する。

 あからさまにほっとして見せるクレスは、大きな(なり)をしているのに、やっぱり可愛い。


 ねぇ、私が帰ってしまっては、嫌?


「……本当に反省して、どうしてもと心から謝るのなら、仕事や料理の仕方を教えてあげても良いって言おうとしたの」

「そうか。では今度の俺の休みに来るよう返事を出そうか?」

「ええ、お願い」


 他の届いた手紙にも一通り目を通すと、クレスは「では食事に行こうか」と言って立ち上がり、紳士的な動作で私に手を差し出した。


「……だから、さすがにエスコートは受けません」

「そうか、残念だ」

「……」


 私は使用人のはずなのに、クレスは自分の食事に付き合うようにと言ってきた。

 約束通り、あの後クレスは私専用の制服をすぐに用意してくれた。

 王宮に仕えている上級使用人が着ていそうな、上品且つ動きやすい落ち着いたドレス。

 派手ではなくシンプルなデザインだけど、私がアイマーン家で着ていたものより高価であることは言うまでもない。


 本来、主と使用人は別々に食事を摂るのだけど、ここにはエンダース家の者は彼しかおらず、いつも一人で食事をするのは寂しいからと、私を同じテーブルに座らせて同じものを食べさせてくれた。


 とても恐れ多いことだと思ったけど、いいからいいからと押してくる彼に負け、一口食べて私はその美味しさに遠慮という言葉も忘れてすべて綺麗に平らげてしまったのだ。

 その食べっぷりをクレスはとても気に入ったようで、翌日も、そのまた翌日も、これから帰りが遅くならない限りは毎日、一緒に食事をしてくれと頼まれた。


 私を見つめるその顔があまりにも嬉しそうだったから、「仕方ないわね。まぁ、そんなに言うなら付き合ってあげてもいいわよ!」という言い訳をして、内心ではとてもありがたく思いながらクレスと食事を共にすることが当たり前になっていた。


「美味いか?」と聞いてくるクレスの表情は、明らかに他の使用人に見せるものとは違った。


 まるで私を愛しい何かでも見るように甘く見つめてきて、「スープに髪がつきそうだぞ」と言って優しく後ろに払ってくれたり、紅茶にミルクを入れて「君の髪色と似ているな」と一束掴んだり、隙あらば私の髪に触れてきた。

 それからは極力髪はまとめ上げている。


 さすがにそれ以上触れるようなことはしてこないけど、じっと見つめられるとたまに勘違いしてしまいそうになる。


 クレスが私をこの家に置いてくれるのも、妻の部屋を私に使わせるのも、気安く名前を呼ばせるのも、甘い瞳で見つめてくるのも、髪以外にも、もっと触れたそうにしているのも――全部深い意味はない。


 クレスがいつか結婚したら今のような生活はできないし、場合によってはこの家を出て行く日も来る。


 彼は私を恩人だと言って感謝してくれるけど、それ以上にはなり得ないのだと、理解しておかなければならない。


 だから、冗談のように可愛く笑って食堂までエスコートしようと手を差し出してくるクレスに、調子に乗って掴まったりはしない。


 正式ではないと言え、彼には婚約者候補の方がいる。いずれはその人と結婚するのだ。

 そうなった時、彼に近付きすぎていたら傷つくのは目に見えている。


 間違ってもクレスのことは好きになっちゃダメ!


 とても楽しそうに笑う彼のあどけない笑顔を見ていたら思わず胸がきゅっと疼いてしまうけど、一定の距離を置いて隣を歩いた。


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