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19.クレスの事情3

 ……怒っていたわけではないのか?


「こっちに座って」

「……」


 そう言って、ルビナは俺をソファーではなく窓際に置かれているテーブルの前の椅子に座らせると、自らはキッチンへと足を進めた。


 その背中を視線で追うと、そこにはいつもは見ない小鍋があった。


「前に私のスープがまた食べたいって言ってたでしょう? だからお夜食にと思って作ったんだけど」


 言いながら、器によそったそれを俺の前に運んでくるルビナ。

 入っていたのは、野菜のみのシンプルなスープ。


 あの日アイマーン領でいただいたものにとても似ていた。


「これなら喉を通るかしら?」

「……作ってくれたのか」


 腹は、減っている。

 だが今は食欲がなかった。

 酒でも飲もうと思っていたのだが、ルビナはすべてを察していると言うのか……?


「少しでも食べて? あ、私も一緒にいいかしら?」

「もちろん……、もちろんだ」


 自分の分も器によそうと、彼女は可愛く笑って俺の向かいに座った。


 そして二人で「いただきます」と呟いて、スプーンを口に運ぶ。


 飲みやすい温度に温まったスープは、あっさりとした味付けだがとても身体に染み渡る。


「……ああ、これだ。この味だ。これならいくらでも食えそうだ」


 スープを一口飲んだあと、一口サイズに切られた野菜も口へと運び、ゆっくりと噛み締める。


 どれもちょうど良く味が染みて、相変わらず食感が良い。


「おかわりもあるわよ」

「そうか! いただこう」


 ルビナが嬉しそうににこりと微笑んでくれた顔を見て、自分の顔も綻んでいたことに気がついた。


 たぶん、帰ってきた時は怖い顔をしてしまっていただろう。


 しかし、ルビナは俺が飯を食わずに帰ってきたと気づいたんだな。

 嫌なことがあったことも、気がついたのかもしれない。


 きっと苦労してきた彼女にだからわかるのだろう。


 付き合いの長い団長もそうだった。見てくれている人は見てくれているし、俺の考えをわかってくれる部下もたくさんいる。


 俺は何を落ち込んでいたんだ。くだらない。

 それこそ騎士として、副団長として、まだまだだな。



 何も聞かずに、ただ優しく微笑んでそばにいてくれるルビナに、スープのせいではなく、俺の心がほっこりと温まるのを感じた。


 なんて心地の良い存在なのだろう。


 これは、惚れずにはいられないな――。


 胸に宿る感情に、小さく自嘲して彼女に向き直る。


「ルビナ」

「はい?」

「ありがとう」

「……いいえ」

「おかわりをもらえるか?」

「ただいま」


 すっかりいつもの調子を取り戻していた俺に、ルビナも嬉しそうに笑って答えてくれた。


 この時間がずっと続いてほしい――


 俺は自然とそう願っていた。




 *




「はぁー」


 翌日の湯浴み後、俺は部屋着に着替え終えたところで深くため息を吐き出した。


「……代わりましょうか? 湯浴みの番も、ルビナと」

「いや、さすがにそれは……!!」


 そんな俺を見て、執事のニコラスがぼそりと呟くように言った。


 彼は俺がまだ子供の頃からエンダース家に仕えてくれていて、このタウンハウスへも俺と共に来てくれた。

 ルビナが来る前は彼が俺の世話をしてくれていたし、今も女性のルビナには頼めないことは彼が行っている。

 まぁ本当は俺一人でも構わないのだが。


「しかし今朝からクレス様の彼女に対する目付きが危ないです」

「危ない!? ……俺はそんな危険な目で彼女を見ていたか?」

「そうですね。おそらくクレス様の好意に気づいていないのは、もう本人だけかと」

「……っ」


 以前からルビナのことはとても気になっていたが、昨夜からその気持ちが増してしまった。

 おやすみを告げて別れたあとも、隣の部屋にいるであろう彼女のことが気になって気になってなかなか眠れなかったし、今朝も眩しい笑顔にぼーっと見蕩れてしまった。



 まぁ、そういうわけでニコラスとは付き合いが長い。

 彼は俺より五つ年上で、できる男だ。

 俺から見ても格好良い。

 結婚はしていないが、仕事の合間に女性とも上手くやっているようで、男としての隠れた師匠でもある。


「そうなんだ、実は俺は……ルビナに惹かれているらしい」

「そんなことはクレス様が戦争からお戻りになられた時から知っています」

「なに!?」

「私は応援していますけどね」

「しかし、おそらく彼女には魔力がない……俺たちは、結婚できない」


 それはわかっている。頭ではわかっているのに、〝好き〟が止まらない。止めたくもない。


「私はずっと貴方様を見てきましたよ。たくさんのことを我慢されてきた。生まれに甘んじず努力をされてきたことを知っています。だから……好きになった相手と結ばれてほしいです」


 いつも通りのクールな表情で告げられたその言葉には、俺を思いやる気持ちが十分に含まれていた。


「……ニコラス」

「そのためにはクリアしなければならないものがたくさんありますが、何を置いてもまずは彼女自身でしょう」

「……うっ」

「クレス様は女性から見てとても魅力的な方ですが、彼女は賢い女性です。これまでの方のように簡単には靡いてくれませんよ」

「だろうな……」

「だからと言って決して無理強いはしませんように。手を出してしまいそうなほど耐えられなくなったら、彼女の仕事は私と交代しますからね」

「それは……寂しいな」


 彼女の近くにいたいのに、それではまさに本末転倒だ。


「まぁ、焦らないことですね。私はクレス様の騎士としての誇り高い理性を信じていますから」

「……うっ」

「それから、彼女の前ではお酒は控えるようにしてください」

「なぜだ?」

「いいですね?」

「……うん?」


 ニコラスは有無を言わせぬ口調でそう言った。


 昔からニコラスには敵わないと思わされるところがある。ここは黙って頷いておこう。


 しかし、俺は酒が好きで人並みに嗜むが、酔うと酒乱になるだとか、記憶を無くすだとかいうわけではないのだが……。

 ニコラスの前で何か失敗してしまったことがあっただろうか?


「今、この家の主は貴方様なのですから。堂々と余裕を持ってください」

「あ、ああ」

「では、参りましょう。ルビナを見てもデレっとしませんように」

「……はい」


〝ルビナ〟の名前を聞いただけでも既に口元が緩みそうになった。いかん。


 ニコラスの言うとおり、堂々としていなくてはな。


 そう決心して鏡の前でキリッと表情を整えた俺だったが、その数秒後――。


 同じように湯浴みを終えて髪を下ろした彼女に出会してしまい、あっさりとその覚悟も表情も崩れてしまったのだった。

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