17.眠れぬ夜
「……」
クレスに婚約者候補の女性がいると聞いた日の夜は、なぜだか寝つきが悪かった。
望んだところで男爵家の生まれで親もいない私が侯爵家の嫁に行くなんて、とても難しい話だとわかっているのに。
クレスもご両親も、私を選ぶわけがない。
それにわざわざ従妹の伯爵令嬢を候補にするのだから、きっとその方には余程クレスの相手に相応しい理由があるのだろう。
「……考えたって仕方がないわね」
それでもやはり眠れそうにないから、そっとベッドから出て、何か温かいものでも飲もうと食堂へ向かった。
「――クレス」
そこは明かりが灯っていて、誰かが静かに座っていた。
こんな時間に誰かしら? と近付いてみると、青光りした銀色の髪が目に留まった。
とても綺麗で、一瞬見蕩れてしまいそうになる。
「ルビナ! どうした、眠れないのか?」
「ええ……クレスも?」
「ああ、少し腹が減ってしまってな。今ニコラスに夜食を用意してもらっているところだ」
「そうなのね」
私に気がつくと、クレスは驚きながらもすぐに嬉しそうに笑って自分の隣の椅子を引いた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
隣? とは思うけど、そんなににこにこされると断れるわけがない。
仕方なく彼の隣に腰を下ろすと、クレスは目の下を赤くして嬉しそうに私を見つめた。
「……なに?」
「それ、着てくれているんだな」
私が今着ていたのは、以前彼にもらった夜着だ。
着心地もデザインも文句なしでとても気に入って愛用させてもらっている。
「ええ」
「思ったとおり、とても似合っているな」
「……!」
そんなハンサムな顔で、瞳を蕩けさせてそんなこと言わないで……!
彼の熱が私にも伝染してしまったように、顔が熱くなる。
「……ありがとう」
「ああ!」
にこにこと満足そうに微笑んでいるその顔は、昼間に他の使用人たちの前で見せるものとは違う。
私には彼がもふもふのしっぽをぶんぶんと大きく振っているように見える。
可愛いのよ、もうっ。反則よ……!!
「何か飲むか?」
「あ……そうね。ホットミルクでも飲もうかと思って」
「ミルクならそこにあるから、俺が作ってあげるよ」
「え?」
それくらいならできるぞ、と言いながら立ち上がりカップにミルクを注ぐと、そのまま私の隣に座った。
それではまだ冷たいから、温めてこないと。
そう思って首を傾げたら、クレスは「まぁ待て」と言って得意げな顔をしてカップに手をかざした。
「……どうぞ、お姫様」
「わぁ」
あっという間に、カップの中のミルクからはほかほかと湯気が上り始めた。
「凄い! 魔法ね!」
「ああ。こういうことなら俺にもできるんだけどな」
少し照れくさそうに言いながら私にカップを差し出すクレス。
いいなぁ、こういう使い方もあるのね。
私にもできるかしら?
今度やってみよう。
そう思いながら一口飲み込んで、そのちょうど良い温かさに心がほうっとあたたまる。
「……美味しい」
「お気に召していただけて何よりです」
頬杖を突きながらじぃっと私に視線を向けているクレスは、ふざけたように丁寧な口調で喋るから、なんだかお嬢様にでもなった気分だ。
私がクレスの侍従なのに、こうしてクレスとふざけ合う時間はとても楽しい。
「ああ、ルビナ。起きてきたのか」
「ニコラスさん」
その時、ちょうど夜食が出来上がったようでニコラスさんが食堂に入ってきた。
ニコラスさんはクレスと一緒にアイマーン領にもついてきた執事で、年齢は二十八歳。いつも黒髪を後ろに撫でつけて綺麗にセットしていて、スラリとした細身の男性。とても落ち着いた雰囲気の大人の男性である。
「眠れなくて……ホットミルクを飲みに」
「そうだったのか。クレス様、お待たせいたしました」
そう頷くと、ニコラスさんはクレスの前にホワイトシチューを置いた。
良い香りがこちらまで漂ってくる。
「ありがとうニコラス。遅い時間に悪かったな」
「いいえ。それでは私はこれで失礼しますね」
「え?」
「ルビナが起きてきたのなら、後のことはお任せするよ? いいね?」
「ええ、大丈夫よ」
では、とクレスに頭を下げて、ニコラスさんは食堂を出て行った。
確かにクレスのお世話は私の仕事だから、今回だって本当はニコラスさんではなく、私の役目だったはずなのだ。
「……起こしてくれれば良かったのに」
「いや、さすがに君はもう寝ていると思ったし。女性が寝ているところへ押し入るのは良くないだろう?」
困ったように笑みを浮かべて答えるクレスに、それもそうか……と納得する。
でも私はそれも承知でクレスに雇われているのだから、遠慮なんていらない。
寝ていたとしても起こしに来てくれて大丈夫なのである。
別に、夜這いにくるわけではないのだから……。
「でも君に頼んでいたら君が作った夜食が食べられたのか。それは少し惜しいことをしたな。前に作ってくれたスープ、あれをもう一度味わいたいなぁ」
「でもそのシチューもとても美味しそう。ニコラスさんってお料理もできるのね」
「ああ、彼は基本なんでもできるぞ。……食べるか?」
いいの?
食欲をそそる香りに、つい素直に頷いてしまえば、クレスは少し意地悪に口元を持ち上げて「あーん」と言いながらスプーンを私の顔の前に運んだ。
「……え?」
「食べたいんだろ?」
「…………」
すぐに可愛くにこにこと笑いながらも、私の口元にスプーン近付けてもう一度「はい、あーんして?」と言ってくる。
クレスったら……、こんなこともできるのね……。
「……」
ちょっと恥ずかしかったけど、視線を逸らして口を開け、素直にシチューをいただいた。
「ん、美味しい!」
「そうだろう?」
私の反応にクレスはすっかりご機嫌で、再び自分の口へスプーンを運んで行った。
……っていうか、同じスプーンなんですけどね。
彼にはその意識があるのだろうか?
あってやっていたら、中々の強者だ。
そんなに格好良い見た目で誰にでもやっているのだとしたら、とんでもない女たらしだわ。
まぁ、意識していないような気がするけどね。
天然の女たらしほど心臓に悪いものもないような気がするわ。
やっぱり今日はまだまだ眠れそうにない……。
そんな風に思った夜だった。
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