13.元婚約者の事情2
その日は当然のようにアイマーン家に泊まった。とても幸せな夜だった。
翌日もうるさいルビナが起こしに来ないから、好きなだけイナと二人で朝寝坊をした。
昼頃起きてキッチンへ行けば、ルビナが焼いていたらしいパンがあったので、イナと二人でそれを食べた。
夜は二人で外食し、羊の肉を食べた。少し値が張るが、イナには美味いもの食べさせてやりたいし、あの家は僕のものになる。いくら貧乏貴族でも、ルビナには一銭も持たせずに追い出したから、少しくらい余裕があるだろうと、安易な気持ちで金を払い、イナとの楽しい時間を過ごした。
しかし三日が経った頃、ルビナが焼いたパンは尽き、毎晩外食に行けるほどこの家には金がないということに僕は気がついた。
元々それほど裕福ではなかった上、勝手に妹の方と結婚することにしたため、子爵家の両親には頼れなかった。
まだ正式に手続きが済んだわけではないが、いずれは僕がアイマーン男爵となるのだ。仕方なく男爵としての仕事に取り掛かろうとしたのだが、今度は勝手がよくわからない。
この家に通い始めたばかりの頃は彼女たちの父に仕事を教わっていたが、その父の容態が悪化し、寝たきりになった頃からはそれすらもルビナに任せていたせいで、うまくいかないことが多かった。
そして何より深刻だったのは、食事問題だ。
仕方なく畑に行き、実っていた野菜を採ってきたのだが、調理方法がいまいちわからない。
なんたって僕は男だ。実家には使用人がいたし、料理などしたことがない。
生でも食べられるものはそのまま食べてみたが、火を通したものはお世辞にも美味いとは言えなかった。
イナは僕が一生懸命作ったその料理を食べ、「美味しくない」と言って顔を歪めた。
せっかくこの僕が作ってやったというのに、なんだその態度は!
可愛いイナを怒ってしまいそうになる気持ちを抑え、「明日からはイナが僕のために何か作ってよ」と言って笑顔を作った。
「その代わり、僕は仕事をするからさ」
そう付け足せば、イナは渋々ながらも「わかったわ」と頷いてくれた。
しかし、イナの料理は予想以上に酷かった。酷いなんてものじゃない。一体何をどうしたらそうなるのかと、感心してしまう程だった。
僕が仕事から帰ってもイナはまだキッチンに立ち、野菜と格闘していた。
「ワルター様、指を切ってしまいましたぁ! 痛いですぅ、ふえーん!」
そう言いながら涙を流す彼女の手元を見ると、大きさの不揃いな野菜たちがゴロゴロ転がっていた。
焦げ臭さに気づいて鍋の中を覗いてみると、何を入れてこうなったのか、黒い塊が鍋にくっ付いていた。
……げ。
これは、僕以上だ。
そう感じて、その日は僕が塩だけで味をつけた野菜を煮込んだものを二人で黙って食べた。
硬かったり、煮えすぎていたりと、食感は悪いし味もいまいち。
ルビナはどうやって作っていたのだろうかと一瞬頭を過ぎり、すぐにその考えをブンブンと振り払った。
あんな奴のことはもう忘れるんだった。大丈夫だ、イナには少しずつ料理を覚えていってもらおう。慣れていないだけで、姉妹なのだからイナだってきっとすぐに上達するはずだ。そう思った。
「……ワルター様、ごめんなさい」
「大丈夫だよ、イナ。明日は部屋の片付けを頼めるか?」
やはりイナもこの料理とは呼べないスープを美味しくないと思いつつも、自分はそれ以下だったことを知り、しょんぼりとしながら謝罪の言葉を述べた。
イナは素直で可愛いな。
そう思って微笑み、掃除をしてもらうよう頼んだ。
ルビナがいなくなって気がついたが、掃除をしなければ部屋はどんどん汚れていくらしい。
掃除ならきっとイナにもできるだろうと、期待して翌日も僕は仕事をしにでかけた。
しかし、帰ってきて唖然とした。
「ワルター様ぁ、埃が……ごほっ、ごほっ、目や鼻に入ってくしゃみが出るんです〜」
そう言ってくしゃみをするイナは、今日一日一体何をしていたのだろうか。
部屋の中は何も変わっていない――どころか、張り切ってものを整理しようとでもしたのか、余計散らかっていた。
「……イナ、大丈夫かい? わかった、掃除はもういいから、畑で何か野菜を採ってきてくれないか?」
「畑ですか!? そんな……、ワルター様酷いですぅ、私が虫嫌いなの、ご存知でしょう?」
「……ああ、そうだったね」
「それに、手が汚れてしまいます……」
そうか、そうだった。イナを畑に行かせようとするなんて、僕も少し疲れてきたのかもしれない。
やはりこういう時、なんでも言うことを聞く使用人がいると助かったな。
また、一瞬そんなことを考えてしまった。
いかんいかん。口うるさいあいつがいなくなって清々したんだ。慣れないことで、大変なのは最初だけだ。
大丈夫、イナはこんなに可愛い女性なんだ。ちょっと料理が苦手で、掃除の仕方がわからなくて、虫や汚れることが嫌いな、普通の女の子だ。
貴族令嬢なら当然じゃないか。ルビナがおかしかったんだ。
使用人でも雇えば……金が、ない。
……はぁ、まったく。可愛いだけが取り柄の女は役に立たないな。
そんなことを薄々感じながら、僕は野菜を採りに再び外へ出た。
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